こんにちは!
鹿肉専門キッチンカーのあかりんご(@akaringo252588)です。
皆さん、鹿っていつから日本に生息しているか、ご存知ですか?
実は…鹿は縄文時代から日本に生息しており、今でも野山に野生動物として暮らしています。
つまり、鹿と私たちは1万年来の仲。
想像もつかないくらい長い歴史の中でできた、深く多面的な関わりがあるのは必然です。
今回の活動報告では、農作物をとる・とられるという利害関係だけでない、鹿と日本人の関わりについてお話しさせてください。
……………目次……………
1. 鹿は縄文人の貴重な資源
2. 奈良公園にはなぜ鹿がいる?
3. 鹿肉は江戸っこの大好物だった
4. 鹿は身近な存在「だった」
現在では牛豚鶏のお肉がメジャーです。
しかし日本ではもともと、肉といえば鹿肉だったのです。
約1万年前の縄文時代、日本人は狩猟採集によって食糧を確保していました。
貝塚から出土した骨の39%が鹿のものだったという報告もあり、鹿は縄文時代から重要な資源だったことが分かります。
鹿はお肉に加え皮や角、骨など、そのほとんどが衣類や靴、モリやハンマーに加工され利用されていました。
弥生時代になると、稲作が始まります。
面白いことにこの時代から、土器や青銅器に鹿のモチーフが見られるようになるのです。
これらから、予想できるのは、鹿に対する信仰が始まったのではないかということ。
なぜ鹿への信仰が始まったのかは諸説ありますが…
一つは、鹿の角の成長サイクルと農業の関係があるのではないかと言われています。
稲作は春に田植え、秋に稲刈りをします。
実は鹿の角も同じく、春に生え始め秋が終われば抜け落ちます。
この2つのサイクルが似ていることから、豊作を願うために鹿が信仰対象となったという仮定もあるのです。
こうした鹿への信仰が今でも見られる場所があります。
そう!あの有名な奈良公園です。
奈良には春日大社という神社がありますが、ここに祀られている神様のひとりに「タケミカヅチノミコト」がいます。
このタケミカヅチノミコトが奈良時代、常陸国(現在の茨城県)から春日大社へ来る時に乗ってきたのがアメノカクという白い鹿の神様だったのです。
こうして鹿は神鹿(シンロク)として保護されるようになり、今につながっています。
現在、奈良公園では1300頭の鹿が保護されています。
今や奈良県の観光スポットとという印象が強いですが、実は1200年もの歴史があるんです。
江戸時代には、鹿肉やイノシシ肉を食べる文化が花開きます。
江戸の町では「ももんじ屋」という肉屋が鹿肉を取り扱い、鹿肉は「もみじ」という名前で取引されました。
吾邦似て大牢(たいろう)といへるは、大鹿、子鹿、猪なり。
訳:我が国における立派なご馳走とは、大きい鹿、子供の鹿、そしてイノシシである。
これは江戸中期の儒学者である荻生徂徠が残した記述です。
この文章からも分かる通り、鹿肉は美味しいご馳走であり、身近な存在であったことが予想できます。
ちなみに、鹿肉はすき焼き風の鍋料理が人気だったそうです。
このように、鹿は日本人にとって身近な存在でした。
畑を荒らす害獣としてだけでなく、お肉という資源として、そして神様という信仰対象として。
鹿と日本人は、こうした矛盾とも言える多面的な繋がりをもち関わり合ってきたのです。
1万年の歴史があるからこそ、鹿は面白い。
そしてその続きを作るのは、他でもない私たちです。
なんだかワクワクしませんか?
そんな私のワクワクを、少しでも感じて頂ければ幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!