こんにちは
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
日本では、やっと猛暑日が少なくなり、少しずつ過ごしやすくなってきている頃でしょうか。
コスタリカは、雨季と乾季に分かれてはいますが、通年 気温はほぼ変わらず、
過ごしやすい毎日を過ごす事ができます。
衣替えをする必要はなく、1年中半袖で過ごす事ができます。
今回、私たちが応援している民芸品店ですが
長いコロナ禍を乗り越えるのに、厳しい状況が続いております。
従業員の削減や労働時間の短縮を避けることは難しく
現在、金、土、日は休み、平日の労働時間も不規則になってきております。
細々となんとかやってはおりますが。
これ以上の人員削減は、避けたいと思っております。
そのためには、皆様のご協力が必要になります。
少額の支援でも貢献していただけると非常に嬉しいです。
もしくは、お友達やお知り合いの方々に拡散していただくだけでも
民芸品店と観光業従事者を助ける事に繋がります。
さて、今回も引き続きコスタリカについてご紹介したいと思います。
少しでも、皆様にこの国を知っていただければと思います。
まず、コスタリカという国名の由来について
Costa Rica コスタリカ は、豊かな海岸という意味になります。
なぜ、このように名付けられたのか。
1502年 コロンブスが第4次航海でコスタリカが発見されました。
コロンブス一行を迎えた先住民達は、侵略者とは知らずに、
たくさんの果物を差し出し彼らを受け入れました。
さらに、金の装飾品を着飾っていたので、
スペイン人達は、ここは食べ物も金も豊富にある国だと思い、
豊かな海岸と名付けました。
ただ、実際に侵略化が行われていくと思ったほど
お金も食べ物もなく、思ったほど利点はなかったようです。
そして、300年以上植民地時代が続きます。
その間にヨーロッパから持ち込まれた感染症により
先住民の人口は著しく減少しました。
やっと、1821年 スペイン本国の衰退、グアテマラが独立をしたのをきっかけに
コスタリカも独立しました。
しかし、そのあと メキシコ帝国に併合され
完全な独立国家とは言えない状態でした。
真の独立を果たしたのは、それから27年後の1848年になります。
コスタリカ共和国の誕生です。
独立後、コーヒーの輸出が盛んになり、経済的に潤っていきます。
コーヒー貴族が生まれ、彼らの中から大統領を選んだり、庶民の意見は聞きいれず、
彼らに有利な自由放任主義の政治を行ったり、
また、裕福な環境で育ったインテリたちが政治に介入。
彼らがより住みやすい国作り、「インテリ独裁」の恐怖政治が続きました。
1920年代に入ると政党同士の激しい対立が起こり、衝突を繰り返しながら
民主的な共和国づくりの努力が続けられました。
その努力のおかげで今のコスタリカ、平和、軍隊を持たない国、全ての国民が選挙権を持つ、、
教育や医療システムの充実化が成し遂げられました。
こちらの写真は、以前 軍の司令本部であった建物になります。
現在は、国立博物館として使われています。
館内では、先住民の時代の暮らしから現在に至る歴史を学ぶことができます。
コスタリカへ来た際は、ぜひ立ち寄っていただきたいです。
簡単ではありますが、コスタリカの歴史について、ご紹介させていただきました。
引き続き、頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。