これは、日本では少しずつ忘れ去られている話です。
1993年4月8日、カンボジアで一人の青年が命を落としました。
その人は、国連選挙管理ボランティアとしてカンボジアで任務に就いた中田厚仁さん。
この世の中に誰かがやらなければならないことがあるとき、僕はその誰かになりたい。
中田さんは、そう言ってカンボジアに赴任しました。
カンボジアは、まだ政情不安定で各国からの支援を受けながら公正な選挙の実施に向けて動いていた時代でした。
こちらのビデオをご覧ください。
当時のコンポントム州には、選挙制度に反対するクメールルージュの武装勢力が存在していました。
各村の人々は、その反対勢力におびえ、はじめは選挙に関わろうとしませんでした。
中田さんは、そんな村へ出向き、村人たちを説得して回りました。
「あなた方の将来を、互いに撃ち合って決めますか、それとも話し合って決めますか。」
「これは、あなたたちの選挙です。」
中田さんの信念は揺らぐことなく、しだいに村人の心は開かれていきました。
そんなある日、中田さんは選挙に反対する武装勢力に銃撃され、命を落とします。
そして、奇しくも中田さんの命日から四十九日にあたる1993年5月23日に、総選挙が行われました。
その時に、奇跡的なことが起こりました。
なんと、中田さんが命を懸けて選挙の必要性を訴えた地域の投票率は99%だったそうです。
人々は、中田さんの命を懸けた訴えに、選挙への参加と言う形で応えたのです。
私は、考えました。
中田さんがカンボジアに残したものは何だったのだろうと・・・。
それは、決してモノではありません。
人間がより良く生きるための民主主義の必要性を人々の心に残したのだと思います。
その心がこの地に学校として残っています。
詳しくは、こちらの記事をお読みください。
彼の志は、クメール語の本となって、現地の子どもたちの心にも受け継がれています。
支援とは、決して物を与えるだけではないことを、私は中田さんから教わったような気がするのです。
トイレ建設の支援も、トイレという箱ものにどれだけの思いを込めて取り組めるかが大事。
そして、カンボジアの人々の心に何を残すのかが問われるところです。
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国際協力NGO チアフルスマイル
代表 松田 辰弘
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