Check our Terms and Privacy Policy.

山形市山寺に伝わる、高橋由一の息子・源吉が描いた明治時代の油彩画を修復したい!

山形県山形市にある旧山寺ホテルは大正時代に建てられ、現在は有志によって管理・公開されています。その旧山寺ホテルに伝わってきた明治時代の油彩画《最上川(本合海)》は損傷が著しく、今回修復をしようとしています。絵の作者は高橋由一の息子・源吉。山寺の近代化の歴史に関わる貴重な文化財を、後世に遺します。

現在の支援総額

1,417,000

117%

目標金額は1,210,000円

支援者数

65

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/09/20に募集を開始し、 65人の支援により 1,417,000円の資金を集め、 2017/10/31に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

山形市山寺に伝わる、高橋由一の息子・源吉が描いた明治時代の油彩画を修復したい!

現在の支援総額

1,417,000

117%達成

終了

目標金額1,210,000

支援者数65

このプロジェクトは、2017/09/20に募集を開始し、 65人の支援により 1,417,000円の資金を集め、 2017/10/31に募集を終了しました

山形県山形市にある旧山寺ホテルは大正時代に建てられ、現在は有志によって管理・公開されています。その旧山寺ホテルに伝わってきた明治時代の油彩画《最上川(本合海)》は損傷が著しく、今回修復をしようとしています。絵の作者は高橋由一の息子・源吉。山寺の近代化の歴史に関わる貴重な文化財を、後世に遺します。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

(展覽會を報じる新聞記事。明治44年10月19日付山形日々新聞より) (株)文化財マネージメントの宮本です。   プロジェクト本文にも書いたとおり、今回修復を目指す高橋源吉《最上川(本合海)》は、山寺村の村長であった伊澤栄次が観光推進のために企画した「山寺油絵展覽会」に出展されたものです。そして、その展示会場はなんと立石寺の根本中堂でした。   ここでは「山寺油絵展覧会」とはどのようなものだったか、当時の新聞記事から詳しくみてきたいと思います。   まず展覧会場について。山形新聞の記事です。「根本中堂の前に立つと特別保護建築と筆太に書いたのが目につく、一方には油繪展覽會と之れ亦筆太に書いたのが目に這入つた」(明治44年10月20日 山形新聞「山寺に遊ぶの記」より抜粋)   会場となった根本中堂の入り口には、展覧会の看板が掲げられていたようです。 (現在の根本中堂入口。墨書きの板看板が掲げられていたのでしょうか)   さらに、山形新報の記事です。「會場は根本中堂佛殿の左右れう廓にして出陳點數約五十餘」(明治44年10月19日 山形新報「山寺の油繪展覽會 根中主堂の威觀」より抜粋)   作品は根本中堂入ってすぐの外陣に展示され、全部で50点余りあったようです。かなりの展示数です。   展示された源吉の風景画についてはどうでしょうか。山形日々新聞につぎのように書かれています。「高橋氏が作品たる天狗岩、山寺全景、面白山瀑布、最上川等は何れも運筆の自由と配色、光線の宜しきを得眞に迫りたる佳作なり」(明治44年10月19日 山形日々新聞「山寺油繪展覽會 參考品頗る移し」より抜粋)   太字の作品は今でも残っているものです。「天狗岩」が《天華岩》、「山寺全景」が《山寺全景》に、そして「最上川」が今回修復を目指す《最上川(本合海)》にあたります。 (高橋源吉《天華岩》山寺芭蕉記念館所蔵・伊澤家旧蔵) (高橋源吉《山寺全景》将棋むら天童タワー所蔵)