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16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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多様性 の付いた活動報告

政変が奪うもの
2021/12/15 15:28
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受験中に起きたクーデタークーデター当日、僕はミャンマーからドイツの大学に出願をする予定でした。ネットが遮断されると聞き、困惑しました。アウンサンスーチーさんが早朝に拘束されたと聞いて、何が起こったのか、最初はよくわかりませんでした。その日はなんとか出願ができたものの、度重なる通信遮断により授業や試験に支障が出て、米英の先生方の多くが帰国を始め、厳しい時差の中でオンライン授業をすることになりました。一緒にドイツ語を学んでいたミャンマーの友達が「ネットが繋がらず参加できない」「デモに行ってくるから、授業を休みます」と言うことが、次第に増えていきました。そして3月の末、後ろ髪を引かれる思いと、どんどん深刻になるヤンゴンの状況に不安を感じながら、卒業を待たず、日本に帰国しました。シャン州の子どもたちとあやとりをする僕とにかく生きるための支援当時、コロナで疲弊した経済状況の中過ごしてきた人々が、抗議活動によってますます貧困化していきました。ヤンゴンなどの都市部では野菜が高騰し、地方では作物の価格は大暴落しました。それでも彼らは抗議活動をやめようとはしませんでした。それは未来を、希望を、失うことだからです。日本でもクラウドファンディングによる資金調達があり、貧困世帯への食料支援が始まっていま した。とにかく生きる。そのためには食べなくてはいけない。だから食糧支援はもっとも大切だと思います。でも、僕には気になることがありました。僕は学習障害があり、公教育、高校受験、さまざまな状況下で、普通の生徒と同じように学び進学することができませんでした。いつ自分の学びが閉ざされてしまうのか、と常に不安を感じていました。だから、ミャンマーの子どもたちの学びが奪われていることに対して、危機感を感じていました。ミャンマーを発つ前、ミャンマー人の先生に、勉強道具、洋服、日本語の教科書など、さまざまな物資をお渡ししました。子どもたちに少しでも日常に楽しさを感じて欲しくて、ピアニカ、リコーダー、ぬいぐるみなども渡しました。そして僕は一番気になっていたことを聞いてみました。「ヤンゴンの子どもたちの学校は始まりましたか?コロナでずっと休校や、オンラインの授業が 続いていて、学びが止まっていますよね」すると先生は言いました。「軍はもうすぐ学校を再開すると言っていますが、親たちは子どもを学校に通わせないと言っています。軍政下で、親は子どもを学ばせたくない」子どもたちに学びの継続をそれを聞いてハッとしました。確かに、軍事政権下での学びは、偏向教育の可能性が否めない。子どもを人質に取られる危険性もある。先生はクーデター以前から、過去のミャンマーの教育(極端な暗記教育、自らの考えを育てない教育など)を問題視していました。逆に学校に通うことで、CDM(市民的不服従運動)に参加する人々から非難される場合もあると聞きました。都市部のヤンゴンでは、進学率も上がってきましたが、まだ児童労働の問題があり、高校を卒業できる子どもの割合も低く、職業の多様性もありません。先進医療や高度な科学を勉強するためには、英語を学ぶ必要もあります。近年、日本のJICAの協力を得て、教科書が変わり、ネットの普及で世界を知るようになり、ミャンマーの若者の意識は大きく変わりつつありました。僕たちがヤンゴンに住んでいる間、ショッピングセンターが続々と建設され、スーパーマーケッ トで売られる商品の品質が改善され、お洒落なカフェやレストランがどんどん増えていました。環状線の古い線路は新しく張り替えられ、近い将来、日本の鉄道が走る準備が始まっていました。かるたの写真を撮っていた2019~2020年頃の様子新型コロナの厳しい自粛政策の下、感染者数が減り、経済活動と学校の再開を心待ちにしていた矢先、クーデターが起きたのです。僕は日本人です。ミャンマーに住んでいても、病気になれば日本で先進医療を受けることができます。ミャンマーでクーデターが起きれば、日本に帰国して、日本の教育を受けることができます。僕は学習障害があっても、インター卒業後、オランダの大学に進学しました。僕たちと同世代の若者は、もしかしたら海外進学が決まっていたかもしれない。夢の実現のために、勉強したいことがあったかもしれない。クーデターによって起きた経済的な問題、ビザの取得問題、学校の長い休校や親の考えによる不登校。それらは、子どもたちから未来を奪っているのではないか。そう考えた時、何かしなくてはいけないと思ったのです。政変によって奪われるのは、目の前の命だけではありません。子どもたちの学びを奪うことは、個人と国の未来を奪うことです。(野中宏太郎)8/18のFBの記事


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もったいないよ「ミャンマーを伝えたい」「はやく平和を取り戻して欲しい」と願うのは同情や哀れみからではありません。なんかもったいないよ、と思うからです。ヤンゴンにお気に入りのクレープのお店がありました。東南アジアだとガレットのお店が多いのですが、ここは生地がフニャッとして生クリームがいっぱいの、まさに日本のクレープ。ジャパンと付けばなんでも高いのに、現地価格と比較しても高くない。100円くらい。レーダンという若い人が集まる地域にありました。座って待っていると少し照れ臭いそこで注文し待っていると、ミャンマーの方が「ありがとうございます」「ご提供が遅くなり大変申し訳ありませんでした」と美しい日本語で応対されて驚きます。弟は「ゴテイキョウってなに?」と聞くほど。100円のクレープを売る店に、私が日常忘れてしまっている美しい日本語を話すミャンマー人がいる。「このままじゃ、負けるぞ、私」と思いました。(何の勝負かはわかりません)ベトナム(2年間住んでいた)にも、ミャンマーにも、日本語を話す人がたくさんいて、なんだか言葉にできない勢いがありました。おもしろくてなんかワクワクするこの携帯ケース買う人いるのか•••私たちは教科書で、日本は先進国、東南アジアの多くは途上国だと学びます。でも、言葉だけでは判断できない「何か」がここにはあると感じます。(それはまだうまく言葉にできません)私は行動できるのかミャンマーでクーデターが起きたとき、若者は次から次へと新しい方法で平和的なデモで対抗をしました。SNSを利用して情報を共有し、お互いの命と安全を守る様子を、現地で見聞きしながら、私は「自分の国の将来を守りたいと考えてきただろうか」「自分の身に何かが起きたとき助け合う友達はいるのだろうか」「誰かの主張に賛同し行動できるだろうか」と思いました。2021年2月 クーデターに抗議して集まる人々(レーダンセンター前)クーデターで、この人たちの歩みが、数年(数十年?)止まる、あるいは今後も繰り返されて、その度に遅れるなんて、あり得ない。ただ、そう思ったから。そして、彼らに学びたいと思ったから。達成目前ですミャンマーに思い入れのある方に、たくさんの支援を頂き、支えられ、本当に感謝しています!!私もメンバーも、そういう強い気持ちでこの活動をしています。決してかわいそうな国だからじゃなく、関心をもって「いつか行ってみたい」と思って支援してくださる方のご支援を増やしたい。完成品のご紹介も間近です「ミャンマーってクーデター起きてたの?知らなかった!リターンが可愛くて支援したのに!」って方の支援を広げたい。最近気付いてしまったのですが、推しのアーティストの故郷のことを詳しく知ることができるヤンゴンかるた。絶対に買いです。猛烈にオススメしたい。そして同世代の人に、興味を持っていただきたいです。一緒に活動したいな、と思っていただけたら気軽に連絡して欲しい。素敵なミャンマーに出会ってください「かるた製作」の目標は達成できそうですが、私たちの活動はここからがスタート。学校や地域でのイベントを通じて日本の学びを変えていくこと。そして、日本を紹介するカルタを、ミャンマー語で作り、お互いの国を理解する若者を増やすことです。数日後に、新しいリターンもプラスして、数もたくさん追加します。素敵なミャンマーを知る機会にして欲しいです。(野中優那)


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「国ガチャ」「時代ガチャ」だってある今年の流行語大賞のひとつに「親ガチャ」という言葉があります。そもそも、大前提として、私たちはこの時代に「ヒト」に生まれることすら選んだわけではありません。そしてほとんどの人はまだ地球を離れて生きることはできません。その中で、日本に生まれた私たちは、良い「国ガチャ」を引いたと言えるのかもしれません。15歳まで義務教育を受けられるシステムがあり、道が整備され、蛇口から水が出て、医療も受けやすい環境にある。もちろん個人差はあります。生き辛さを抱える人も多くいます。でも(誤解を恐れずに言ってしまうと)生きるハードルは低い国だと言えるのではないでしょうか。クーデターってどんなこと残酷な画像にご注意ください11月の研修で、中学生の皆さんにガチャカードを引いてもらいました。クーデターと聞いても、多くの中高生はよくわからないと思ったのです。いつもと同じ平和な朝が来ると信じていたのに、ある日、突然日常が奪われていく。「夜、父親が連行され、翌朝、遺体で戻る」「外で遊んでいた弟が撃たれて死ぬ」これがいま、ミャンマーの人々の暮らしの中にある現実です。カードをただ引くみたいに、突然自分に不幸が襲いかかる。それが、クーデターではないかと思います。軍によって村が焼き尽くされたチン州タンタランの様子を伝えるTwitter「自分の国じゃないから関係ない」「そんな国に生まれたんだから仕方ない」それで済ませてよいことなのでしょうか。そもそも、私たちの国は、永遠に平和なのでしょうか。これから先、海外で暮らす人もいると思います。誰にでも起こりうることだと思います。きっと伝わる。だからためらわずに伝えたい。ミャンマーにゆかりのある高校生イベントでは、ミャンマーの民族問題、日本のODA、クーデターがなぜ起きたのか、そして危険な場所であってもジャーナリストが取材を続ける意味についてなど、たくさんの講師の方にご協力を頂き、お話していただきました。そして国際社会の中で、自分に何ができるのかを中学生と一緒に考えました。イベント後、「いつかミャンマーに行ってみたい」「僕が今度はミャンマーを伝えたい」「若い人たちの力が必要とされている」「もっと社会のことを考えなくては行けないと思った」など、ご紹介しきれないほど、たくさんのポジティブなメッセージを頂きました。私たちは、無関心なんじゃなく、知る機会がないだけ。だから、多くの人から話を聞きたい。そして、ためらわずに伝えたいと思います。クラファン、開始後10日で90%を超えるご支援をいただきました。2月1日までまだまだ走り続けます。ミャンマーにご縁のない方、私の同世代にも、ミャンマーのことを知って欲しい。かるた製作はスタート地点です。どうぞ引き続き、応援をお願いいたします。(野中優那)リーフレットご希望の方、またリーフレットを配布、設置をご協力頂けます方は、是非ご連絡ください。yangonkaruta@gmail.comCAMPFIRE、Facebook、Instagram、Twitterでも承ります。ご負担のない、様々な方法で、応援をお願いいたします。


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クラウドファンディングに協力してくださった皆さま、この度はありがとうございます。プロジェクトメンバーの石川です。今回はヤンゴンかるたを使った課外活動について書いてみようと思います。 11月13日(土)、20日(土)に聖学院中学校さんで実施した出張ワークショップに、自分も運営として参加してきました。1回目は「ミャンマーの概要やクーデター後の現状」、2回目は「国際社会の中でできること」をトピックに、ゲストを招いて実施しました。身を乗り出すように真剣に話を聞いてくれる一方、カルタやクイズなどアクティビティの時はワイワイと賑やかな中学生たちの様子はとても微笑ましく、真っ直ぐにプログラムに取り組んでくれていることが伝わってきました。(上から目線になってしまいましたが、僕より、みんなしっかりしていたと思います…)ミャンマーの食と電力事情のクイズミャンマーの状況に目を向けようとしてくれた中学生たちの言葉から、色々なことを教えてもらうと同時に、自分も頑張らなければ、と刺激を受けたワークショップでした。グローバル教育の現場では、国際社会で必要とされる「スキル」や「知識」を身につけることも大切ですが、世界で起こっている不条理やそこに生きる人々に想いを寄せることのできる「心」を養うことが何より大切だと思っています。ヤンゴンかるたが、日本全国の子供たちにそんな心を持ってもらうきっかけの一つになったら嬉しいです。講師のお話は自分たちの学びにもなりましたこれからも、カルタという身近な文化を生かしたさまざまな取り組みによって、日本とミャンマーを繋ぎ、両国の未来を明るく照らす一助となれるよう頑張っていきたいと思います。引き続き応援をよろしくお願いします!(石川航)


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悲しいニュースがつづく平和的なデモをする若者に国軍の車が突っ込み、轢き殺した事件で、若者の命がまた失われた。撮影していた人も連行されたと聞く。家族のもとに、無事に帰ってこれることを心から願う。多くの日本人にとって、信じられない非道な行為かもしれない。上層部の指示なのか、末端の暴走なのか。同じミャンマー人同士なのに、道徳心はないのか。普通はそう考える。久しぶりにニュースになったけれど、2月下旬以降、いつもどこかで起きている。もっともっと酷いこともたくさん起きている。目の前に目障りなデモ隊がいた。だから突っ込んだ。その程度の気持ちなんじゃないか、と正直思う。私にはわからないこと私もクーデター当初は、信じられなかった。良心があるなら、誰もが間違いに気付くはずだと思っていた。ある人から、「兵士の中には、誘拐され、教育をまったく受けず育ち、「打て」と「待て」しかわからないような人もいる。彼らは国軍の世界しか知らず、それ以外をすべて敵だと思っている。彼らにとってそこは食事が提供され生きられる場所。だから自分の行為が間違いだと思っていない」と聞いたとき、先進国で当たり前に教育を受け、生きてきた自分には、見えないことがたくさんあると知った。私はミャンマーに住んでいたけれど、ミャンマー語も話せないし、歴史も知らない。ミャンマーの文化や民族問題もよくわからない。だから本当は、あまり語るべきじゃないと思っている。クーデターの記憶クーデター後は、買い物に出る時も、下を向いて歩いた。平和だった街にバリケードがはられ、兵士が銃を持って立っている。誰かと目が合って、万が一日本人の私が撃たれたり、連行されたりすれば、国際問題に発展してしまう。3月に入り弾圧が激しくなってからは、ほとんど外出しなかった。オンライン授業を受けながら「近くで銃声が聞こえる」と怯えるクラスメイトを見て胸が苦しくなったり、いつも買い物している場所で人が殺されたとSNSを見て驚いたりすることはあっても、私はいつも安全な場所にいた。だから、クーデターを経験したと言っても、それほど多くを知っているわけではない。でも、コロナの中でも粛々と過ごし感染者が減り、新年を待っていた人々の暮らしが、一変したあの日。理不尽に通信を制限され、平和的なデモに武力による制裁が始まり、恐怖と怒りと悲しみと焦り、言葉にできない感情がミャンマー中に広がっていった感覚を、間違いなく知っていると思う。日本に帰国して、強く感じた違和感を、忘れたくないのに、その記憶はどんどん失われていく。だからいつも思い出す。外で遊ぶ子供が銃で撃たれて死んだこと。父親や息子が国軍に連行され、翌日、遺体が返された家族のこと。村が焼かれ、山奥に逃げる人々。家族を殺され、武器をもち、防衛隊になると決めた若者。学校での学びを奪われた子供たち。進学や留学を諦めた若者。コロナや病気でほとんど医療も受けられず亡くなった人々。民主主義を求めて殺された人々のこと。ただ歩いていて殺された人々のこと。選挙に不正があったかどうかなんて知らない。原因は国民じゃなく政治にある。わかるのは、2月1日のクーデター以後、多くの人の命が奪われたという事実。その首謀者を世界中が知っているはずなのに。(野中優那)