ウクライナ出身で二児の母であるケセニアさんは、まさに死の恐怖と隣り合わせの状態で国外に脱出する決断を迫られました。もともと自宅避難をつづけるつもりだった彼女でしたが、目の前の通りで砲弾が爆発し、2本の電柱が倒壊。ケセニアさんと家族は通信手段を失い、どこにも助けを求めることが出来ない停電状態に陥りました。近所の家では火の手があがり、ほんの少し前まで彼女たちが穏やかに過ごした日常の景色が、日に日に恐ろしい風景へと塗り替えられていきました。爆発が建物を吹き飛ばす爆音、床を震わす振動に子どもたちとおびえる毎日。「もうこれ以上子どもたちを危険にさらせない」と、彼女はついに国外への脱出を決意しました。しかしそれは、将来が全く見えない、長い不確かな旅をしなければならないことを意味します。自分が離せない言葉が飛び交う場所で、果たしてどう生き抜いていけるだろうか。そんな不安を抱えながら、厳しい寒さのなかやっとたどりついた国境で彼女たちを待っていたのは、自分たちを労わり励ましてくれるオペレーション・ブレッシングのチームでした。生活に必要な物資や食料、冷えた体を温める食事を受け取り、子どもたちも安心して休める場所が与えられたケセニアさん。恐ろしい体験ばかりで緊張続きだった心が、ほっと一息つけた瞬間でもありました。オペレーション・ブレッシングは彼女のような家族のために、生活に必要な物資、食料、疲れた体を休める避難所を提供し続けています。私たちの働きを通して、ウクライナを支援してくださる皆さまの存在に心から感謝致します。あなたが捧げてくださったご寄付や祈りが、ケセニアさんをはじめ苦難の渦中にある人々の心を励まし支え続けています。ケセニアさんは最後に、スタッフに次のような言葉をかけてくれました。「ウクライナのために全世界が祈ってくれているとは思っていませんでした。多くの人たちが私たちのことを気にかけてくれていることを覚えて、私たちも祈っています。」ロシアの軍事侵攻が開始されて以降、平和を願う祈りが世界中で捧げられています。引き続き戦争被害者と難民となった家族、戦いの場に置かれている兵士たち、そして現地で活動するスタッフのためにお祈りください。
危機が拡大するウクライナで、オペレーション・ブレッシングはウクライナ国境付近に大容量の物資倉庫を設置し、連日多くの食料や生活物資を国内の家庭へお届けしています。スタッフが温かい食事を提供する中央キッチンでは、毎晩国境を命がけで超えてきた人たちがお腹を満たし、疲れ切った体を回復させる休憩所も開放ました。ヨーロッパ地域ディレクターのマーク・ディケンスから現地リポートが届きましたのでぜひご覧ください。支援の最新活動レポートはSNSでご覧ください↓Facebook:https://www.facebook.com/operationblessingjpTwitter:https://twitter.com/OperationBlessJ引き続きご支援をよろしくお願いします!
ウクライナとの国境に近いオペレーション・ブレッシングの倉庫からの動画リポートです。ドイツから届いた救援物資がトラックに積み込まれています。ここでたくさんの物資をフォークリフトで積み込み、国境付近やウクライナ国内に設置された倉庫へ配送しています。店が不足している今、生活物資を必要としているウクライナの人々にとって本当に貴重な支援になります。これらは全て、皆さんのお祈りと支援によって実現できています。私たちの活動を支援してくださっている皆さんに感謝いたします。
ウクライナ・キエフ市とロシア軍の間にあるグレース教会では侵攻後数時間のうちに、4時間ごとの祈り会を行うことを決めました。ロシア軍から10キロほどしか離れていないこの場所で爆発音が響く中、彼らは毎日祈りを捧げているのです。「教会が祈れば祈るほど、敵を打ち砕き、領土や民間人の標的、ウクライナ人を撃つ能力を無効化するのです。」マルティノフ牧師は、ウクライナ軍が抗戦する中で神がその祈りに応えていると固く信じています。また、戦争が始まって以来、教会では毎日救援物資の仕分けや梱包、収集などを行い、これまで約6万人を支援してきました。「困っている人々を援助するために活動を続けます。だから、怖くありません。」そしてこの人道支援は必要な限り継続すると言っています。さらに彼らは、ロシアが霊的に大きく変化するよう祈っています。そして世界中のキリスト教徒に、ウクライナのためだけでなく、前例のない政治的・経済的激変に耐えているロシア人のためにも祈るよう呼びかけています。「神様、ニネベを救ったように、ロシアも救ってください」と。祈りましょう。
たくさんの人がルーマニアにも避難してきています。シレトの街では、英語を話す人も少なく、姉妹団体の支援チームがニーズを知るために通訳しながら対応しています。多くの人は最終的な行き先もなく避難してきました。子供たちも疲れ切っています。安心していられる場所がありません。最終的な目的地がわからない移動というのは、どんなに果てしなく感じるでしょうか。祖国を離れ、家族と別れ別れにならざるを得なかったこの状況。そうした人々がこの先に希望を持つことができるよう、私たちはできる限り支援を続けていきます。