遅ればせながら、公演予定の変更についてまとめて説明させていただきます。すでに疑問に感じられていた方々もおられることと存じます。クラウドファンディングのキャンペーンページには、第一回公演(2021年4月)を第1幕、ボボでの公演(2022年2月)を第3幕公演と書いておりまして、その間に2021年12月にワガドゥーグーでの第2幕公演を予定しておりました。当初は全4幕をオペラを考えておりましたので、その一つ一つの幕を順に発表していこうとしていたのです。台本のもととなる、モイ·ムボランゴンさんの小説も出来上がっておらず、全体の見通しが立ちにくい中、そのように計画を立てていました。しかし、昨年末にはモイさんの執筆がかなり進み、もうすぐ完成の見込みです。今は細かな点を推敲している段階だそうです。私の手にも完成された第1章から5章と、残りの4章の要約が渡されました。11月にブルキナファソで大きなテロが起こり、その後もテロが頻発したこと、その他諸々の事情から、予定変更を余儀なくされました。ワガドゥーグー公演は2022年3月になり、ボボ公演との順番が入れ替わりました。激動の時代の只中にあるブルキナファソでのボボ公演は、第1~5章までの内容とその後の展望を含めた、最終完成版の礎となる形を目指すことにしました。モイさんの小説に、マブドゥのいとこを襲った悲劇をオーバーラップさせ、オペラ独自のプロットにしています。実際の公演でも、その部分で涙を流しながら観ている方々が多かったです。3月ワガドゥーグー公演は基本的にボボ公演と同じ内容で行います。その後、モイさんの小説の完成を待ち、それを踏まえてオペラ完成版を準備します。ボボ公演は、1時間45分の上演、休憩なしの全1幕オペラの形式でした。3月上旬にボボ公演のようすをYouTubeアップロードする予定で準備を進めておりますので、どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。
公演を成功裡に終了することができ、心からほっとし、胸をなでおろしています。実に様々のことがありましたが、公演2日前の夜に、夜間外出禁止令が解除され、サッカーのアフリカカップ準決勝の日とも重ならず(ブルキナファソは準決勝に進出したのです!)、多くのお客様に来ていただいて開催できたことは誠に奇跡のようです。そして、ボボにお住まいの、ジンベの神様と呼ばれているAdama Draméさんをはじめ多くの方々から高い評価をいただき、大きな励みとなりました。会場の設備が非常に良くなかったことから、ドイツから来てくれたトーンマイスター(音楽録音と、そのプロデュースの国家資格です)のお二人には大変な苦労をかけてしまいました。会場の設備が良くないということは事前から様々の情報で察知しており、ワガドゥーグーにスタジオを持っているサウンドエンジニアから大量の機材をお借りし、マイ·リンガニさんの車にすし詰めに積み込み、後部座席で楽器と機材に挟まれ、身動きもできないような状態でボボまで行きました。しかし、そのことが会場経営者のお気に召さなかったらしく、最初から謝罪させられる羽目に…。そんなに機材を借りてきたりするのは、年間百近いコンサートを開催している会場に対して信頼と尊敬の念がない証拠だというのです。ですが、結局はこれらの機材があったためになんとか凌ぐことができたのです。その上、会場は漏電している様子でトーンマイスターたちはあれやこれやに触るたびに電気がビリビリと身体に伝わり、大変だったそうですが、私を心配させまいと、ワガドゥーグーに帰り着くまではそのことを口にしませんでした。そのせいかどうか定かではありませんが、彼らのパソコンの一台のハードディスクに問題が起きて、ベルリンで修理しないとせっかく録音したデータが取り出せません。書き出すとキリがありませんが、会場のスピーカーからミキサーまで、ひとつとしてちゃんと機能しているものがなかったため、問題箇所の追求、修理·調整に膨大な時間がかかり、リハーサルも思うように進められず、一時はどうなることかと心配しました。でも、毎朝起きるたびに、今日こそは何とかなると気持ちを新たにして臨みました。が、本番直前の最終調整のときに会場オーナーから呼ばれ、毎日のリハーサルが長すぎたので、その分の電気料金を支払えとか、他にも新たな金銭の要求を突きつけられ、呆れ果てました。でも、そんなことに心乱されず、演奏に集中しようとみんなで言い合って、異様な雰囲気の中にもチームの絆をひしひしと感じながらの開演でした。フランス語、デュラ語、ボアも語の混じった公演でしたので、ブルキナファソ人たちは筋が追えたようですが、白人のお客様たちには少し難しかったかもしれません。が、涙を流しながら観てくれた人も何人もいて、最後の場面で、お客様たちも舞台へ来て踊るように促したときも、たくさんの人が応じてくれました。終演後「オペラというものを初めて観たけれど、本当に素晴らしい!」とたくさんのブルキナファソ人が声を掛けてくれて、本当に嬉しかったです。改善すべき点はまだまだありますが、いろいろな困難の中で、チームのひとりひとり、そして会場のスタッフもよく頑張り、結果を出せたことは、まさにオペラが総合芸術であること、多くの参加者の力を合わせて初めて成り立つものであること、みんなの心がひとつになったときには大きな感動を呼び起こすことができるということを証明していました。ブルキナファソの国営放送RTBが、2月6日の日曜日午後8時からのニュースの中で流してくれた公演のルポルタージュです。https://youtu.be/yzht0MXz51411分38秒からが、私たちの公演についてです。このニュースはサッカーの決勝の前半終了後の休憩中に放映されたので多くの人々が見てくれたものと思います。皆様のこれまでの暖かなご支援に、チーム一同あらためて心から感謝しております。五台のカメラでトーンマイスターたちが撮影してくれた映像と、ドイツから持参してくれた9個のマイク、ワガドゥグで調達したマイクロポートと大きな箱いっぱいのケーブルなどを駆使した録音を編集してYouTubeにアップロードしてお届けします。楽しみにお待ちください。リターンの品物もご用意が整い、本日トーンマイスターたちがベルリンへ持って行ってくれました。そこから日本へ送りますので今しばらくお待ちくださいませ。皆様、本当にありがとうございました‼ 3月5日のワガドゥーグー公演に向かって再び頑張っていきます。今後ともこのオペラプロジェクトの進展を見守っていただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
ニュースでご覧になったかもしれませんが、ブルキナファソでは1月23日の日曜日にクーデターが起こり、カボレ大統領は拘束され、辞任させられました。現在は暫定政府が統治しています。ボボでの集客戦略や会場設置、アンプリファイや録音録画のための機材の確認と調達…それらのためにマブドゥと私がボボへ向かって出発した日の朝早くクーデターは起こったのです。私たちの住まいからも明け方銃声が聞こえました。私たちは予定通りボボへ向かいましたが、その日の夜から夜間外出制限令が出され、21時までに帰宅することが義務付けられたため、2月4日に控えたボボでの公演の開始時間を大幅に繰り上げねばならないか、そもそも公演が可能かどうか、大きな不安を抱えたまま準備を進めるためには強い信念と精神力が必要でした。ボボには2泊して、できる限りの事をしてワガドゥグへ戻ってきました。外国人は外出しないようにとの指示が出ていたので少々不安ではありましたが、無事に戻って来られました。ワガドゥグへ戻ったタイミングで、公演を延期すべきだの、キャンセルすべきだの、18時開演に変更すべきだの、いろいろなアドバイスが来て、ますます不安を掻き立てられました。そのようなことを簡単に言われても、このような比較的大きな公演を延期すると多大な費用が発生し、次はいつやれるのか、どうやって経済を立て直せばよいのか、主催する立場には大問題なのです。どうしても出来ないときは仕方がありませんが、慌てずに状況の変化を待って落ち着いて決断しなくてはなりません。幸い、27日木曜日の夜には、夜間外出制限が24時までと延長されました。慌ててキャンセルなどしていたら元には戻せなくなっていたところでした。話が前後しますが、12月下旬にブルキナファソのプロフェッショナルの演出家とそのチームと契約し、オペラ制作に加わってもらうことにしました。ところが12月30日の、演出家との初リハーサルで、彼女の仕事の進め方に大きな疑問を感じ、翌31日にはその疑問は決定的な不信となり、この演出家との協働の話は白紙に戻す決断をしました。先払いた分の費用は無駄になってしまいましたが、そのまま進めていたら、きっと私たちの思い描くオペラとは似ても似つかないものになってしまったのではないかと思います。ブルキナファソにはオペラの歴史はないのですから、もちろんオペラの演出家などいるはずもなく、この演出家も演劇やコメディ、そして一度ミュージカルを演出したという話でした。人選ミスといわれれば誠にそのとおりで、貴重な財源を結果的にいくらか無駄にしてしまったことは、大変心苦しく、支援者の皆さまに幾重にもお詫びします。このことで年末年始はいろいろ揉めて、ストレスからなのか体調を大きく崩してしまい、散々でした。でも、もうこれ以上新しい演出家を探す時間もお金もないと腹をくくり、自分で演出する決心がつきました。これはある意味、長年の夢でしたが、思い切って挑戦することをたじろいでいたのです。ヨーロッパで数々のオペラを見てきたけれど、一度として演出に感動したことはなかったし、それどころか大いに疑問を感じることがしばしばでした。自分のこれまでのオペラの公演の演出家に関しても、必ずしも満足というわけではなかったのですが、オペラの演出はとても難しいので、自分でやるのはますます無理だと考えていたのです。でも、崖っぷちまで追い詰められてみると、アイデアが湧いてきて、仲間たちにもそれを示して、彼らのアイデアも募りました。すると、みんな次から次へといろんなアイデアを出してきて、様々な経緯で打ち沈んでいた雰囲気が一挙に回復しました!小道具大道具も友人たちの力を借りたり、マブドゥと私でマリオネットを作ったり、そのプロセスもまた楽しいもので、みんなの隠れた才能を発見しました。手作りのオペラですが、へたに「プロフェッショナル」に頼ろうとするより、この方が新しいオペラを作るにはふさわしいという気がしました。ヨーロッパのクラシックオペラでは音楽監督(指揮者)、演出家が大きな権力を持っており、歌手や演奏家たちはいわば彼らの手足となって働くような光景がまま見られます。自分では1音も出さない人たちが全体を仕切るという構図の、メリットも確かにあるでしょうが、デメリットについても再考する必要があります。「プロフェッショナル」という概念が発達したことによって、仕事が細分化され、ピラミッド型の階級制度によって報酬も権限もごく少数の人々に集中する現状は必ずしもよい結果を生み出しません。誰かの手足となって働いているだけだという感覚は、参加者ひとりひとりのクリエイティビリティを制限してしまいます。ブルキナファソの国の体制が大きく揺らぎ、変わろうとする今、過去から積み重なった不条理や不公平をどのように改善していったらいいのか、それは私たちのオペラ作りとも決して無縁ではないと感じます。いよいよ来週の金曜日に公演です。クーデターが起こったばかりのブルキナファソに、ドイツから二人のトーンマイスター(録音とそのプロデュースのドイツ国家資格です)が29日に来てくれます。彼らの知恵と力を借りて素晴らしい録画をお届けできるように、皆で最善を尽くします。どうぞ楽しみにお待ち下さい。ちなみに動画は、ブルキナファソの国営放送RTBが流してくれる宣伝用スポットです。
11月22日、私たちは午前中のリハーサルの後、昼食をとり、それから朗読会をしました。多くの犠牲者を出した11月14日のテロ、そして16日にもまたテロがあり、その後の服喪のための歌舞音曲自粛期間が過ぎて、私たちのファミリーの従兄弟(14日のテロで襲われた憲兵隊の一員です)は依然として消息不明ですが、どこかに隠れて生き延びてくれていることを願いつつ、リハーサルを再開しました。仏軍が戦車などの大型の武器を大量に輸送しており、それを阻止するためのデモがその輸送の経路に沿って繰り広げられていました。警察が出動してデモに参加する市民に催涙弾などを投げつけていますが、人々は熱心にデモを続け、カヤという都市で武器輸送の一行は立往生していると聞いたのが、20日土曜日のことでした。その夜からなんと公共WiFiがカットされるという事態が起きて、インターネットへのアクセスも、モバイル通信も未だストップさせられたままです。フランスによる過酷な新植民地主義的抑圧は、決して今に始まったことではないですが、現在の私の周りの人々のムードは明らかにこれまでとは違い、いつまでもこんな扱いに甘んじてはいられないと、誰もが考え始めているように感じられます。このプロジェクトの意味合いも、自ずとはっきりしてきて、音楽的な新しさや豊かさを目指すことにはなんの変わりもないですが、それと同時に、アフリカの今を、世界の他の地域に暮らす方々に少しでも伝えたい、知っていただきたいという願いが強まっています。そのためには、自分たちが物事を断片的にではなく、深く知り、理解することが必須で、そんな中モイさんの自伝的小説を深く読み込むための朗読会を行いました。 朗読会といっても、モイさんの小説を直接朗読したのではありません。事情をご説明しますと、原作はフランス語で書かれており、アフリカの植民地時代から今に至る社会の状況を、ユーモアを交えながらも、鋭く、多角的に描き出しています。様々のレトリックも用いられていて、メンバーたちがそれを理解する度合いには個人差があります。全く字が読めないメンバーもいます。彼らの中で最もフランス語が堪能なマブドゥですら、わからない言い回しや単語があると言っています。そこで、ジュスタンというフランス語の教師をしていた、書き物にも優れた青年に、第1章から3章までの概要をまとめてもらうように依頼したのです。なかなか大変な作業とは思いましたが、ようやく第1章の部分が仕上がり、それを朗読してもらい、そしてボアモ語で丁寧に解説もしてもらいました。第1章の物語はすでに初演もしていますが、あらためてみんなが、原作の全体を知ることには大きな意味があります。家の女性たちも耳を傾けていて、朗読終了直後に大きな拍手がジュスタンに贈られました。植民地時代に上の世代がどんな風にフランスに対応してきたかという逸話が盛り込まれてもいますから、このタイミングで聞くのは、感慨深くもありました。 モイさんは30代前半、メンバーたちと同世代です。個人的な事情から9月末に南アフリカ共和国に引っ越しましたが、今週はまたブルキナファソを訪ねて来るそうで、再会を楽しみにしています。