みなさまに感謝です。日本聴導犬協会は、まつ君のような保護犬を聴導犬に育て、その才能をいかせるのも、みなさまからのお力添えの賜物です。
■子犬を抱く犬
スタッフのまゆみさんとスタッフEさんは、保健所の職員Mさんに案内されて、捕獲された犬たちが収容されていて、人の身長ほどもある、鉄の高い柵でいくつも仕切られた部屋に通された時、目の前の風景に驚かされました。
灰色地に縞模様の中型犬が、捕獲されて不安そうな子犬たちを抱きかかえていたのです。
人が急に入ってきたので、子犬たちはその中型犬にすがるようにして、まゆみさんたちを怯えた目で見上げていました。犬たちの色合いから、どうみても親子ではないと察しがつきました。
長野保健所のMさんに、まゆみさんがお尋ねしました。
「子犬たちを中型犬にみさせているんですか?」
そんなことはあり得ないとは思いましたが、その場の状況が理解できず、一応、保健所担当のMさんに聞いてみました。
「別の柵の中に入れておいても、飛び越えて子犬たちの所に入って、抱きかかえるんだよ。何度も戻したけど、飛び越えてきちゃう。この犬がいると子犬たちも落ち着くので、そのままにしているんだ」
保健所にいたとき、まつ君は起きると、離れた柵に入れられた子犬たちのところに柵を飛び越えては行くようになっていました。そのたびに、元の柵の中に戻され、また飛び越えては戻されを繰り返していたようです。すごい子犬愛でしょ。
まつ君は、震える子犬たちを抱えていても、人に向かって吠えたり、威嚇するでもなくニコニコして尻尾を振っていました。
「年齢は、どうですか?」
本当は、子犬を候補犬として選びに来たまゆみさんとスタッフですが、輝くようなまつ君の笑顔に「この子はすばらしい」と直感しました。候補犬として選びたいと思いました。
「歯が汚いからなぁ。3歳くらいかな」
Mさんが教えてくれました。まゆみさんは、まつ君の若々しい肢体や表情から、もう少し、年齢は若いのではないかと判断して、
「やはり、譲渡いただけますか?」
気質が良くても、保健所の収容期間は7日間。譲渡希望がなれけば天使のようなこの子も殺処分になってしまいます。
まつ君は、獣医さんに診ていただくと生後1年くらいでした。
■最後の言葉は、「ア”~〇×▼〇、ア〝~〇、ガー」
まつ君は4歳のとき、マッチングし、上原さんと出会いました。
そして、のどにできた癌が理由で引退するまで上原さんのベストパートナーだったんだ。癌の治療費はすべて日本聴導犬協会で負担させていただきました。
11歳で協会に戻り、スタッフ全員と、会長の有馬のケアで14歳までの余生を過ごしました。
癌の術後だったので、予後に効く十全大砲湯や五苓散などの漢方薬とか、花びら茸も続けていましたが、だんだんに食欲がおちてきました。ある日、いつもは最終便のバスで東京から帰ってくる有馬が、
「一本早くバスに乗れましたー」
喜んで帰ってきて、寝ているまつ君に話しかけました。
「今日も、ありがとう。まつ君。生きててくれてありがとう」
まつ君はめったに鳴かない子でしたが
「ア”~〇×▼〇、ア〝~〇、ガー」
と、吠え声にならない、声で答えてくれました。
うれしくなった有馬がもういちど、
「返事してくれるんだ。めずらしいね。まつ君、介護させてくれてありがとう」
というと、まつ君は、目もあけずに、もういちど
「ア”~〇×▼〇、ア〝~〇、ガー」
繰り返しました。
有馬ががまつ君の痩せた体をなぜると、大きなため息をはいて、寝てしまったので、食事の用意を始めましたが、数分後に、なんとなく気になってまつ君の体に触ってみると、すでに硬直が始まっていました。
スタッフさんたちが、
「有馬さんが帰るのを待っていたんですよ」
あまりにも早い硬直に、もしかしたら、すでに亡くなっていて、魂で返事をしてくれたのかなと、有馬は思ったのでした。
日本聴導犬協会は「保護犬からの聴導犬育成」を掲げて、1996年に創設したんだよ。保健所への引き取り犬数の減少(1996年当時は約50万頭。令和1年で3-4万頭前後)で、今は、候補犬の保護犬と譲渡犬の割合が75%になりました。
でも、今も「聴導犬候補犬ネットワークとして」全国にある20カ所の、保健所や動物愛護センターさん、動物保護団体さんの協力をいただいて保護犬を候補犬に選ばせていただいています。
保護犬の命を守り、育てるために、皆さまのご支援が必要です。応援を、どうぞよろしくお願いいたします。
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【終了の9月17日(金)まで残り9日】
目標金額:7,500,000円
達成金額:6,752,613円
達成まであと:747,387円