『Bessie Hall』は『Casablanca』からスス
キノに向かって歩くと五分もかからないビルの地下。すべて立ち席。
百名ほどで満杯。氷空ゆめは初めての入場。『戦国時代』のタオル
が五百円で売っていた。一本買った。チラシのイラストと同じプリ
ント。入場者は、みんな、タオルを首に掛けていた。ほとんどが高
校生。私服なので学校が分からない。女子九割に男子一割。我校の
女子も五人ほど。顔を覚えている。二年生みたい。
氷空ゆめは後ろから押されステージに接近。辺りを窺っている間
にホールは満員。結構人気がある。
ホールの照明が消えた。少し遅れてステージが輝いた。客に背を
向けて四人が舞台に立っていた。陣羽織の背中には『戦』『国』『
時』『代』。四人が振り向いた。
「キャ~」と女子が叫ぶ。
氷空ゆめには「キャ~」が「ギャー」に聞こえた。
歌舞伎役者のメイク。チラシと同じ出で立ち。若君コールが起こ
った。早くもタオルを回している女子。
ドラムが叩かれた。乱打の後にシンバルをジャ~ン。
男子三人がユニゾーンで唄い出した。
ー足軽たちが群れている
ほら貝の合図を 太鼓の音を待っている
戦さじゃ ぬかるな 敵の動きを見張れ
弓矢は良いか 火縄は万全か
幟を掲げろ 盾を立てろ
(ここから若君)
戦さじゃ 憶するな 我に続け 敵陣を突っ切る
狙いはひとつ 大将の首
ほら貝を鳴らせ 太鼓を打てー
若君が独りでエイトビートを刻む。
爺がほら貝を吹いた。殿が和太鼓を打つ。
ド~ン ド~ン ドン ドン ドンドンドンドン
一瞬の静寂。キーボードの右指が鍵盤の上を走った。グリッサン
ドを三回。陣羽織を脱いだ姫が唄い出した。
―わたしはみんなを守る 殿と爺と若君を
…どうやって…
わたしは足軽たちを守る
…どうやって…
わたしは領民を守らねば
…どうやって…
わたしは忍び 走って走って走り抜いて 敵陣深く入り込む
物かげに潜み 敵を欺く
…死ぬなよ…
わたしは忍び 敵の大将はジジイ ジジイは狸 侮れない
ジジイは影を用意している 見極めなければ
…死ぬなよ…
大将を撃ちもらしてはならぬ 撃ちもらすと我らが殺られる
…死ぬなよ…死ぬなよ…―
ドラムが最後を〆ると姫の語り。
「オープニングの『いざ出陣』でした。今夜で三回目の『Bess
ie Hall』。気合が入っています。盛り上がって行こう‼」
拍手。拍手。拍手。盛り上がっている。氷空ゆめも拍手。
「本当は路上ライヴをやりたいんだけれど学校がダメで言うから今
はガマン・がまん・我慢。学校は我慢ばかりを教えてくれる」
「その通り」と男子の声。
「今の男子はだいぶ溜まっている。溜まると心に良くない。でも私
たちは後四ケ月で卒業。その時は全開。今夜も全開。OK…‼…」
「OK」と全員が叫んだ。氷空ゆめも右手を挙げて「OK」
「次は若君の『優しい殺人者』」
キャ~の後にはギャ~。
若君が静かに四拍子のアルベジオ。
四小節後にドラムとベースとキーボードが続いた。
―戦さとは土地の奪い合い
今も昔も変わらない
戦さとは命のやり取り殺し合い
今も昔もこれからも変わらない
俺たちは戦さが嫌いだ
勝っても必ず誰かが命を落とす
敗けたら俺たち皆殺し
俺たちはよその国を犯さない
俺たちはよその国に攻め込まない
専守防衛
今は戦国 乱世の時代 領地と領民を守らねば
俺たちは戦う
戦さがない世が来るのを願って
和平は誰が 平和は何時
戦さは強い者が天下を獲るまで続くらしい
強い者とは誰
天下とはナニ
それまで国連は眠っているのか―
ここで若君はステージから耳を澄ました。一人の女子が「それま
で国連は眠っているのか」と唄った。「OK」と言った若君は両手
を高く上げ手拍子。催促。唱和が大きくなった。
氷空ゆめは「それまで国連は…」を三度唄った。
ドラムが終わりを告げた。
「若君でした」と姫。続けてメンバー紹介。
「ドラムは毛利右近。ベースが坂東景虎。若君は石丸永遠」
ここで三度目のギャ~とタオルが回った。
氷空ゆめもタオルを回した。
「若君は人気者。わたしは神代(かみしろ)泉。『戦国時代』をこ
れからもヨロシク。『情熱の牡丹』を聴いて下さい」
姫はマイクをセットした。
イントロはバラード風。ゆっくりとしたB♭とE♭のスケール。
ステージの灯りが消された。スポットライトが姫を照射。
―わたしたちは何時か死ぬ
これは永遠(とわ)の宿命(さだめ) 変えられない
年頃になって恋をして
子どもを産んで シアワセに暮らす そして年老いてゆく
そうして孫たちに見守られ死を迎える
それが私たちのシアワセな人生
わたしは嫌だ それだけが人生なら 死んでも死にきれない
それだけが人生なら
わたしは何のために生まれてきたの シアワセになるために…
「ソーダ水の中を貨物船」が通ったり
「秋桜が庭先」に咲いていたり
「あなたのセーター袖口つまんで」うつむいたり
ありふれた恋と日常も悪くないけれど何かが違う―
姫は「ソーダ水」から松任谷由美で。「秋桜」は山口百恵。「あ
なたのセーター」を中森明菜で唄った。
よどみがなく、曲の切り替えが、巧みだった。
これらは鍵盤の技と歌心の力。
「何かが違う」を唄い終えると男子三人が強烈なエイトビート。
―わたしは何をしたいの 何ができるの
死ぬまでの一度きりの人生なら 思い切り暴れてみたい―
氷空ゆめはここでタオルを回した。全員がタオルを回す。
―暴れて 暴れる 焔立つ 恋が望み
和平には命が懸かる 平和にも命を賭ける 恋も同じ
シアワセになれなくても わたしはシアワセ
わたしの傍らで情熱の牡丹が花開くなら―
氷空ゆめは圧倒され興奮していた。姫の秘められた情熱がオーラ
になって出ている。でもこの人。幸が薄そう。十八歳にして大人の
雰囲気。もの静か。落ち着いてる。歌もキーボードも上手い。静の
構えが崩れない。むやみに走り回らない。力強さもある。それは心
の強さ。知的。上品。恥じらい。花に例えるならやはり牡丹だ。二
重まぶた。パッチリと見開く瞳。ショートの髪。手足が長く背筋が
伸びている。立ち姿が秀麗。笑顔も可愛い。やはり姫だ。
足軽のわたしと正反対。なのに何故か幸が薄く見えてしまう。そ
れは無言でキーボードを叩いている時の表情から。若君とつき合っ
ているのかなぁ…。きっとつき合っている。上手くいっていないか
ら寂しげ…。そうかなぁ…。
氷空ゆめは汗まみれの冷えた身体のまま地下鉄に乗った。楽屋に
行って「来ました」と若君に言いたかった。きっとつき合っている
が楽屋を阻んでしまった。ひと目だけでも逢えたら良かったのに。
…逢いたい…
部屋に戻った氷空ゆめはネットで『戦国時代』を探した。
在った。
問い合わせに「ライヴに行きました。若君とお話がしたい」と書
き込みたかった。止めた。…こんなのはわたしらしくない…
■4/12にリターンを考えました。アップしています。