「障害のある人もない人も、互いに支え合い、地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す(厚生労働省)」という考え方がある。「ノーマライゼーション」と呼ばれる概念であり、福祉の理念となっている。この言葉を最初に私が知ったのは、介護・福祉の仕事や勉強を始める前に、市議会議員として福祉政策について市の説明を聞いた時だった。そんなことも知らなかったのかと一部の方々からは叱られるかも知れないが、この言葉を聞いた私が考えたことは、「ノーマル=普通、標準」、「普通にする」、「標準化」、「障害者を健常者と同じにする(普通にする)→無理だろう」ということだった。もっとも、少し考えて、健常者と全く同じ心身の機能を実現したり、人や社会との関係を築くことは出来なくても、それに近づけることだということを理解した。
次に私が考えたのは「ノーマライゼーション」などと言うカタカナ言葉を使っているのであれば、日本人に対して、また市民に対しての福祉政策としては不十分だということだった。結局のところ曖昧な理想論を掲げて、現実とのギャップを見て見ぬふりをするような対応しか出来ないのではないかと感じた。私は市に対して「ノーマライゼーション」という言葉を使わずに市民に対して日本語で分かりやすく説明してはどうかと提案したように記憶している。
それからこの言葉に出会ったのは2年くらい後だった。物語では「介護の基礎研修」と書いているが、介護職員としての基本的な知識と技能を学ぶ「介護職員初任者研修」を受講した時だった。そこでもこのカタカナ言葉が普通に使われていたので、2年程前に市議会で「ノーマライゼーション」を日本語で説明したらどうかと市に提案したことが、正に、標準と外れていたことを知ったのだが、私の考えは、必ずしも間違いではないだろうとも思っている。
その事自体が、私のノーマライゼーションを考える良い題材にもなる。周囲に合わせて行動しないと「異常」だと思われる、「劣ったもの」と見られる、「少数」として扱われるということである。
私としては「ノーマライゼーション」という言葉を知り、研修でその言葉に再び出会った時には、10年以上、起業やベンチャーについて考え、その本質を探究してきたこともあって、このノーマライゼーションという考え方、さらには、障害者など社会的に何らかの生きづらさを抱えた人々の生活と起業家あるいはリーダーとしてのあり方に類似性があるように思えた。
障害者など困難を抱える人と「ノーマル」に接するためには、自らが常に「アブノーマル」な環境に身を置くこと、つまり、何かに挑戦することが大切ではないかと思う。日常生活を送っていると、何か違うのではないか、別の方法、他の道があるのではないかと思うことが時々ある。そんな風に感じないことも多いのだろうが、そう感じる以上は、人と別の方法、他の道を探ってみるのが、自らの使命ではないかと思う。
ペンギンの群れで、天敵がいるかも知れない海に最初に飛び込むペンギンは「ファーストペンギン」と呼ばれる。その危険を恐れない勇気ある行動をたたえるものである。私がこの言葉を知ったのは、NHKの朝の連続ドラマで話題になった時だった。それ以前にアメリカに留学していて合計3年住んでいたが、そういう言葉を認識していなかった。私の周りで語られていたとしても意味を説明してもらわない限りは「可愛い動物のペンギンの話をしている」くらいにしか思わずに、記憶にも残らなかっただろう。
ファーストペンギン、ベンチャーの精神は、福祉分野にも通じると思う。そんな事も踏まえて書いたのがチャレンジ介護士篇の「ノーマライゼーションとは」。
私が書いた介護の仕事に関する文章の中で、認知症についての「認知症対応」が一番多く読まれていた。次に読まれていた「ノーマライゼーションとは」について書こうと思って、私自身が読み直している間に、こちらの方が閲覧数が多くなってしまった。
障害者等に対するノーマライゼーションと、私の生き方としてのノーマライゼーションを両方とも考えていかなければいけないような環境を改めて意識しているのは、偶然ではなく、何かの必然なのかも知れない。
★この記事はnoteサイトに掲載しています。