8月末~9月にかけて、かまどの解体調査を行いましたが、かえって謎が深まり、はっきりした調査結果を発表できずにおりました。
半六邸母屋の2階建て部分は江戸時代に建てられ、平屋部分は明治22年に増築されたと伝えられています。大正10年の絵図に、ほぼ原寸大の7連のかまどが描かれていることから、かまどの建造はそれ以前であったことは間違いありません。
当初、建物と同じ明治22年頃建造されたのであれば、宇都宮式のかまどではないかと 期待して解体調査を始めました。その頃、日本最初の化学技術者と言われ、初めてかまどの学術書「築竃論」を口述した宇都宮三郎が亀崎の蔵元に招かれ、かまどや醸造法の改良を行っていた時期と重なるからです。
しかし、焚口が埋められ、ガス管のゴムホースの切れ端が見つかったり、それ以外にも何度か改造が加えられた形跡があり、建造時の構造が確定できませんでした。そして、なんと全てのレンガを取り除けた下から樹脂製の歯ブラシの柄が見つかったのです。
昔、旅館の洗面セットに入っていたような 薄っぺらな歯ブラシの柄で、樹脂製の歯ブラシの柄が普及しだしたのは昭和26年頃なので、一時期借りていた料理旅館がかまどを作り直したのか、と思いました。しかし、柄をよく見ると消えかかっていますが、アルファベットが書かれており、「Dupont」と書かれているようにも見えます。
歯ブラシの柄には、古くは象牙・骨・木などが使われていましたが、第1次世界大戦中(1914~1918)にセルロイドが使われだし、日本でも1917(大正6)年に初めて作られました。毛は馬や豚などの獣毛が使われていましたが、1938(昭和13)年にデュポン社が初めてナイロン毛を使用しました。ただ、植毛は手作業だったため、歯ブラシはとても高価なもので、庶民に手の届くものではありませんでした。昭和20年代、かけそば1杯30~40円だった時代に国産歯ブラシ1本100円だったそうです。舶来品の歯ブラシはもっと高価だったことでしょう。
今回出土した歯ブラシには毛が全く残っていませんでした。ナイロン毛であれば、残っているはずですが、完全に分解されていることから、獣毛だったと思われます。また、料理旅館が舶来品の歯ブラシを使っていたとは考え難く、また、旅館開業にあたって建物内部にガスを使用する厨房を造っています。これらのことから、かまどは大正4年から10年の間に半六家によって建造されたものと考えられます。
歯ブラシの製造年代を確定することができれば、確かなことが言えると思い、色々調べましたが、製造年代確定まで至りませんでした。このことについてお知恵をお持ちの方、教えていただければありがたいです。