私がCHADを愛する理由は、どんな瞬間も共有したい仲間がいること。楽しいときは誰といても楽しい。でも辛い時や苦しい時を共に過ごしたい人は限られている。
CHADでの活動は幾度も壁にぶつかった。今のCHADの姿は創設時には想像できなかった。無名で自信もなかったから「CHAD」と名乗ることも恥ずかしかったし、1年継続するか分からないくらい脆かった。会議室の予約の仕方、会議の進め方、資金の工面など分からないことばかりだった。ようやく団体として体裁が整ってきたら、急な日程変更や開催予定校の変更など、振り返ってみれば困難だらけだった。カンボジアで運動会なんて本当にできるのか、私たちの活動に意味はあるのか。不安で眠れない日もあった。
でも、CHADには一緒に悩んで、とことん議論して、背中を押してくれる仲間がいた。「不安の原因を一つずつ解決していこう」と。何が不安なのか、どうしたら解決するのか、一つ一つに真剣に向き合ってくれた。
CHADは困難にぶつかる度に強くなっていったと思う。
CHADと似たような活動をしている団体は他にもある。CAHDが他と比べて特別だとは思わない。でも、人生の中でこのような団体に出会える機会はそう多くないから、私にとってCHADとの出会いは特別。出会えたことが奇跡。だからこそ、日本人でもカンボジア人でも他の国の人でも、私みたいに感じる人が増えたら嬉しいし、CHADにはこれからもそう感じられる団体になってほしい。
過去も現在も未来も、CHADを愛する気持ちは変わりません。