写真の犬はアンディアンディは某ブリーダーの所で生まれ生まれたその日に売り物にならないと、ボランティア団体で何とかしてほしいと連絡がきた子ですBCRNは廃業しないブリーダーからは引き取り、引き上げは、しませんけれど、ブリーダーが何とか出来ないなら、明日処分しかない、と、言うので私個人で引き取りしましたその際に、出来たら生後2ヶ月まで育ててもらいたいと頼みましたが、離乳食が始まるとお金かかるから嫌だといわれ、仕方なく生後1ヶ月まで母乳で母犬に育ててもらいたいと頼みわずか生後1ヶ月で我が家にきました当初、先々は新しい家族を探すつもりでしたがまわりから普通(私の元々の犬の事だと思います)の犬は残してそんな犬を他人に渡すのか、とか、犬はシニアになると後ろ足から弱ってくる、前足がないなんて、シニアになったら大変なのに、そんな苦労を他人に押し付けるのか、とか、そんな犬は、処分したほうがよいとか、散々言われましたほとほと嫌になり私が飼う、と、決断しました飼うとなると多頭飼育気味な我が家を見たかたからは、アニマルホルダーなのか?と言われてかなり、嫌な気持ちになりましたボランティア団体に偏見がある方も沢山いるでしょうが色々なボランティア団体があります確かに良くない団体もあるでしょうしかし同じ保護活動でも保護する対象の差は、あると思うしDSRNは譲渡を目的と出来にくい犬を対象にしていますその違いは、知って欲しいしご理解頂きたいと思いますアンディのような子とまた出会ったら、個人では大変ですがDSRNとして引き受けていけると思っていますアンディは元気に育ち3歳になりました自慢の息子ですあの時処分されなくて良かったです
写真は元々保護犬同士のチョッパーとシュートですふたりとも、全く噛まないタイプではなくあるスイッチが入るとくちがでてましたきちんと叱りきちんと誉め長い時間が過ぎたら写真のような笑顔のふたりに。1頭でも、こんな笑顔にしたい
何回も登場しているチップの、少し後に飼い主から引き取りをした写真の犬の名前は、ソラ私が1番忘れられない犬です可愛い顔をしてますがスイッチが入ると豹変し噛みついてくる犬でしたそして自宅にて噛む犬を預かった初めての犬です当時は今とは違い私の家庭にソラを引き取ることが出来ずあまりに私以外の家族に対し威嚇が凄まじく移動を願い関東方面の訓練所にソラは移動しました別れの時初めて、へそてんを私にしてすがってきたソラ噛まれて戦いながらも見えない何かは育っていたのか、と、思いましたしかし、どうしても私の状況が難しく移動するしかなかった、そして、数ヶ月後、ソラは移動した訓練所にて突然、亡くなるという別れになりました後悔してます今なら家族としてでも引き取れたのに、と。このソラへの後悔とチップという、発達障害がある犬との巡り合わせがあり奮起してまず訓練士の資格をとりましたそしてもう後悔はしたくない思いから、噛む犬の預かりをし出来るだけ、行き場がない犬は家族として迎えてきましたしかし、家族として1人で迎えるには限界があるそこでまた、DSRNを作る事にと結び付いて行くのですどうしたら、犬を救い優しい気持ちのサポーターさんを守り終生飼育していけるのか、と。まだまだ、活動の先に答えは見つからないけど後悔だけは、したくないそんな気持ちで今もいますソラとの出会いも必然だった本当にそう思います続く
DSRNを作った理由はもちろん犬を救いたいそして善意のボランティアさんも救いたい譲渡が難しい犬の最後の砦と言えば、綺麗だけど生きていく場所は必要今までは内灘へ通っていましたが、昨年の大雪や現在いる犬達もシニアになり24時間介護が必要になると今の場所では、泊まり込みも難しいそこで、いつそなら自宅を売却して新たに犬達を受け入れられるような場所に自宅兼シェルターを作ろうと思いましたそして今また皆さんにご協力をお願いする事にどうしても足りない資金脱走防止のフェンス大型室内サークルなど設備意外にも必要なものが。。どうかご協力宜しくお願いします写真は引き取り後のアスラン体重26キロまで復活しました膵臓の病の治療をしながら食事管理をし長生きしてくれました最後は糖尿病を併発し多臓器不全でしたが、自宅にて最後みとりしできました噛まれ親指の爪が剥がれたのも今は良い思い出です(笑)
善意で預かりした犬が家族にケガをおわせてしまうこんな、辛い話は、ありません大概、このパターンになると皆さんボランティアを辞めて行ってしまうせめて問題が起こってすぐに犬を移動出来ていたら。問題お越しそうな犬の観察できる場所があれば、と、考えて内灘の元ドッグランを借りましたもちろんBCRNはシェルターを持たない団体だから私個人でですこの元ドッグランを借りた事が、今のDSRNが出来る紀元となることを、最初は、全く考えてもいませんでしたそしてこんなにも、人と暮らす事が難しい犬が多いことも、最初は知るよしもありませんでした。。続く写真は、アスラン入院していた時期です少し回復しだした頃