震災後、詩や短歌を読んでは震えることが多くなった。
そしてその震えはやがて繋がりへと変化していく。
震災や原発事故は分断を生んだと言われるが、物理の法則に従えば必ず反作用が現れる。震災後たくさんの人と繋がった。その繋がりには必ずまことの言葉があった。言霊が反作用を生み人々を繋げたのだ。
宮尾節子さんの詩に出会ったのは、あの忌まわしき安保関連法案が力づくで決められようとし、世の中が騒然とした時だった。「明日戦争が始まる」はツイッターで瞬く間に拡散され、僕の目にも届いた。戦争は軍靴の音でやってくるのではなく人の心がじわじわと作っていく世界に頷いた。
今の時代も同じ。covid19そのものより恐ろしいのは人の心とそれが作り出す「現象」だ。そしてその陰にはいつもまやかしの言葉があってその現象を支えているのだ。
宮尾さんとはその後、ご縁があって知り合うこととなった。福島被災地へ一緒に旅もした。目に飛び込む花鳥風月に言霊を与えようとする。まるで荒野に放たれた妖精のような振る舞いが印象的だった。
そんな彼女に詩作や朗読を勧められ、恥ずかしながらも試してみるとこれがまた心地よいことに初めて気づいた。詩歌は言語の初期形態。人が言葉にできない風景に出会った時に思わず口にする、嗚咽、嘆息、そして歓喜、、、。それを文字に乗せて記号化した初期の初期の形なんだと思うようになった。そんな形だからこそ、声を出して朗読することで完結する。詩歌とはそんな存在なのかもしれない。
もやい展は言葉の展示も一つの特徴だと考えています。
出展作家が記したステイトメントも、作品を見る前でも後でも構いません、ぜひ熟読してみてください。
そして宮尾さん、素敵な応援メッセージありがとうございました。(中筋)
浪
波、という
詩を書いて
浪江町の
歌人の
三原さんと出会った
交流が深まって
初めて 福島も訪ねた
何度か 足を運んだ
それから
わたしのパソコンの
キーボードは「なみ」と
打つと「浪」が
先に出るように
なった
浪が出ると
涙が出るように
なった
帰らなくなった
わたしの土佐の
ふるさとと
帰れなくなった
三原さんの福島の
ふるさとを思い
「帰らないのと
帰れないのは違う」と
言った
三原さんの
ことばを思い出し
*三原さん:三原由起子さん
福島とわたしの出会いは、東北大震災からである。爆発事故を起こした福島第一原発のそばの海岸に打ち寄せる、波を見てからと言ってもいいかもしれない。
原発が爆発するという未曾有の大事故が起きて、いったい日本はどうなるのかと皆が不安になって釘付けになったテレビの画面で、いつもと変わらず海岸に打ち寄せる白い波の姿が印象に残った。それは何も知らずに、いつものように遊ぼうとやってくる近所の子供たちの姿のようだった。「遊べない」と断られて帰っていっては、それでもまた「遊ぼうよ」とやって来る。大変な事故を起こした原発建屋のそばで、波はそんな無邪気な姿を見せていた。
これから、日本で今まで起きたことのないことが起きる。そうしたら、きっとこの波のように、草や木や山や川や海たちの自然、虫や小鳥や魚やそのほか、自然のなかで生きとし生ける無垢な生き物たちが、取り残され、置いてきぼりになるのだろう。理由も分からず犠牲になるのだろう。その始まりの波を見ているようで胸が痛んだ。
そんな思いで「波」という詩を書いて、その詩を読んでくれたのが浪江町(なみえちょう、と読むと。なみえまち、だよと教えてくれたのも彼女)の歌人・三原由起子さんだった。詩を読んで、「福島のひとかと思った」と言ってくれたのもおどろきだった。
震災の時、震災の詩を書くのは詩人たちには敬遠された。当事者でもない者が、感情だけで同調するのは軽はずみだとの警戒、警告もあるのだろう。人としても表現としても、吟味せよとの。よくわかる。私も手の動くままに、書いてしまったあとで、でもどうだろうと、思わないわけではなかった。
ただ、福島はわたしの知らない場所だが。ふるさとは、わたしも知っている場所だ。ふるさとを、思う気持ちは誰も同じだろう。「ふるさと」として福島を見るとき、きっと気持ちはひとつになれる。そう思った。なので、福島の人かと思ったと、三原さんに言われたときは、書いてよかったとうれしかった。
部外者がものを語るとき「当事者でない」という躊躇がある。そのことについて「誰が世界を語るのか」という詩も書いた。悲惨な経験に向き合うことがつらいという理由で、当事者が黙り、関係ない者は黙れという非難や躊躇に、当事者でないものが黙ってしまえば…わたしは、本当に思ったのです。じゃあ、いったい「世界は誰が語るのか。世界は誰が変えるのか」と――。
そして、どうでしょう。今、この時が来ました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大が、国境を超え世界中に広まった。世界中の誰もが、当事者になってしまったのです。
さあ。わたしたちはもう逃げも隠れもできない当事者として黙るのでしょうか。それとも、声をあげるのでしょうか。アクションを起こすのでしょうか。答えを探すのに、もう誰に気兼ねも要りません。そこに、私たちは着いたのです。つまり、答えを自分の手のひらに握っているのです。
表現はもどかしく、無力です。詩も写真も絵も音楽も芝居もあらゆる表現、芸術活動はそれ本体では生きられません。手に取ったり、足を運んだりしてくれる読者や観客がいなければ、なりたちません。
震災から10年が経ちました。もやい展に集まった表現者たちの見せる世界を、こんどは、自分たちの身に降りかかったこととして眺めてみてください。感じてみてください。
そこに、わたしたちの答えの手がかりが怖いほど見つかるはずです。
状況は瓜二つです。
見えない敵、防護服、外出自粛、接触禁止、閉店した店、人の居ない町、風評、失職――中筋さんが撮り続けている景色、みなさんがそれぞれに表現で訴え続けている作品たちは、今、ひと事ではなく、わたくしの事として迫ることでしょう。
最後に、私の好きな詩を置いて「もやい展」の応援とさせてください。
***
ひとりで、ひとつの島全部である人はいない。
だれもが、大陸のひとかけ。全体の部分をなす。
土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパは、それだけ小さくなる。
岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
わたしも人類の一部であれば、だれが死んでも、わが身がそがれたのと同じ。
だから、弔いの鐘は、だれのために鳴っているのかと、
たずねに行かせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
ジョン・ダン「危機に瀕しての祈り/誰がために鐘が鳴る」
***
もやい展はあなたの展覧会です。
なので、あなたに応援を頼みます。
宮尾節子
宮尾節子プロフィール
高知県に生まれる。
第10回現代詩ラ・メール新人賞受賞(1993年)
既刊詩集に『くじらの日』(沖積舎・1990年)、『かぐや姫の開封』(思潮社・1994年)、『妖精戦争』(微風通信・2001年)、『ドストエフスキーの青空』(文游社/影書房・2005年)、『恋文病』(微風通信/精巧堂出版・2011年)がある。
最新刊は「女に聞け」