宇野です。三連休は天気も悪いし、感染症も怖いし、これは絶好の仕事日和だと自分に言い聞かせて机に向かっています。
さて、今日はこの『モノノメ』創刊号のスピンオフ的な記事のことを書きます。
度々取り上げている巻頭に掲載のルポルタージュ「10年目の東北道を、走る」は僕が石巻と気仙沼で復興事業にかかわる二人の知り合いを訪ねる過程について書いたのですが、そのうちのひとりで、旅の最後に登場する気仙沼の「やっちさん」こと小野寺靖忠さんと話したことをインタビュー形式で、僕ら(PLANETS)の運営するウェブマガジン「遅いインターネット」にほぼ全文掲載しました。
ちょっと変な話かもしれませんが、「モノノメ」では僕の文章の一部として登場するやっちさんの話のフルバージョンが先に読めてしまうことになります。映画の予告編で、あえてクライマックスのアクションシーンを見せてしまうことがありますが、それに近い考え方です。こういう対話を繰り返しながら、僕たちは北へ向かっていたというイメージを持ってくれたらいいなと思います。
このやっちさんと僕は安宅和人さん主宰の『風の谷を創る』の運動を通して知り合っているのですが、ここまでじっくり話したのはこのときがはじめてでした。彼の話で印象的だったのは、インタビューのタイトルにもなっている「気仙沼的生き方」という言葉です。遠洋漁業の基地として発展した気仙沼は、仙台や東京よりも世界中の漁師町と近い。「グローカル戦略」なんて言葉がもてはやされるずっと前から、彼らにとって世界とは当たり前のように「グローカル」でしかあり得なかったといいます。
やっちさんはスターバックスもタリーズも入っていない気仙沼で「アンカーコーヒー」というセカンドウェーブ系のコーヒーショップを経営しているのですが、これも彼がアメリカの大学に通っていた頃に好きだったコーヒーショップを地元で「作ってみた」ものです。(「気仙沼的生き方」においては海外留学も現地の喫茶文化の輸入も精神的ハードルが低い、らしいです。)
インタビューはそんな彼が震災に直面し「気仙沼的」な復興にどう挑んでいったか、そして10年経ったこの現実をどう捉えているのかについて、じっくり話してもらっています。「東京のシーンなど関係なく、好き勝手に外につながればいい」、「ないものは、自分でつくればいい」という「気仙沼的」な発想は僕は一方的に自分のやり方に近い気もして、陳腐な言葉ですがとても「共感」しました。
ああ、こういうやり方もあるのだなと希望が湧いてくるインタビューなので、ぜひ読んでみてください。
それにしても女川も、石巻も、気仙沼も、この季節に行くととても気持ちがいいだろうな、とかそんなことを考えながら僕は締め切りと感染症に怯えながら、新宿区高田馬場でキーを叩いています。