現在、264,000円、目標金額の44%ものご支援をいただいております。
みなさまありがとうございます!
今日は、協力隊時代のの担当係長から応援メッセージです。
普代に来た初日、自転車で散策しているとき連絡が来て近くまでわざわざ迎えにきてくれました。また、新年明けで忙しいはずなのにご馳走や宿泊させていただき歓迎くださいました。
ぼく自身長男で、兄のいないぼくにとっては兄のような存在でお世話になりっぱなしな人です。
このメッセージを送っていただいたとき、いろんなことを思い出し泣きそうになりました。
定住を決めた理由は恩返し。
係長にもそうですが、協力隊の3年で親のような存在の方々や地域のみなさんにいろいろと学ばせていただきました。
だからこそ定住を決めたし今度はこちらからなにか還元していきたいのです。
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彼(おにっち、鬼)との付合いは、平成27年1月に地域おこし協力隊員として普代村に移住してからとなります。当時、私は地域おこし協力隊受入担当をしており、彼が普代村第1号となる地域おこし協力隊員として着任しました。
地域おこし協力隊時代は、興味があった農業や林業を学ぶため地元農家さんへの農業研修や前職であったシステムエンジニアのスキルを生かし情報発信業務を担っていただきました。持ち前の「人なつっこさ」を最大限に活用し、研修受入先の農家の自宅を我が家同然に衣食住先に…。気合を入れるためか?丸坊主にしたところが宮崎県出身で東北の寒さを知らず数日後には「カツラ」を着用…。業務外では、やはり持ち前の「人なつっこさ」と新たな武器「カツラ」により課内の飲み会、お呼ばれもされていない他課の飲み会、地域外の自治会の飲み会などへ積極的に参加し仲間づくりに励んでいました。
平成29年12月末で地域おこし協力隊員としての活動が終え、私は彼の貴重な3年間という時間の中で、「本来自分自身がやりたい活動」、「3年後の将来を見据えた活動」について親身になって考えてあげられなかったように感じています。
しかし彼は、家を買い、農地を買い、普代村への定住を決意しました。結婚し子供ができ家族を守る立場ともなり退任から数年間は、「ITコンサル業なのか?農業なのか?豆腐屋なのか?畑を耕し、大豆を植え、鹿に食われ…。豆腐は作るが硬すぎる形が悪い…。」と、生きる方向性に本当に苦悩していました。苦悩する中で私との意見も食い違い口論することも多々ありました。
そのような彼が、今、大きな柱を選択し「TOFokU」を屋号とした豆腐屋を生業とし生きようとしています。不定期だった豆腐づくりが毎朝の豆腐づくりへと変化し、そして、自らの足により出来立ての豆腐を持って、地道に各戸を回り訪問販売する姿を目にしています。
私は、彼の普代村への定住を決意した勇気、そして、彼の豆腐づくりへの地道な努力を尊敬します。これからも苦悩の日々は続くとは思いますが、あなたの頑張りは、少なからずここに生きる一人の人間の勇気となっています。
「これからも地道な豆腐づくりをがんばってください。いつまでも応援します…」
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それではお聞きください。
吉田拓郎で「アキラ」
https://www.youtube.com/watch?v=9NPtHdz7JG8