2021/06/21 08:00
初めて朱鞠内を訪れたのは1976年のことだった。「北海道でタコ部屋を再現する構想」という新聞記事に引き寄せられて。殿平さんのお話では、本州から在日朝鮮人が来たのはそれが最初だったという。巨大なダムの前に立った時、この酷寒の地で多数の朝鮮人が犠牲になったのかと慄然とした。
2回目の訪問は89年。シンポジウムの講師として招かれた。タコ部屋再現よりはるかにスケールアップされた活動、遺骨の発掘が80年から続けられていた。しかも各国の若者が集う東アジア共同ワークショップとして。
翌日、フィールドワークが行われた。光顕寺に残る位牌や遺骨…。うっそうたる笹やぶに入ると所々に窪みがある。その下に遺体が眠っているだろうと聞いた時、全身が強制連行の惨事に貫かれた。
90年代には日帝植民地統治の再発見活動が急浮上した。だが近年は歴史の抹消をはかる動きがうごめく。笹の墓標展示館の試みが真の平和の森に育つことを願ってやまない。
映画監督・ノンフィクション作家
高賛侑