こんにちは、はじめまして!森内と申します。CHADではイベント企画を担当しています!
突然ですが、はじめてCHADのミーティング見学に行ったとき、わたしには驚いたことがありました。
先輩の口から見知らぬカンボジアの人たちの名前がぽんぽん出てくるのです。それはCHADが一緒に活動しているカンボジアの大学生らの名前でした。CHADは現地の大学生と一緒に活動しています。そもそもCHADが運動会をするきっかけになったのは、彼らが
「カンボジアには運動会が必要だ」
と考えたからなのです。
わたしは「自分の国をよりよくしたい」というその国の人々の想いを応援する、という一方的ではないボランティアのかたちに強く惹かれました。ここでならわたしが理想とすべき「人との関わり合い方」ができるのではないか、そう考えてCHADに入りました。
ところが、CHADに入ったわたしの目下の悩みといえば
「これは価値観の押し付けではないか」
「独りよがりな支援になっていないか」
「ボランティアは自己満足ではないか」
といった、およそボランティアをする人が必ず突き当たる課題です。日本で活動していると、どうしてもカンボジアの視点でものごとを考えるのが難しいのです。しかし、わたしたちはそんなとき友人である現地の大学生に頼ることができます。
友だちが「何をしたいのか」
「何をしてほしいのか」
わたしたちはそれに答えて、
一緒に行動すれば良いのです。
それはカンボジアの友人に対してのみ言えることではありません。わたしたちは、日本の友だちに対しても、カンボジアの友だちに対しても、いや、国に関係なくどんな人に対しても、
「自分のしたいことを伝える」
「相手のしたいことに耳を傾ける」
そして「お互いのしたいことに折り合いをつける」
これによって「一緒に生きていく」ことができるようになるのではないかと思うのです。誰もがどんなにがんばっても人と分かり合えないというもどかしさを感じたことがあると思います。しかし、その「分かり合えない」という前提に立った上で、人と分かり合うことを諦めないでいることが大切なのだと感じています。
わたしは今、日本でCHADの活動をしていて強くこのことを感じます。CHADの仲間と意見が食い違うことがたくさんあるのですが、ここで相手の意見を否定するだけでは何も生まれません。CHADにはわたしの想いを汲み取ろうとしてくれる人がたくさんいます。たとえ理解できなくても「理解しようという姿勢」でいてくれることで、わたしは自分の想いを伝えるために言葉を尽くそうと思えるんです。
わたしは日々、この「分かり合うことを諦めないこと」がコミュニケーションの根っこにあると痛感しています。わたしはCHADで学んだ「人と分かり合うことを諦めないこと」を団体に還元して、それぞれがそれぞれの想いをもってひとつのところへ向かっていくことを今年のプロジェクトで実現したいです。
学生団体CHAD 森内 こゆき