皆さんはミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだことがありますか?
今日は邦訳版タイトルの由来について、「訳者あとがき」の内容も抜粋しながら、ご紹介したいと思います。
原書『TIME WARRIOR』を直訳すると「時間の戦士」となりますが、日本語にすると何だかしっくり来ませんでした。
この戦士はそもそも、時間の何のためにどうして闘うのだろう?
そう考えた時に、ミヒャエル・エンデの童話『モモ』を思い出しました。
ご存知の方も多いと思いますが、『モモ』は「灰色」と呼ばれる「時間どろぼう」と「モモ」という女の子を通して、現代社会が人々の時間を搾取する構造を批判した童話です。
物語で描かれているように、時間はいのちそのものであるはずなのに、現代社会を生きていると時間の効率ばかりが優先され、時間のもつ豊かさが遠のいてしまうことがないでしょうか。
さまざまな制度が生活の隅々にまで行き渡る中、衣食住全てがお金を使わないとアクセスできないような気がしたり、何かの専門家や権威の知見こそが真実であるように思えてくることがあります。
一方で、人間はもともと、直接自然と関わって自分の手で生み出したり編み出したりすることを個人や集団の営みとして行って来ました。そのための知恵や技術が個人にあっただけでなく、自分の肌感覚のようなものをもっと信頼していたのではないかと思います。
本書はある意味で、そうした自分の感覚を疑わずに信頼して選択・行動することで、時間を自分の手に取り戻し、人間らしい在り方を取り戻すのを助けてくれる一冊のように感じています。
いのちの時間を取り戻して生き生きと生きる人が増えてほしい。
そういう願いを込めて、「いのちのじかんのまもりびと」というタイトルは生まれました。
今の時代の日本にぜひ届けたいという想いと、それを応援してくれた方々のおかげで、こうして出版まであと少しのところまでたどり着くことができたこと、ここで改めて御礼申し上げます。