昨日、講演会は無事終了いたしました。お越しの皆様、講師の野田先生、ご参加ありがとうございました。 雨が降るなどもあり、あまり集まりがよいとは言えませんでしたが、代わりに講師との距離が非常に近い会となりました。近い距離で直接に意見のやり取りができたという意味ではなかなかに貴重な会でした。 元来、精神病の類は、日常生活ができない人たちをさし、彼らを社会に戻す、または、社会で暮らせるようにすることに関心があった。ところが、現代の日本は隔離する方向に進んでいる…というような話から医学に関わる者は思想や教養を学ぶ必要がある、など内容が多岐に渡るお話でした。 講演後も、場所を変えて野田先生と話すなど非常に熱心な時間となりました。参加者の感想が、何かしら「発見」をしたかのような記述が目立ったのが興味深かったです。野田先生は、専門家任せにせず「市民」の動きが医療の改善に必要との意見でした。このキャンペーンもその一助となるよう進めていきたいです。
『自分で決める!薬を飲む飲まないキャンペーン』関連企画の野田正彰氏講演会『日本の精神医療の歴史とこれから』がいよいよ本日10月28日開催です。午後14時より京都の職員会館かもがわで開催です。皆様のお越しをお待ちしています。 講演会案内はこちら↓https://app.box.com/v/ noda-koenkai 会場までの最寄りの交通機関のアクセスをご案内します。 〈阪急で京都へ来られる場合〉阪急「烏丸」駅下車 市営地下鉄に乗り換えて「烏丸御池」下車(1駅)烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換えて「京都市役所前」下車(1駅)徒歩で会場へ 〈大阪方面からJRで来られる場合/近鉄で京都へ来られる場合〉JR「京都」駅下車市営地下鉄乗り換え「烏丸御池」下車(3駅)烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換えて「京都市役所前」下車(1駅)徒歩で会場へ 〈京阪電車で来られる場合〉京阪「神宮丸太町」駅下車徒歩で会場へ 〈山科、滋賀方面からJRで来られる場合〉JR「山科」駅 下車地下鉄乗り換え 「京都市役所前」下車徒歩で会場へ 〈バスで移動の場合〉市バス「河原町丸太町」で下車徒歩で会場へ※京都駅からバスが出ていますが、もしかしたらこの時期の京都の市バスは恐ろしいほどの込み具合と遅延を発揮しているかもしれません。 あいにくの雨なのでお気をつけてお越しください。では会場でお待ちしています。※記事を書いている間に弱まってきたのでもしかしたら午後は晴れるかも…!
薬を飲む・飲まないのか、どの治療を選択するのか、または、選ばないのか。自分で決めると周囲に言ったときにそれはおかしいと思われるならまだマシかもしれません。それどころか、医師がいうことに黙ってしたがっておけ!と怒り出す人すらいるのが実際かと思います。 ですが、薬の副作用の問題であったり、治療方針と本人の希望が違っていたりするなどの問題があるので、本人が選びたい場合があります。病気の治療は時として今後の人生に大きな影響を与える重要な選択です。自分の希望を述べることは「おかしなこと」・「悪いこと」なのでしょうか。 実は、日本の法律は「自分で決める」ことを否定していません。それどころか「自分で決めること」を念頭に置いた内容になっているように見えます。 医師法第22条では 第二二条 医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当つている者に対して処方せんを交付しなければならない。ただし、患者又は現にその看護に当つている者が処方せんの交付を必要としない旨を申し出た場合及び次の各号の一に該当する場合においては、この限りでない と書かれています。(各号は省略)前半部は投薬の必要がある場合は医師は患者に処方せんを交付しなければならない、と処方せん交付の義務の話です。一方で、後半部の「ただし」以下の部分では、本人などが交付を必要としない申し出があった場合は、「この限りではない」としています。 となるとこの法律は少なくとも、本人が交付を必要としない申し出をする場合を想定しているのです。医師が服薬を指示しても患者が希望しない場合もここに含まれるのではないでしょうか。また医療法第一条では 第一条 この法律は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項、病院、診療所及び助産所の開設及び管理に関し必要な事項並びにこれらの施設の整備並びに医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携を推進するために必要な事項を定めること等により、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もつて国民の健康の保持に寄与することを目的とする。 とあります(太字は筆者) 冒頭から「医療に関する適切な選択を支援するため」と選択することが念頭に置かれているのです。もちろん、日本医師会は以前に紹介した患者の権利のためのリスボン宣言にも賛同しています。リスボン宣言も本人の選択に関する言及がありました。 となると環境的には「自分で決める」ということは何か特殊なことでも珍しいことでもなく、ごくごく当たり前のことのはずなのです。 セカンドオピニオンの話をするだけで嫌な顔をされたり、薬を飲まないと決めたら周りから強要されたりするのは、そもそもの法律上の理念からもかけ離れてしまっていないでしょうか。
ラスト1週間より支援が続々と集まっています。終了は30(月)。もう一息で目標達成なのでぜひよろしくお願いします。 そして明日28(土)は関連企画の精神科医 野田正彰先生講演会「日本の精神医療の歴史とこれから」開催です。今回のキャンペーンの骨子である「自分で決める」ことについての発案者でもあります。 開催は京都です。お近くの方はぜひどうぞ。講演会詳細は下記をご確認ください。 https://www.facebook.com/events/1946819575578453/https://app.box.com/v/noda-koenkai
『自分で決める薬を飲む飲まないキャンペーン』のクラウドファンド募集期間は来週月曜日10月30日までです。残り1週間も切ったのでぜひよろしくお願いします。ここ数日たくさんの支援がありました。ありがとうございます。 さて、「自分で決める」にあたって薬の副作用との付き合い方という問題が絡みます。副作用がつらくても、それを超えるメリットがあるならば薬を飲むという選択は合理的でしょう。ですが、なんでもかんでも我慢すればいいものではない――という話を私のケースで紹介しましょう。 背景を書き出すと非常に長いので、ごくかいつまんで説明すれば、ある治療中に「副作用のない新薬ができた。非常にいいからこれに切り替える」と医師から言われ、処方される薬が変わりました。 本当に出たばかりの新薬で、突然薬局での支払い金額が跳ね上がった驚きも覚えています。医者が進める高価で副作用のない新薬。夢のような条件が揃った薬に見えませんか? …服用の結果はなんと失業でした。治療には全く役に立ちませんでした。 飲み始めてから、すさまじいまでの不調に襲われ、とてつもない疲労感と気持ち悪さ、吐き気、強烈な眠気が常時でました。少し歩くだけで息がきれ、駅から会社までの10分もかからない距離を何度も休みながら歩くような状態。これだけで異常極まりないですが、ここまで極端に不調が出ると判断力も恐ろしく落ちてしまい異常さに気づけません。 通勤電車の中は、立っているだけで苦しい上にすさまじい眠気に襲われる。睡魔と気持ち悪さが断続的に続く地獄のような時間でした。 朝がまったく起きられず、夜は外食どころか何かを買う気力すら起きず、食事が1日1回になりました。1か月のうちに10kg以上体重が落ちました。当時の写真は我ながら気持ち悪くげっそりしています。 そんな状態でもどうにか出勤はつづけましたが、終わりはある日突然やってきました。 例によって朝は全く寝た気がしないすさまじく強烈な眠気。どうにか立ち上がって着替えるはずが、立ち上がった瞬間に座り込んでしまう。それ以上、身体が動かない。「あ、これはもう無理だ」と直感し欠勤。そのまま欠勤が続き休職に突入。復職するつもりでしたが、早々に会社から執拗な退職勧奨(と脅し)があり、失業に至りました。 治すために飲んでいるのに、薬のせいで状態がひどくなり仕事を失う。副作用の苦しさを周囲の人は気軽に我慢しろというかもしれませんが、これは我慢するものではありません。この記事を書くために当時の状況を思い出すだけで、吐き気がこみ上げるくらいですから、相当な苦しさです。 なんでもかんでも我慢すればいとは言えません。まして周りが強制するものでもありません。もちろん、本人がデメリットも理解したうえで、自主的に服用を選択するなら話は別です。 薬を飲んで得るメリットもデメリットも背負うのは本人なのです。周囲がサポートをすることはあっても、勝手に人の選択を奪ったり決めることはできません。