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東神田のギャラリー「柳之森」存続支援の クラウドファンディング

2016年から東京・東神田で、写真家やイラストレーターなどの作品発表の場として、「Art Spac柳之森」を運営してまいりましたが、コロナ禍の影響でギャラリーの運営資金が枯渇し閉鎖に追い込まれております。そこで、アーティストの作品発表の場の存続を支援していただける方を募ることにいたしました。

現在の支援総額

245,000

30%

目標金額は800,000円

支援者数

27

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/03/30に募集を開始し、 2021/04/18に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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東神田のギャラリー「柳之森」存続支援の クラウドファンディング

現在の支援総額

245,000

30%達成

終了

目標金額800,000

支援者数27

このプロジェクトは、2021/03/30に募集を開始し、 2021/04/18に募集を終了しました

2016年から東京・東神田で、写真家やイラストレーターなどの作品発表の場として、「Art Spac柳之森」を運営してまいりましたが、コロナ禍の影響でギャラリーの運営資金が枯渇し閉鎖に追い込まれております。そこで、アーティストの作品発表の場の存続を支援していただける方を募ることにいたしました。

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ちょっといい機会ですので、本体(デザイン事務所+編プロ)の話をさせていただきます。「下請けにならない」。この言葉は、山形のデザイナー、奥山清行氏がいろいろなところで言っている言葉なのですが、ギャラリーを失うことになったのは、ある会社の下請けになってしまったのが、原因だと思っています。2009年、25年間勤めてきた出版社を早期退職し、女性クリエイターがずっと自分のやりたい仕事を続けられる環境を維持することを目指して、2010年3月に会社を興しました。デザインスタッフは全員女性ですし、外部スタッフ(カメラマンやライター)もできるだけ女性にお願いする方針で仕事を続けてきましたし、これからも変わらないと思います。実は当初、個人事業主の形でスタートすることにしていました。ただ、私はデザイナーのための特別な訓練は受けていないので、まずは、デザイナーをスタッフに組み入れる必要があり、少しで優秀な人材をと、すぐに株式会社にしました。卒業直前(2月)にもかかわらず、新卒も含め多くの人が応募してきました。2年前のリーマンショックの余波によるものだと後で知りました。まず、新卒の美大卒生を雇いました。11年たった今でも、メインスタッフとして、会社を支えています。2年目に、知り合いから定期雑誌の仕事の依頼が来ました。分野も得意な医療系で2誌でした。スタッフを増やすにしても、2誌受注すると、ほかの仕事が受けにくくなるので、1誌だけをOKするつもりでしたが、押し切られていました。「下請けにならない」経営をしようとしたからです。でも、起業して2年目だったので、とりあえず、経営が落ち着くと考え、2誌受注しました。でも、そんな状態が長く続くわけはありません。2016年3月から片方の月刊誌が季刊誌になったのです。結構、いつもいきなり言って来る会社で、年間24冊が一気に16冊に減りました。このときに、ギャラリの開設を中止すればよかったのでしょうが、計画は続行しました。そして、きわめつきが、社長の交代による、残契約の解除です。2019年3月に切れました。いまだにはっきりした解除理由を聞かされていません。ただ言えることは、「下請けにならない」戦略を徹底しなかったせいなんです。売り上げがゼロの月もありましたが、2年間はギャラリーを残すために頑張りました。東神田に、写真作品を中心としたアートギャラリーが一つ消えますが、周辺にはさまざまなギャラリーが点在しています。東神田・馬喰町界隈を訪れたときは、板戸が壁になったヘンテコなギャラリーがあったことを思い出していただければと思います。「もう森へなんか行かない」


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昨年夏、「おのみち展」という企画展を2週間かけてやりました。最初は元気がなくなっていた尾道を勝手に盛り上げて、GWに行きたいと思う人を増やそうと、4月に計画していました。もともと尾道は、個人的にとても思い入れのある場所。尾道という場所を知ったのは、大学生の頃。大林宣彦監督の映画作品と、そこに出てきたあの情景に、一目惚れしてしまいました。初めて足を踏み入れたのは、社会人になってからで、1986年の夏でした。その頃は当然、デジカメなどなく、銀塩で撮りました(https://www.instagram.com/p/CBMJ3x-g6iM/)。倉敷出張のついでに足を伸ばしての撮影です。2回目の訪問はちょっと間があいてしまいましたが、2013年夏でした。言い訳にしかなりませんが、仕事が内勤になって、遠方に行くついでがなくなってしまったからで、職場が変わりまた出張のついでに旅行に行けるようになりました。でも、27年たってもほとんど変わらぬ街に、驚きを感じたとともに、さらにノスタルジーを感じるようになりました。確かに坂の街で、家の建て替えが難しいということはあるのでしょうが、行くと落ち着きます。3回目の訪問は2018年夏。この年は6月に大水害があって、あらかじめ計画していた倉敷・尾道旅行をいったんは中止しようと考えたのですが、地元にお金が落ちた方が復興つながると敢行しました。行ってみて、街の様子がちょっと違いました。商店街がなんとなく暗く活気があまりないんです。閉店がとても目立ちました。こりゃ、なんとかしなくちゃと、思い立ったのが、「おのみち展」でした。「おのみち展」はもともと、Instagramにあるように、今から8年前に撮った活気のある尾道の写真を展示する予定で、正月の段階には計画に入れていました。さらに、写真だけでなく、尾道に行ってもらおうと、歓呼医協会にお願いして、パンフレットやマップを送ってもらおうと思っていました。ところが計画を立てた途端に、コロナが始まりました。観光協会への連絡するどころではなくなってしまいました。いったん中止した「おのみち展」でしたが、コロナが少し収まってきたころを見計らって、再度検討し、今度は自分の写真だけでなく、自分と同じ尾道好きに声をかけて、一般公募で作品(データ)を送ってもらい、こちらでプリントして、それを展示しました。実は準備期間も短かったので、集まるかなと思っていましたが、7人の方が送ってこられ、A4サイズのプリントを展示しました。初めて事前予約システムもつかいました。また、実際には使われませんでしたが、出展者と来場者をつなぐためのパソコンも、展示スペースに設置しました。終わった後は、出展者全員に展示で使ったプリントと全員の写真作品が入った図録を作成し、1部ずつお送りしました。またやりたい。コロナ禍でますます観光客が減ってしまった尾道を盛り上げたい。第2弾を計画していました。4月3〜24日の約3週間というロングランを予定していました。初回よりさらに撮影場所を広げ(いわゆる尾道市内ということで、向島、因島、生口島もOKにしました)、商店をやっている方も出展しやすくするため、景色より「物」を重視した写真を募りことにしました。ところが、3月の頭に、柳之森を閉じざるを得ない状況に陥り、「おのみち展ⅱ」を急きょ中止することになったのです。すでにお二方からの写真の応募があり、お詫び致しました。実は今回、写真の集まりがあまりよくなく、例の宣言明けに尾道に写真を撮りに行くことにしていました。なるべく人に会わない手段で行こうと、寝台を使うことに決めました。もし、切符が取れなかったらそれも諦める予定でしたが、現地に一泊もしないで往復できる切符が取れました。その後に「おのみち展ⅱ」中止。尾道を写真を撮る必要がなくなってしまいましたでも、尾道行きにはもう一つの目的がありました。前回出展者の中に、ある人形を作る地元アーティストの方がいたのです。その方に会って、柳之森で、人形を撮った写真か人形そのものを柳之森で展示しないか、交渉に行く予定で連絡もしていました。直前になって柳之森を閉めることになり、展示ができなくなったことをさすがにメール一本で伝えるのはまずいと思い、尾道行きは敢行しました。そして、尾道でお会いすることができました。天気も良かったので、お寺の縁側で、人形を作られたいきさつや、その思想いを直に伺うことができました。ギャラリー閉鎖を考え直すきっかけにもなりました。柳之森を続けていなければ、尾道を盛り上げることはできない。その方のように、地方で頑張っておられるアーティストを応援することができない。コロナで日本中、世界中が大変なことは分かっています。でも、いま柳之森がなくなってしまうと、尾道も地方のアーティストを応援することができなくなってしまいます。今しかありません。尾道に関わりのある方、地方のアーティストの方、ぜひ、柳之森存続のためのご支援をお願いします。必ず恩返しいたします。


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(写真は昨年行った「おのみち展」の看板。看板にインターホンを設置して、鳴ったら開けに行く。ギャラリーが2階なので、時間差はほとんどなし)さきほど、クラウドファンディングの拡散をお願いした方から、手厳しいメッセージをいただきました。まず、現状では、ギャラリーはどこも厳しいということ、写真家も相当厳しいこと、柳之森は近くに写真関係のギャラリーが多く地の利を活かしたことが今までもできる可能性があったのではないか、そしてギャラリー運営がもちろん、それを支えていた本業の経営に問題があるのではないかと、ご指摘を受けました。図星ですね。何の反論もできませんでした。ただ、地の利がどうしていかせなかったのかについては、釈明できます。ギャラリーというのは、基本的には、展示者の知り合いに見てもらうことが基本で、後は、どれくらいフラッと入って来やすいかと構造的な問題が大きいと思います。周りのギャラリーは基本的に展示が開催さえしていれば、入場できます。ところが、「柳之森」はそうなっていません。平日は18時で、土日祝は終日、ビルのセキュリティの関係から、1階の自動ドアが外から開きません。もちろん、入居する段階で分かっていました。家主さんに変更をお願いしましたが、難しいと言われました。1階の清洲橋通り沿いの店舗と交渉して、OKであれば、その店舗から制限付きで出入りしてもよいことにはなりそうだったのですが、途中でそのお店は閉じてしまいました。フラッとは難しいかもしれないけど、1階から呼び出してもらって、内側から開ける方法と取ることになりました。最初は無線チャイム、そして無線インターホンに進化しました。あと、去年からコロナに合わせて、来場をネットで1時間単位で事前予約できるようにしました。ただ、この体制にするのに遅すぎたかもしれませんが、逆にコロナがあったからこそできたかもしれません。いまは、ほかのギャラリーのついでに来てもご覧になれるようにしています。とりあえず、支援金で半年維持させて、その間に本業を立て直す。本業は順調とはいえませんが、もう1件でも月刊誌的なメディアの受注があれば、回復すると考えています。あと、アーティスト支援のための組織化も次の一手で進めようと思っています。


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2017年10月からほぼ毎月9回にわたって、神田と日本橋を撮り歩くツアーを企画しました。目が行き届くように5人定員で、最後のクルーズ以外は中止になりませんでした。毎回コースが違い、昼食は周囲の特徴ある飲食店でとり、最後は、ギャラリーに戻って、各自撮った写真の鑑賞会をしました。①龍閑川の上を歩く(2017/10/14)竹森神社〜今川小路 昼食:日本橋玉ゐ室町店(あなごの老舗)②日本橋北詰から人形町(2017/11/11)昼食:小春軒(洋食屋)③柳橋・両国橋あたり(2017/11/25)東日本橋〜両国 昼食:長寿庵 柳ばし本店(閉店)④日本橋七福神めぐり(2018/1/20)日本橋人形町かいわい 昼食:芳味亭(洋食屋)⑤神田連雀町をさまよう(2018/2/3)神田淡路町かいわい 昼食:やぶそば⑥神田カルチェラタン(2018/3/3)神田神保町かいわい 昼食:ビヤホール ランチョン⑦神田川ジグザグ(2018/4/7)神楽坂かいわい 昼食:カナルカフェ⑧モノマチ(2018/5/26)御徒町・蔵前かいわい 昼食:結(ゆ)わえる本店⑨神田川・日本橋川クルーズ(中止)撮影半分、撮った後の美味しい食事が半分という撮影ツアー。最後の締めは、ギャラリーで展示(2018/8/11)。ギャラリーが存続すれば、withコロナモードになるかもしれませんが、またやれるかもしれません。


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運営主体のデザイン事務所「Mamasクリエイターズ」では、柳之森ができる前から、撮った写真から手作りブックを作るワークショップをやってきました。2013年10月を皮切りに、東神田に移転する前に16回、移転後は2018年10月まで14回、計30回行ってきました。そのうち、移転前は、午前中に神田周辺のスナップ写真を撮り、午後にそれを1冊にブックにまとめて、製本するというなかなかしんどいワークショップもやっていました。撮影ツアーの話は、次回以降にするとして、今回は、写真集ワークショップについて、話してみたいと思います(上の写真は、2016年9月に行った17回目のワークショップの模様)。その中で、2017年5月に行ったワークショップがアルジャジラーの日本特集で取り上げられ、放送されました。アルジャジーラで放送されたワークショップ風景持ってきた写真(画像データ)を全数プリントし、机の上に並べながら、使う写真を絞り、順番を決めてレイアウトし、最後に中綴じ用にプリントし、糸でかがってブックに仕上げるという作業を、途中におやつの休憩を入れながら3時間ぐらいで完成させます。中には写真を選びきれなくて、ブックが分厚くなって、糸で綴じるのに一苦労した方もいらっしゃいました。最初は、一般向けでしたが、最後のころはプロ向けに移行し、自分で実際にブックのレイアウトソフトを使って、プリントするところもやるようになっていました。また、できあがった力作の写真ブックをギャラリースペースを使って展示するところまでやっていました。ワークショップも、広いスペースが取れなくなるので、もし、柳之森がなくなったら、復活はないと思います。