賢治さんの大甥宮澤和樹さんにお会いできました。
戦火の中で祖父(賢治の8歳下の弟)清六さんが、防空壕の中で賢治から託された原稿を燃えないように必死で守ったこと。(壕の奥に備蓄していた味噌で入り口を固め、醤油で火消しをしたらしいのです)
その防空壕を作るように言ったのは詩人で彫刻家の高村光太郎さんだったこと。
音楽に魅せられ、カルテットができるようにチェロ、バイオリン、ビオラを取り寄せてみんなに貸し出していたこと。
(そのうちの一台の150年ほど前のスズキ製バイオリンを見せていただき、触らせてもらいました)
雨ニモマケズという手帳のメモは作品だったわけではなく、
死の間際の法華経の教え、
「行く」という
「行動すること」を最期まで尊び、
そうあれなかった自分への祈りだったことなど、
すぐそばで聞く和樹さんの声は、
やはり血の濃さを感じずにはいられない"音"の近さがありました。
来年は作品を持って、
未踏の地、岩手花巻の林風舎にも行けたらいいなと思っています。
kawole