奥寺康彦氏
横浜FC会長(株式会社横浜フリエスポーツクラブ 取締役会長)
1970年代当時、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガ(1976年-1984年までUEFAリーグランキング1位)で活躍した初めての日本人選手であり、3つのクラブを渡り歩き計9年間プレーを続けレギュラーとして実績を残しました。その正確無比の安定したプレースタイルで地元ドイツのファンから「東洋のコンピューター」というニックネームで呼ばれ賞賛されました。
欧州サッカー連盟主催の国際大会には6回出場しており、1978-79シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)ではアジア人として大会史上初となるゴールを記録しています。
1970-1977 古河電工
1977-1980 ケルン(ブンデスリーガ)
1980-1981 ヘルタ・ベルリン(ブンデスリーガ)
1981-1986 ブレーメン(ブンデスリーガ)
1986-1988 古河電工
1970-1987 日本代表
1996 ジェフユナイテッド市原監督
「ヤス岩井絵画展」にもお越し頂けるとの事で大変感謝しております。
日本代表時代の奥寺選手と釜本選手をモチーフにした水墨画&水彩画です。
作品名:釜本選手と奥寺選手の水墨水彩画
制作年:2017年9月
サイズ:3号
材質/技法:墨, 水彩絵具
水墨画の代表作です。
作品名:名将バイスバイラーと奥寺康彦
制作年:2017年9月
サイズ:3号
材質/技法:水墨画