上社周辺まちづくり協議会会長の小島です。ご支援いただいたみなさま、本当にありがとうございます!今ご覧のみなさま、ご協力心より、お願いいたします。私が持っている写真は、御柱街道の三の鳥居から本宮の方を映したものです。突き当りには諏訪大社上社本宮の入口、階(きざはし)と二の鳥居があります。それより手前ですが、道路右側の奥まったところに見えているのが「桔梗屋」です。さて、この道路左、山際にはかつて「神宮寺」と呼ばれた大伽藍がありました。明治維新の時に廃却されてしまいましたが、この通りの両側には僧の住む坊(支院)が八坊あったとされ、元禄時代には全部で二十二坊あったともいわれています。往時の賑わいは夢物語ですが、歴史を散策するのも、とても愉しいものですね。この鳥居を手前に進むと前宮まで1.5kmで行くことができます。そうした散策の基点としても、この古民家「桔梗屋」をお使いいただくと、「倍エンジョイ」になるのです。ぜひともプロジェクトを成功させたいと固く念じています。どうぞ、ご支援よろしくお願いします!!
工学院大学の下田研究室の大学院生に、神宮寺の未来を提言していただくよう調査依頼した報告が模型を通してみることができます。神宮寺公民館にて。
協議会活動の紹介展示を地元神宮寺で実施します。本日9月12日13時から18時30分まで。クラウドファンディング の内容もあわせてご覧いただけます。工学院大学に依頼しました神宮寺周辺の調査と再開発提案を神宮寺公民館にて展示します。先に諏訪市市役所ロビーで展示した模型とあわせて昨年開催しましたワークショップで作成した神宮寺のジオラマを展示。また現在開催中のクラウドファンディングの紹介も行います。十五夜祭前夜祭作品展示会場 神宮寺公民館 https://www.google.com/maps/place/中洲地区公民館+神宮寺分館/@35.9986414,138.1208618,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601c568b44ee747d:0x2ad75c344b511a89!8m2!3d35.9986414!4d138.1230505コロナ感染対策を取らせていただきますのでご協力お願いいたします。
ご支援をお願いしている桔梗屋は明治24年に竣工した割烹料亭でした。当時から一本の赤松が寄り添っていました。当時にままなら129才です。この松も大切に守りたいと思います。
今日まで30名の方から、ご支援いただきました。本当にありがとうございます。でもまだまだ道半ば。いえ、まだそこまで届いていません。あと18日、どうしても目標達成したく、ご協力よろしくお願いいたします!昨年秋、空き家になってしまった古民家「桔梗屋」。随分と手をかけてきたオーナーと、常駐拠点づくりを目指していた私ども上社周辺まちづくり協議会との思いが一致しました。立派な古民家をカビ臭くしたくない!このプロジェクトは、諏訪大社上社へ来ていただいた観光客の方々への簡便な案内所として、また地元住民がまちづくりへ気軽にアプローチできる場所としてスタートいたします!古民家桔梗屋の優れた点は、その特殊な間取りにあります。築129年になりますが民間のいち旅籠がきっちり守ってきた立派なものです。もちろん宿場町の本陣・脇本陣の豪華さには比すべくもありませんが、これはこれで歴史の重さの中にしっかりとたたずんでいるのです。諏訪市史(中巻)より引用します。 ー(慶応四年四月に太政官から神仏分離令が出た。諏訪は藩も寺も民衆も破却には反対だった。すると)六月十五日にはいよいよ京都神祇局から大監察使が(中略)高遠から杖突峠を越えてのりこんできた。宮方が出迎えて宿舎の大祝邸に入った。(中略)下社側も神宮寺桔梗屋泊りで顔出しをしたー とあります。その後、「太政官から取り壊しの厳命を受けながらいまだ疎かにしているとは誠に不届きである。その考えによっては京都に召し連れて取り調べる」と強引に迫られて、やむなく同意に至ります。もちろん、この時の建物は現在のものではありませんが、どのように桔梗屋が使われたかは、はっきり判ります。往時の面影は脇の「門」に残されています。この古民家の活性化です。どうかご支援いただいて、古民家「桔梗屋」をみんなの交流の場にするよう、お願いします!!