「11月3日記す」
この涙を見た後だったら、数日前の彼の頼みを聞き入れていたかも知れない。
ブラジルの若者達が、我が家に同居して1ヶ月半になる。
陶芸ばかりで無く、掃除や洗濯など日々の暮らしの中で、厳しく指摘することばかりだった。
とりわけウェリントンには、ロクロに執着せず、未知の世界へ飛び込むよう繰り返し指摘したが聞かなかった。
彼が来てから1ヶ月ほど過ぎた頃、『君がやってることはクーニャで出来る。此処に居る意味が無い。クーニャに帰れ』と叱りつけた。
今日、村の運動会の綱引きに参加してウェリントンがリーダーシップを取り、上野地区が見事に優勝した。
彼は昨日も、村の婦人会に混ざって大量のオデンを作り、今朝も朝早くからオニギリ作りに参加した。
デッカイ身体から想像できないが、料理するのはとても好きだ。
音楽も好きで、ひまさえあればカバキーニョ(ブラジルのウクレレ?)を奏でている。
日本人が40年かけて作り上げた陶芸の街、クーニャから来ているので、来た当初から20キロの大壺を容易に作り上げた。
3人の中で1人だけ英語が通じないこともあり、僕と度々衝突した。
今夜、彼はフラフラに酔っていた。
僕に横に座れと言う。
何か話し始めて、ポロポロと涙をこぼした。
『自分の中で、日本とブラジルがひとつになった、このプロジェクトを有難う』と言ってるとドーグラスが通訳した。
今日の運動会と先月の楽打ちが、強い感動を与えたようだ。
数日前、大壺を焼きたいとの彼の申し出を僕は撥ね退けた。
焼いた後に持ち帰る予定がなければ、何のために焼くのか。
カズエが来てすぐ、彼女が最初に作った土瓶も土に戻すように言った。
カズエは、自分が作った最初の土瓶を土に戻したくないと抵抗したが、僕は聞き入れなかった。
『プロを目指すなら、いい加減なものを残すな』
僅か2ヶ月ほどの時間に習得したものを性急に形にして、一体誰に見せると言うのか?
ここで摑み取った得体の知れないものをブラジルに持ち帰り、ゆっくり時間をかけて形にしていけばいい。
数日前のミーティングで、カズエはその時の事に触れ、今は納得していると言った。
2ヶ月ほどの滞在で、技術的な習得よりも、心に深く残る何かが、彼等の中に芽生えたなら、ブラジル プロジェクトの1回目は意味があったと言えるのではないかと思っている。