こんばんは、お仕事お疲れ様です。代表のかしまです。
あと残り4時間で、支援終了です。
「何故私は、ビールの力に魅せられるのか。」
最後に一つ、誰にも話した事のない、私の心の中にあるお話させて頂きます。
5歳くらいだったでしょうか。
当時雨漏りもするようなボロボロの平家に住んで生活していた時期、父は自営業で、毎日のように朝早くから夜遅くまで休まず家族の為に電気工事業という職人仕事を頑張っていました。
当時はコンビニもなく、直ぐ近くにお婆さんが経営する小さな商店に、裸銭を握りしめて、一人で父のビールを買いに、よくおつかいに行っていました。
父は、根っからのビール好きで、ビールで始まりビールで終わる男です。
その頃から父の影響で、幼少期ながら瓶のラベルの種類をみてどれが何なのかを理解する程でした。そして、自分が買ってきたビールを美味しそうに飲む父の姿が大好きで、嬉しかった。
よく幼少期、父がこう言っていました。
「早くお前が二十歳になって、父ちゃん、ビール飲み行こうや!て言わんかのー」
時は経ち、そんな父と、私は、10年以上口をきかなかった時期があります。
私は、10代、思春期の病が強く、恥ずかしながら横道に反れた生活をしておりました。父の気持ちが分からず、よく殴られました。あんなに好きだった父を憎く思う事もありました。
17歳、度を超えた事をしてしまい、施設に入れられました。
そしてそこで、人生で初めて自分と向き合いました。
もう、これで、自分は捨てられる。そう覚悟していました。
毎日毎日毎日反省しました。
反省し時間が経ち施設を出て、父は私を見捨てず、こう言いました。
「ひとさまの為になる事をしろ。まだ頑張れば何とでもなる」
人生を大きく変える日になりました。
久しぶりに父の目をしっかり見た気がした。
ずっとどこかに親父という大きな存在が居て、どこかで影響されて自分がいると思います。世界でビールを見てきた事、飲んだ事、ビールを作ろうと思った事、ビールには人と人を繋げるパワーがあるという事。
親父の周りには、いつも職人の仲間の人がいた。そこにはいつもビールがあった。
先日、少し自分と向き合う機会がありました。
「親父、一緒にビールでも飲み行こうか!」
37歳になって初めて親父を連れ出し一緒に飲みに出ました。
親父、時間かかってごめんな!
老いてきた親父、やっぱり乾杯はビールだった。
親父の嬉しそうな表情をゆっくり何十年ぶりに見たかもしれない。
自分が頑張る一つ理由に、親孝行があります。
勿論、家族、社員、お客様、あなたの為に私は頑張りたい。
今回のWorld Beer Terminalは、そんな思いもあることを、恥ずかしながら、ご紹介させていただきました。
リターンの一番上にある、
7月7日のクラファンのパーティーには、両親も招待しようと思っています。
あと支援できる時間もあと4時間で終わりですが、
親父の好きなビールを片手にみんなで楽しく盛り上がりたいです。
皆さま、引き続きよろしくお願いいたします!
今日も、あなたとあなたの大切な方にとって雪崩のような幸せな最高な1日でありますように。