クラウドファンディング「Good Morning」内で募集させていただいている「北三陸が誇る郷土食『豆腐田楽』を未来へつなぎたい!」へのご支援に45名の方々、総額427,000円もの支援金をいただいております。
本当にありがとうございますm(_ _)m
先代・上下(かみした)さんより応援コメントいただきました。
うまく豆腐ができなかったときなど、これまでの経験で培った情報を教えてくれ、支えていただいている上下さん。
息子(2歳8か月)を連れていくと「孫が来た」と喜んでくださり、 ちょっとした作業の間など見ていただくこともあります。息子も、「ばあば(=上下さん)のとこ行きたい」と話すこともあり、とてもなついています。
夫婦そろって移住者の鬼束家にとって掛け替えのない家族です。
*************************
鬼束さんのことを知ったのは、村の広報です。
毎月、地域おこし協力隊通信を楽しみにしていました。
そんなある日、焼き豆腐を買いに来てくれたときに、初めて対面し「いい記事書くねぇ」と話したのを覚えています。
その記事の内容は、「すみません」を「ありがとう」と言い換えるだけで相手への印象が変わるといった内容の記事でした。
この記事を読んだとき、ほんとにそうだと思いたまに思い出しては実践しています。
私は、義親の世代から豆腐屋を始めたところへ嫁ぎ、いまの加工場を建てて40数年もの間豆腐製造をしてきました。夫が入院しているときは、豆腐を作り終えた後、原付バイクで1時間ほど離れた病院へ向かい用事を済ませ、再度豆腐を作る生活もしました。夫が亡くなり20年近く1人で作り配送などは周りの方に助けられ続けられてきました。小学校で豆腐づくりを教え子どもたちにも楽しんでもらったこともありました。しかし、やりたい気持ちはあっても億劫になっていき年末の掻き入れ時を最後に、暖簾を下ろそうと決めました。
廃業することを聞き「後を継がせてください」と頼まれたときは嬉しかったですが、本気なのかわからず回答を先延ばしにしていました。でも偶然、機材の回収業者が交渉に来たその日に、再度やらせてくださいと鬼束さんが訪ねてきたとき、何かの縁かもしれないと思い承諾しました。
それから3週間ほど作り方を教え込み豆腐屋の営業を再開しましたが、年末の慌ただしさもあって形が揃わないなど、出来はお世辞にもいいとはいえませんでした。
そこから他店へ修業しに行き、元々外国産の大豆を使用していたのを国産に切り替えつつ、上下豆腐の食感を再現するなど技術をあげてきました。
奥さんが体調崩したときは、幼いまーちゃん(=息子です)を背負い作業していたこともありました。
彼の意志の強さや豆腐を作り始めてたときからの姿勢を見ていると応援したくなります。
鬼束さんには、焼き豆腐の文化を次代に受け継ぎ、豆腐を通じて普代の発信してくれることを期待しています。
***********************************
それではお聞きください。
吉田拓郎「ファミリー」
https://www.youtube.com/watch?v=_40BgFHAVSw