「10年の幸福写真」の元ネタ
日本人は「幸せ」について人と話したり、議論したりするのが苦手なんだそうな。おおっぴらにひけらかす感じがしてちょっと恥ずかしいのかも知れません。
震災から10年のタイミングの石巻で「幸福」という言葉を使うことにはやはり躊躇しなかったわけではありませんでした。
「これが幸福です」って言いづらいし、人それぞれの感じ方も違う。もちろんカタチがあるわけじゃない。よく考えてみたら普段の会話の中で「幸福」って言葉を使うタイミングって無い!?
そんなときに一冊の本が背中を押してくれました。
天才アラーキーのそのままズバリ!『幸福写真』というタイトルの本。
すっかり内容は忘れてしまっていたけれど、確かまえがきに書いてあった(はず)の 照れずに真面目に幸福写真。というフレーズがとても印象的でずっと頭の隅っこに残っていたんですね。
注文して手に入れてみたんですが、まえがきを見るとやっぱりそう書いてあった。
それを見て勝手に背中を押してもらった気がして、タイトルの文字を手書きして、急いでチラシの原案をつくって実行委員会でみんなに見てもらいました。
結構ドキドキしました。
反応はやはり「幸福写真」という言葉へのちょっとした違和感があったんだと思います。その場でみんな「いいねー!!」とはならなかった。
でもそれがリアルだしそれでいいなと思ったんです。
写真展や写真集をつくりあげていく中で「幸福ってなんだろう?」って一緒に立ち止まって考えたり、「幸福であって欲しいなぁ」って誰かの幸せを願ったり。手や足を動かしているうちに、気がついたらそういう風になれたらいいんじゃないかなって思ったんです。
たくさんの悲しいことがあった石巻から、「幸福写真」を届けられるようになったら、すごく意味があるんじゃない?意味が生まれるんじゃない?って思うんですよね。
最近の実行委員会メンバーの会話の中では「幸福」っていうワードを照れずに使っていい雰囲気が生まれてきているような気がします。
照れずに真面目に幸福写真。
やっぱりアラーキーは天才だな。