2021/11/27 17:54

皆様、こんにちは。プロジェクトオーナーの小林駿です。

残り3日。よろしくお願い致します。

さて、いよいよ明日はジャパンカップ。

今年はコントレイルのラストランに加え、史上初の4世代ダービー馬激突(マカヒキ、ワグネリアン、コントレイル、シャフリヤール)、オークス馬ユーバーレーベンの参戦、久方ぶりの外国馬多頭数参戦(グランドグローリー、ジャパン、ブルーム)と話題に事欠かない1戦に。

ワールドプレミアとカレンブーケドールの回避こそ残念ですが、盛り上がりを見せているのは間違いありません。

一方ジャパンカップから30分後。

阪神の舞台で今年最後の芝1200m重賞、京阪杯が行われます。

充実の3歳牝馬レイハリアや鋭い脚を使うシヴァージを筆頭にこちらも好メンバー。

そして、この記事でも何度か触れているラッシュライフの息子であるファストフォースも自身2度目の重賞制覇を狙ってここに出走してきます。

私の血統図(笑)は母方にはギャンブル好きの人はそれほどいませんでしたが、父系がかなりのギャンブル血統。祖母は御年90を数えながらも未だに現役で麻雀を仲間と打っていますし、祖父も当然麻雀、競馬とどっぷり漬かっています。

そして私の父も、麻雀、競馬に昔はパチンコもよくやっていました。

そんな父系から産まれた私が、競馬に興味を持たないわけもなく、3歳にして父と祖父の真横で競馬新聞抱えてグリーンチャンネルを見ている写真が実家に眠っているくらいです(笑)

父の同僚に「君は競馬家系のサラブレッドだなぁ」なんて冗談を言われたこともあるそうで…

さて、私の祖父はほぼ毎年1頭、社台系列から一口、馬を購入していました。

彼の生涯最後の1頭が、ラッシュライフでした。

新馬戦を圧勝し、函館2歳S、ファンタジーSと連続2着の後、牝馬クラシック路線で負けながら、OP特別でも善戦、降級後の1000万を函館の地で僅差で勝利、1600万下でも何度も惜しいレースを続けた彼女は、2008年7月5日、ジュライS4着をもって引退。その競走生活に別れを告げます。

そして、その2週間後、祖父が入院。1か月後の8月に1度は退院したものの、再び体調が悪化し再入院。そのまま11月29日、帰らぬ人となりました。

その翌日のジャパンカップを勝ったのはスクリーンヒーロー。

「こいつ、いつかG1勝つぞ。こういう楽しみな馬は追いかけたいよなぁ、駿。それが競馬の楽しみ方のひとつだよ。」

1年前、ラッシュライフが2着したセプテンバーSの翌日、祖父の家で一緒に見ていたセントライト記念で3着に突っ込んだスクリーンヒーローを見て、祖父はそんなことを言っていました。

周りの大人たちがせわしく動く中ただ一人、呆然とテレビを見つめていた自分が、祖父が逝ってから初めて泣きました。小学3年生、まだ世の中のことなど対して知りもしない子供が「運命」「奇跡」なんて言葉を考えたりもしました。

思い返せば、小さかったあの日から。

何度も何度も自分の出資馬のビデオを見せてくれたり、思い出話のスクラップファイルを見ながら「この子はこういう気性で、こういう性格で、でもこういう奴が乗るとこういう走りをして」とか「牧場に見に行った時は可愛かったよ。人懐っこかったしな。将来馬と一緒に居られるような仕事でも目指すか?」なんて言ってくれていた祖父の言葉と教えが、どこかで今の自分に活きているところはあるのかもなあ、なんて、この時期になると思い返したりします。

今でも忘れない、祖父の言葉があります。

「いいか駿、競馬はブラッドスポーツ。それは何も名馬だけに限った話じゃあない。すべての馬にとっての血脈が、ブラッドスポーツと呼ばれる理由なんだ。とはいえこの世に生まれた馬達に、悪も正義もない。優劣はあっても、それは結果と血統で見た時だけの話だ。ただ生きている彼らには何の区別もない。懸命に生きているんだから。」

「懸命に生きる」…出資者だった祖父が、自身の活躍できなかった馬の行く末を知らないはずがありません。だからこそ、自分には「競馬」だけではなく「馬」をも好きになってもらいたかったのではないでしょうか。

僕は、父と祖父のおかげで競馬も馬も、これ以上ないくらいに好きになりました。

本当に、感謝の念しかありません。

さて、明日の京阪杯。13回忌を迎える祖父へ、そして自身2度目の重賞制覇を祝う美酒を是非、明日のファストフォースには叶えてもらいたい。そんな勝手なお願いをもって、今日の活動報告に変えさせていただきたいと思います。

それでは皆様、また明日!