演劇/微熱少年『縁側アロハ』無事全日程終了しました。
コロナ感染爆発という状況下、ご来場頂いた皆様に深く感謝いたします。また応援してくださいました皆様、様々な事情で来場を断念せざるを得なかった方々、エールを送ってくださった貴方、本当にありがとうございます。
主催者である私たちが言うべきことか迷ったのですが、一つの見解として以下に記します。
本作の戯曲は加藤真史のオリジナルです。群馬県東毛地域の土地の歴史・記憶をベースに「現在」の家族のエピソードを通して、世界の諸相を描こうとする試みでした。
「事件や大問題を起こさない」「発露する問題は解決しない」「名台詞や言葉遊びでケムに巻かない」という、ストイックとでも表現出来そうな決め事と「特定の人物を軸に据えない」という表現法を採用しました。実は物凄く挑戦的で「新しいやり方」でした。しかし、ここでも「新しさを売り物にしない」というルールが設定され、外径的には「ありふれた家族の夏の一日」の物語であるように描く事を決めました。
だから、読みようによっては「お盆に家族が集まって話している姿を切り取った」ようにも見えるし、「家族それぞれの事情が明らかになっていく話」のようにも見えるのです。だけどそれらの問題は既に劇中の人間関係の中では共有されていて、その核心については明確に語られない。それで、それについては観てくださった方が想像することになります。
そこで評価の違いが生まれます。語られない部分を想像する力は、観てくださる方のレセプターやコンテクストに大きく左右されるのです。
面白いことがありました。スチル撮影をしてくれたフォトグラファー(30代既婚女性)が「お母さんと叔父さんどうなっちゃうの?」と尋ねてきました。その話題を聞いた受付や会場案内を担当したスタッフ(アラハタ女性)が、「え?あの二人、何かあるんですか?」とキョトンとしているのです。するとキャスト・スタッフ入り混じって「ウクレレ渡す意味とかさぁ」「姉ちゃん二人の会話を思い出せ」「え、あのセリフそういうフリだったの?」と大盛り上がり。これ、全撤収完了後の話なのです。
小津安二郎監督『東京物語』は直線的にストーリーだけ追いかけると何をもって名作と言われるのかわかりにくいのですが、映画の語法を知れば知るほど驚きの意味を発見することが出来ます。かの大名作と比べるのは不遜かも知れませんが、それを演劇の方法で構築することに成功したのだと、ある種の自信を持った瞬間でもありました。100人が観たら100通りの感想が生まれるという目論見。
観劇してくださったある世界的に有名な劇団に所属する女性の俳優さん二人が「アロハは正装ですってセリフ、あれ言いたい」と盛り上がっているところに居合わせました。「あのセリフを一番外部の登場人物に言わせるなんて、ニクイですよ」と言われ、そこを拾って貰えた事に感動してしまいました。
でも、その一番外部の登場人物が「結界を超える瞬間」に気づいてくれた人もいました。本作を撮影してくれた映像作家です。遠慮がちにラインを越えようとするけど、また戻る。というシークエンスから、パートナーに手招きされてラインを越える。これは全く違う重要なセリフが語られているシーンで同時に起こっています。
本作にはそんな仕掛けがたくさん織り込まれていました。セリフ一つ、所作一つ、俳優や道具の位置、視線の角度から衣装の崩れを直すことまで、ひとつたりとも作品全体として無意味な事をしていません。
キャストもスタッフも、それがわかっていたから、受け取り方の違いにあんなに盛り上がったのです。数ヶ月、向き合って作り上げて来た昨日にもまだまだ新しい意味や見え方を発見することが出来ます。
私たちのチームは知っています。
物凄い作品を作ってしまいました。
心残りはコロナ禍でご覧になれなかったお客様がいたことです。
舞台美術を担当してくれたCMや映画の美術を数多く手掛ける会社の社長が「本当のオトナの鑑賞に耐える沁みる本物だった」と言葉を贈ってくださいました。わかってくれる人がいる。その喜びを噛み締めています。
まずは皆様にご報告と感謝の気持ちを届けます。
Mahalo