進学で島を離れ10年後に帰郷すると、集落(シマ)から賑やかさが一気に減っていた。
人の歩く姿が減り、崩れかけた空き家や草木に覆われた空き地が増えた。その空き地で野球したり基地にしている子供はみかけない。 車から降りて歩いていても、あいさつや笑顔が少なくなった。商店の入り口は閉め切られておばちゃんも見かけない。浜辺に出ても夕涼みや井戸端会議する人はいない。
村から農地の方に車を走らせると、区画整理された農地にはたまに機械が働く。ガタガタだった農道の多くは幅広くなり、舗装されて車が通りやすい。でも木の実・果実やクワガタを探しに通った山すその道には草がかぶさり、その奥にある農地は耕作放棄されて、収穫作業の熱気や”土いきれ”は雑木林に覆われてしまったかのようでした。
けれど、山の緑や海風の匂いや波音のリズムは相変わらずで、ゆっくり時が流れていて「ホッ」としたのも覚えています。
それから12年間カフェを経営しながら、島の魅力を引き出そう・表現しようと考えてきました。また、スキューバダイビングの師匠について潜り、かつて素潜りでは見えなかった島の海の魅力にも感動しました。 でも、素潜りで潜る範囲では10年前よりも断然海が汚れて海藻が減り、カラフル⇒セピア色になったような感覚でした。
実は綺麗に整備されている農地周りでは除草剤の使用のため山野草は取れないほか、赤土が露出して海に流れ出しているのです。 「除草剤=悪」のイメージをずっと持ってきました。 ただ、色んな事情もみえてきました。農業の島・機械が通るためには道を平らに、もちろんハブも住む島なので草木を繁茂させては危ない。けれど、戸数の減った農家では伐採作業が追い付かないのです。 これは宅地でも一緒で、人が住まなくなって親戚や知人が管理する土地では除草剤をまかざるをえない事情があるのです。
私もカフェを営むと週に一日も休めないこともあり、店舗から離れた地元集落の土地にはなかなか行けず、綺麗にもできませんでした。どうしようか? 地元の人に文句言われないだろうか? といつも頭の片隅で気になっていました。
いっぽう、島の昔の暮らしは無駄がなく雑木は薪に、沿道の草は牛などの家畜のえさに、つわの葉やタラの芽は季節の食卓に、ヨモギは薬草に、サネンは虫よけや包み紙・薪をしばる紐にもなるなどあらゆる植物を食用・飲用・薬用などに活用していました。 農道や法面は宝でした。そして生き物の住処になるほか、泥や大雨の流出を和らげてくれます。私は「グリーンバンク」=緑の宝庫・緑の堤防 と表現したいと思ってます。 そしてその島らしい生き方や島の良さを次の世代たちに教えたいと思っています。 だから除草剤を使わないでほしい。 安全で健康的な心から安心できるものを子供達に与えたい。
でも、農作業を小さなころから手伝っていたので農家さんの大変さや農業という産業の窮状も痛いほど伝わってくるから、一方のみを責めることもしたくない。 地域内に分断(例えば農家VSエコ・観光業・自然遺産)が産まれてほしくない。
昔ながらを大切にしながら、社会の変化に対応する。色んな立場の人がそれぞれを認め合い応援し合うような~~幸せが増えるような取り組みができないだろうか?? と悩み続けていました。そして、色々とアイデアが産まれたり自らも色んな人生経験を積んで考え方もアップデートされてきて、いい年にもなった。 社会の大人として、島に産まれ、先祖とみらいをつなげる役目として、個々人ではできない大きな課題にチャレンジしてみよう。
そう思ったのがこのチャレンジにつながる「SDGs(持続可能な開発目標)」への挑戦でした。