ちょっといい機会ですので、本体(デザイン事務所+編プロ)の話をさせていただきます。
「下請けにならない」。この言葉は、山形のデザイナー、奥山清行氏がいろいろなところで言っている言葉なのですが、ギャラリーを失うことになったのは、ある会社の下請けになってしまったのが、原因だと思っています。
2009年、25年間勤めてきた出版社を早期退職し、女性クリエイターがずっと自分のやりたい仕事を続けられる環境を維持することを目指して、2010年3月に会社を興しました。デザインスタッフは全員女性ですし、外部スタッフ(カメラマンやライター)もできるだけ女性にお願いする方針で仕事を続けてきましたし、これからも変わらないと思います。
実は当初、個人事業主の形でスタートすることにしていました。ただ、私はデザイナーのための特別な訓練は受けていないので、まずは、デザイナーをスタッフに組み入れる必要があり、少しで優秀な人材をと、すぐに株式会社にしました。卒業直前(2月)にもかかわらず、新卒も含め多くの人が応募してきました。2年前のリーマンショックの余波によるものだと後で知りました。まず、新卒の美大卒生を雇いました。11年たった今でも、メインスタッフとして、会社を支えています。
2年目に、知り合いから定期雑誌の仕事の依頼が来ました。分野も得意な医療系で2誌でした。スタッフを増やすにしても、2誌受注すると、ほかの仕事が受けにくくなるので、1誌だけをOKするつもりでしたが、押し切られていました。「下請けにならない」経営をしようとしたからです。でも、起業して2年目だったので、とりあえず、経営が落ち着くと考え、2誌受注しました。
でも、そんな状態が長く続くわけはありません。2016年3月から片方の月刊誌が季刊誌になったのです。結構、いつもいきなり言って来る会社で、年間24冊が一気に16冊に減りました。このときに、ギャラリの開設を中止すればよかったのでしょうが、計画は続行しました。
そして、きわめつきが、社長の交代による、残契約の解除です。2019年3月に切れました。いまだにはっきりした解除理由を聞かされていません。
ただ言えることは、「下請けにならない」戦略を徹底しなかったせいなんです。売り上げがゼロの月もありましたが、2年間はギャラリーを残すために頑張りました。
東神田に、写真作品を中心としたアートギャラリーが一つ消えますが、周辺にはさまざまなギャラリーが点在しています。東神田・馬喰町界隈を訪れたときは、板戸が壁になったヘンテコなギャラリーがあったことを思い出していただければと思います。
「もう森へなんか行かない」