(「笹の墓標展示館」再建のための募金活動は、韓国でも取り組まれています。今までの活動で縁があった方々へ協力をお願いしようと鄭明禧(チョン·ミョンヒ)さんが宛てた手紙を紹介します。)
アンニョンハセヨ。鄭明禧(チョン·ミョンヒ)です。 皆さんには、本当に久しぶりの挨拶となります。
この手紙を受け取った方々は「日韓大学生ワークショップ」、あるいは「東アジア共同ワークショップ」で、(当時の名称が何であれ) 日本、そして北海道に縁があった方々です。(チョン·ミョンヒと縁のある方でもありますね)別の言葉で言うなら、日本という国を思い浮かべる時、一度は殿平善彦先生や北海道・朱鞠内の光顕寺を思い浮かべるであろう方々です。
私が東アジア共同ワークショップ(その当時の名称は、日韓大学生ワークショップ)に初めて参加したのは1997年です。もう20年以上の時間が流れましたね。 その出会いを通じて、私はたくさんの大切な方々と出会いました(皆さんが、まさにその方々です!)。そのおかげで、人間としても少しは成熟できたのではないかと思ったりもしています。そして、何より、直接には見たことも経験したこともない歴史のために努力するためには「平和」と「愛」が必要だということを、殿平先生と鄭炳浩(チョン・ビョンホ)先生から学びました。
ある期間、とても情熱的にワークショップに参加しました(その「ある期間」が、実は10年以上にもわたる歳月になるんですよね!)。今でも、夏に関する私の思い出のほとんどはワークショップです。今でも夏になると少し緊張と、ときめきを感じます。北海道の新千歳空港の入国審査台、西本願寺・札幌別院で酒を飲みながら夜通し討論したこと、北海道大学の美しい景色を見物することもできずセミナーばかりしたこと、ずっと止むことなく雪が降り続いていた札幌の街角、最初は味が濃すぎて水で薄めて食べた札幌のラーメン、雨が降る発掘現場にテントを張りに出かけたこと、発掘現場で初めて遺骨を発掘し、どう受け止めたら良いのか持て余してしまったこと、朱鞠内の森の中で虻(あぶ)に噛まれてすごく苦労したこと、李泳禧(リ・ヨンヒ)先生と一緒に札幌のビアガーデンに行ったこと、稚内で飽きるほど食べたホタテ、発掘現場で、朝鮮、日本、アイヌのそれぞれの風習にのっとって法事を上げた記憶、北海道に響き渡った鄭泰春(チョン・テチュン)・朴恩玉(パク・ウノク)先生の歌声、在日コリアンの友達と一緒に歌った「なごり雪」、朱鞠内湖でカヌーに乗ったこと、光顕寺で雪下ろしをしたら足下がトイレの屋根ですごく驚いたことなど… こんなすべてのことをどうして忘れることができるでしょうか?
その中でも、私の心を一番大きく占めているのは朱鞠内の光顕寺です。私は生まれて初めて、光顕寺で私の歴史、そして日本と韓国の歴史に向かい合いました。光顕寺で保管されている、日本による植民地時代に強制連行・強制労働の犠牲となった方々の位牌を初めて見た時、韓国から飛行機に乗って来るにもこんなにも時間がかかる、あまりにも遠い土地に朝鮮人がダム建設のために連れてこられたということを、心身ともに通じて生々しく感じました。光顕寺は強制労働、強制連行の歴史の現場であり、生きている証人そのものだと思いました。
光顕寺は、このように、歴史に触れる場所でありながらも、新しい歴史を創り出す場所でもありました。いまだにあちこちで話題にされる「アンケート事件(事件と呼ぶべきなんでしょうか?)」のため本当に何日も頭を悩まされ、光顕寺の屋根の下で泣いたこともありました。光顕寺の前の庭で、韓国人、在日コリアン、日本人、アイヌの友人が一緒に集まりカヌーを作ったりもしました。国、国籍、民族を問わず、朝鮮の伝統楽器のチャンゴ(鼓)や銅鑼、太鼓、アイヌの伝統楽器を学び、私が作った数十袋分のラーメンの大鍋で、民族と国の大団結を成し遂げたりもしました。光顕寺の本堂で日韓の友人が肩を組み、声を合わせて「朝露」を歌ったり、光顕寺本堂の床が崩れ落ちそうになるまで友人とお酒を飲み、飛び跳ねたりもしました。今でもそのすべての場面が生々しく浮かんできます。確かに、私は朱鞠内の光顕寺近くの蕎麦畑のどこかに私の魂のかけらを置いてきたようです。
そんなある日、私の心の故郷である光顕寺が倒壊したという知らせを聞きました。人とは本当に愚かなものですね。私が北海道・朱鞠内の光顕寺に初めて出会ってから25年近く経ったのに、なぜ人だけが年をとるものだと錯覚し、建物も年を取ることに考えが至らなかったのでしょうか。光顕寺の「年齢」は、いつしか87才にもなっていたのでした。この光顕寺がなくなってしまえば、日本現地でほぼ唯一、犠牲者とともに強制労働の現場を記録した資料館もなくなってしまうのであり、それに伴って、皆さんの歴史における最も大切な記憶の1ページも消えてしまうのです。
日本では、光顕寺を「笹の墓標展示館 - 強制労働資料館 - 」として再建し、日本の帝国主義の時代の強制労働の歴史を伝え続けるため、「笹の墓標展示館再生・和解と平和の森を創る」実行委員会が結成され、募金を募っています。 2022年の完工を目標にしており、目標金額は3,000万円(約3億ウォン)です。3,000万円は決して小額ではありませんので、本当にたくさんの方からのサポートが必要です。
そのため、韓国でも社団法人「平和の踏み石」の名義で専用口座を開設し、カンパを募集しています。 皆様のご参加、ご支持、ご支援を心からお願い申し上げます。
最後に、古代の数学者ピタゴラスの言葉で締めくくりたいと思います。
最古であり最短の言葉である「はい」と「いいえ」は、
もっとも多くの考えを求めてくるものだ。
- ピタゴラス -
私のお願いに「はい」と答えてくれますよね? 愛していますよ。
2021年6月29日
鄭明禧(チョン·ミョンヒ)より