コロナ禍、日本に帰国
高校1年生のSAYAです。2019年4月から父の駐在でミャンマーに住んでいました。
新鮮な環境に身を置きながら、充実した毎日を過ごしていました。でも2020年になり、コロナが蔓延し始め、私たちは日本に避難することとなりました。1ヶ月くらいでまた戻ってこれるんじゃないか、2ヶ月もいたら長いほうだ、と当時の私は思っていました。だから、着の身着のまま帰ってきました。けれど、日本に帰ってきてから何ヶ月経っても、戻れる気配はありませんでした。
半年が過ぎた頃にようやくコロナは落ち着き始め、父はミャンマーに帰っていき、私も帰れる日を今か今かと待ち望んでいました。対面でミャンマーの学校や塾に行きたい。友達と遊びたい。プールで泳ぎたい。置いてきた物が恋しい。ミャンマーで観光地らしき場所は、シュエダゴンパゴダとゴールデンロックしか行ってない。インレー湖やバガンにも行きたかった。やりたいことは、考えれば考えるほど出てきました。
クーデターを日本で知る
2020年2月1日。クーデターが起こったと知りました。私のミャンマーへ帰る道は、一気に閉ざされた。ミャンマーの方が感じた絶望感は、私のそれとは比べ物にならない大きさであることはわかっています。その時は恥ずかしながら、ミャンマーにいる父の心配より、ミャンマーの方々の心配よりも、自分が帰れないという絶望感の方が大きかったです。
学校も塾もオンラインなのに、インターネットが繋がらず、休みになったりもしました。やっと繋がるようになると、画面越しにデモの音が響いています。ミャンマー人の英会話の先生が「これからデモ行ってくるから」とまるで買い物に行くかのように言っていたのは、衝撃的でした。同時に、それくらいミャンマーの人々の生活に、デモが根付いてしまったことを実感しました。
ニュースやSNSで見るミャンマーの姿は、私が知っているあの穏やかなミャンマーではなく、私に向けてもらったあのたくさんの温かい笑顔も消えているように感じました。クーデターは、彼らの人生を大きく変えてしまいました。生活も、性格も。未来も。
私はただただコロナもないクーデター前のミャンマーに戻りたいだけなのに。
きっとそれは、ミャンマーの方も同じだと思います。政治的なことや難しいことはわからないけど、その気持ちはほんの少しですが分かっているつもりです。
この先、また平和で美しいミャンマーに戻ってほしい。でもあの時と同じではありません。私も、中学3年生のままではないから。ただただ、あの時のミャンマーに戻りたい。
私は滞在期間も短いし、実際にクーデターを体験したわけでもないけれど、クーデターによって失われた、私が知っているあの頃の平和で美しいミャンマーをたくさんの人に知って欲しいと思ったから、ヤンゴンかるたの活動に加わりました。それがあの頃のミャンマーに戻る、第一歩な気がしたからです。
(石田紗也)