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おらが町の歴史遺産「丸亀護国神社」を多くの方に親しまれる場所に整備したい!

香川県丸亀市にある丸亀護国神社は石垣で有名な「丸亀城」の北側に位置し、東隣には市立中学校や私立の中高一貫校が置かれ、市役所からも歩いて5分という人通りの多いエリアの中にあります。歴史・文化遺産の1つといえる「丸亀護国神社」をきれいに、多くの方に親しみやすい神社に整備したいです。お力をお貸し下さい。

現在の支援総額

147,500

2%

目標金額は5,000,000円

支援者数

7

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/10/07に募集を開始し、 7人の支援により 147,500円の資金を集め、 2020/12/13に募集を終了しました

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おらが町の歴史遺産「丸亀護国神社」を多くの方に親しまれる場所に整備したい!

現在の支援総額

147,500

2%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数7

このプロジェクトは、2020/10/07に募集を開始し、 7人の支援により 147,500円の資金を集め、 2020/12/13に募集を終了しました

香川県丸亀市にある丸亀護国神社は石垣で有名な「丸亀城」の北側に位置し、東隣には市立中学校や私立の中高一貫校が置かれ、市役所からも歩いて5分という人通りの多いエリアの中にあります。歴史・文化遺産の1つといえる「丸亀護国神社」をきれいに、多くの方に親しみやすい神社に整備したいです。お力をお貸し下さい。

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2020年10月15日。10月度の月次祭が執り行われました。祭事終了後、当神社の整備事業にご支援金をくださった「丸亀十一会」様への感謝状奉呈式を執り行いました。しっかりと整備事業に役立てて参ります。クラウドファンディングも現在挑戦中です。ご支援、何とぞ、よろしくお願いいたします。https://camp-fire.jp/projects/view/319848 



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奉賛会会員のK・Tと申します。台風14号の影響、大丈夫でしたでしょうか。被害等に見舞われた方におかれましては、1日も早いご回復をお祈り申し上げます。さて、丸亀護国神社では毎月15日に月次祭(つきなみさい)という祭事が行われるので、またその時の様子をお伝えできればと思っています。今日は台風も過ぎ去ったこともあり、夕方に丸亀を散歩して参りました。まずは丸亀港。丸亀港は丸亀駅から北へ5分ほど歩いたところにあります。丸亀港には太助灯籠(たすけとうろう)というシンボル的な灯籠が建立されています。かつて金毘羅参詣(琴平のこんぴら参詣)の玄関口として賑わった丸亀港。旧金毘羅五街道・丸亀街道の出発点にあたり、琴平までの150丁(約12km)の道のりを、参拝客はこの太助灯籠を目印に丸亀港に入港したものです。太助灯籠は、江戸在住の人々(千人講)が浄財を出し合って天保9年(1838年)に完成されました。台座には「江戸講中(こうじゅう)」と、そして灯籠の側面には寄進者や世話人ら1,357人の名前が刻まれています。寄進者の中で、最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなみ、「太助灯籠」と呼ばれるようになったといわれています。太助灯籠の横には前回の活動報告で取り上げた、明治5年に行幸された明治天皇が御上陸された跡地を示す記念碑が設置されています。太助灯籠の真向かいには、「みなと公園」という子どもたちの遊び場があります。こんぴら船をモチーフにした遊具もあります。公園から歩いて2分のところに、「京極庵」という歴史ある古民家を再生して、お茶や和菓子のお接待や、歴史にゆかりのある貴重な品を展示されております。お気づきの方もいるかもしれませんが、この京極庵。今回のクラウドファンディングでご支援頂いた方へのお礼(リターン)コースにもありますので、ぜひ、ご確認してみてください。今日・11日は日曜日のため休業日でした。普段はご来訪者でいっぱいです。写真のように、駐車場も完備しておりますので、京極庵へお車でお越しの際もご安心ください。次回の活動報告では、他の丸亀スポットをご案内します。


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丸亀護国神社奉賛会のMです。10月7日に、丸亀護国神社の整備事業に関するクラウドファンディングプロジェクトを公開させて頂きました。改めて、ご支援を賜りますよう、何とぞ宜しくお願い申し上げます。さて、今回は丸亀護国神社が置かれている場所の歴史についてご紹介させて頂きたいと思います。          【明治5年・明治天皇の丸亀行幸について】丸亀護国神社には「明治天皇行在所址(跡)碑」という記念碑が建立されています。行在所というのは分かりやすく言えば「天皇がご休息される場所」という意味です。この神社が置かれる前は、かつて丸亀県庁舎という役場が建っており、そこへ明治5年に明治天皇が行幸(天皇が外出・ご旅行されること)で来られた際に、この庁舎を行在所としてお泊りになりました。明治天皇が丸亀へ訪れたのは、明治5年(1872年)7月4日(天皇は当時21歳。)。本来は軍事視察を名目とした行幸であったため、来讃の際は「高松鎮台」(鎮台とは軍隊のこと)が置かれた高松へ行幸されると思うのですが、結果として丸亀に上陸されました。丸亀へ行幸されたのは、丸亀藩主の京極家の祖先が天皇系の血筋であったことや、新政府軍と旧(江戸)幕府軍が戦った戊辰戦争を終えてからまだ数年しか経っていない中、鳥羽伏見の戦いでは幕府側として参戦していた高松へは行幸し辛かったのではないかと色々な説が言われています。そういった行幸の影響なのか、高松鎮台は明治7年に丸亀へ移され、のちに陸軍歩兵十二連隊となります。丸亀への行幸の際に、明治天皇の従者として参加された顔ぶれに、参議・西郷隆盛、陸軍少将・西郷従道、海軍少将・河村純義など、歴史上のそうそうたる人物も一緒に訪れていました。明治5年7月6日、天皇は行在所をお出になり、丸亀港(丸亀の観光スポット「太助灯籠」の付近)からお帰りになられました。行在所となった丸亀県庁舎は、明治6年に兵営設置の計画によって立ち退きとなり、丸亀十二連隊西練兵場の一角となりました。ご座所の遺構は記念館として、現在は丸亀市内にある病院の敷地に移設し保存されています。後にこの旧丸亀県庁舎の敷地に丸亀護国神社が置かれ、東伏見宮依仁親王によって「明治天皇行在所址碑」と刻まれたモニュメントが置かれ、頂上に銅製の鳳凰を乗せて建てられました。この石碑は、明治維新の歴史遺産の1つとして長年大切に保存されています。そういった明治維新直後の丸亀の歴史にゆかりがある丸亀護国神社。明治時代以降の戦争で尊い命を失った御英霊への弔い、戦争という惨禍を二度と繰り返さないことを発信し続けていくこと、そして明治維新後の丸亀の歴史について思いを馳せる「ほっと一息つける場」として、1人でも多くの方に当地にお越しになってもらいたいです。