日本唯一の烏梅農家の新たな挑戦!知られざる梅の魅力を伝えたい!

1300年前から薬、染物、口紅の原料として重宝されてきた烏梅(うばい)ですが、現在技術を継承するのは当店のみ、最後の一軒となりました。自然由来で人間にも環境にも優しい烏梅の技術を後世に残すために、口紅の開発に挑戦します。皆様の力を貸してください!

現在の支援総額

1,364,500

45%

目標金額は3,000,000円

支援者数

96

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/12/17に募集を開始し、 96人の支援により 1,364,500円の資金を集め、 2022/02/28に募集を終了しました

日本唯一の烏梅農家の新たな挑戦!知られざる梅の魅力を伝えたい!

現在の支援総額

1,364,500

45%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数96

このプロジェクトは、2021/12/17に募集を開始し、 96人の支援により 1,364,500円の資金を集め、 2022/02/28に募集を終了しました

1300年前から薬、染物、口紅の原料として重宝されてきた烏梅(うばい)ですが、現在技術を継承するのは当店のみ、最後の一軒となりました。自然由来で人間にも環境にも優しい烏梅の技術を後世に残すために、口紅の開発に挑戦します。皆様の力を貸してください!

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万葉集 の付いた活動報告

今朝の朝日新聞で月ヶ瀬梅まつりが紹介されました。今年の梅古庵お食事処は2月8日〜3月31日まで営業し、お客様のお越しをお待ちしています。今も昔も外国の評価や輸入品が好きな日本人ですが、梅も遣唐使によって唐から伝わりました。当時お花見といえば梅。万葉集でも梅が沢山詠まれています。万葉集で詠まれた植物1萩 141首2梅 118首3松 79首4橘 68首5桜 50首太宰帥(太宰府長官)の大伴旅人は梅花の宴を開催。31名の客人を自宅に招いて梅花の歌三十二首が詠まれます。序文は元号令和の由来になりました。万葉集は当時の言語漢字で記されています。『うめ』の発音はあて字である万葉仮名『烏梅』と表記されます。万葉集の『烏梅』は『うめ』の万葉仮名である事が通説ですが、日本文学者である国学院大学の辰巳正明教授はこの『烏梅』は当時伝わった薬としての烏梅に違いない、大伴旅人が梅花の宴で薬の烏梅を披露したのではないかと、令和元年に梅古庵を訪問し熱く語られました。『大伴旅人』辰巳正明著 新典社に詳しく書かれていますので興味ある方は参照下さい。遣唐使と共に伝わった梅のお花見は、遣唐使の廃止によってその地位を桜に譲ります。唐の文化よりも国風文化が見直されお花見といえば日本古来の桜になりました。菅原道真公が好きだった梅は菅公の進言による遣唐使廃止によって人気に陰りが出る事になります。平安京の内裏、紫宸殿もその頃、左近の梅から左近の桜に変わります。(右近の橘は今も変わらず)烏梅は西暦1331年に月ヶ瀬に伝わりました。江戸時代後期には最盛期を迎え、烏梅を作る為に月ヶ瀬には梅の木が10万本植えられていました。烏梅用の梅でしたが、五月川を背景にした満開の梅の景色が美しく、明治の文人墨客が多数訪れる観光地となります。大正11年には日本初の名勝にも指定されました。紅花染めに使われた烏梅は化学染料の普及と共に需要は激減しました。梅の木も伐採され茶や桑畑に変わっていきます。月ヶ瀬の風景と観光事業が失われる事を嘆いた隣町の田中善助町長は月ヶ瀬梅渓保勝会を立ち上げ、月ヶ瀬の梅の伐採を止めました。その会は後に公益財団法人となり、現在も1万2千本の梅の木を管理されています。五月川の瀬に映る梅と月が美しい月ヶ瀬。ぜひ今年の月ヶ瀬梅まつりにお越し頂き歴史と梅の香りに触れてみて下さい。#月ヶ瀬#梅まつり#朝日新聞#烏梅#万葉集#大伴旅人#梅花の歌#梅花の宴#紫宸殿#右近の橘#左近の梅#令和#万葉仮名#五月川#梅古庵


烏梅が完成しました。53kg(梅不作により昨年の1/3)烏梅(ウバイ):千三百年の歴史と守り続ける技術1. 烏梅の伝来烏梅とは梅の実を加工したもので、約千三百年前に随から日本に伝わった歴史的な薬草です。遣隋使によって奈良に薬として持ち込まれ、日本の薬草文化の一つとして受け入れられました。烏梅は奈良時代から長い間、日本の医療や日常生活の中で重要な役割を果たしてきました。2. 月ヶ瀬での伝来と変遷月ヶ瀬には、烏梅が紅花染めの媒染剤として約七百年前に伝わりました。京都の染色職人たちは、この黒い梅の実を媒染剤として利用し、その特性を活かして紅色鮮やかな糸や生地を染めました。江戸時代から明治にかけては烏梅の需要がさらに広がり、口紅の原料としても利用されました。最盛期には月ヶ瀬には約400軒の烏梅製造所があり、地域の重要な産業となっていました。3. 需要の変化と化学染料の影響しかし、明治時代に化学染料の発明と普及が進み、天然染料である烏梅の需要は激減しました。化学染料の便利さと価格の低さが、昔ながらの染料の市場を圧迫したのです。その結果、多くの製造所が閉鎖され烏梅製造は衰退していきました。4.現代の唯一の製造所:月ヶ瀬の中西家『梅古庵』そのような状況の中で、月ヶ瀬の中西家は烏梅の製造を継続しました。中西家では、代々口伝によって烏梅の製法を継承し、歴史的な技術を守り続けています。戦後の食糧難の時代にもかかわらず烏梅の製造を続けた中西家は、その貴重な技術と知識を未来に伝えるための努力を惜しみませんでした。5. 現代における烏梅の利用と価値現代では、月ヶ瀬の中西家が営む『梅古庵』が唯一、歴史的な製法と原材料を守り、烏梅を作り続けています。烏梅は現代でも十二単の染色や東大寺の修二会の花こしらえにおいて重要な材料として利用されています。これらのことは烏梅の文化的価値を象徴しています。また、薬膳料理としてその深い風味と効果が重宝されています。特別な贈り物や珍しい食材としても人気です。まとめ烏梅は千三百年の歴史を持ち、薬として日本に伝わり、月ヶ瀬では媒染剤や口紅の原料として製造されてきました。明治以降、化学染料の普及により需要が激減し多くの製造所が閉鎖される中で、中西家『梅古庵』は代々口伝によってその製法を継承し、唯一の製造所として文化を守り続けています。現代においても、十二単や東大寺の修二会、薬膳料理などで利用され続ける烏梅の魅力は、長い歴史と文化によって支えられています。その独自の価値と歴史的背景が、烏梅を特別な存在として今日も輝かせています。歴史と技術が織り成すこの貴重な素材をぜひ多くの人々にご利用いただければと思います。#烏梅#遣隋使#遣唐使#薬草#万葉集#延喜式#十二単#薬膳#薬膳料理#漢方#紅花#紅花染め#後醍醐天皇#園生姫#梅古庵


母校 月ケ瀬中学校での烏梅特別講義の記録烏梅の歴史烏梅とは使われ方月ケ瀬と烏梅日本の烏梅尾山天神神社菅原道真公園生姫半夏生古い文献月ケ瀬梅林烏梅の不思議紅花日本の伝統色紅紅花染め実習#月ケ瀬#紅花染め#烏梅#講義#地域授業#出張授業#尾山天神神社#天満宮#天神さん#小野妹子#遣隋使#遣唐使#後醍醐天皇#南北朝時代#園生姫#菅原道真公#万葉集#延喜式#和漢三才図絵#田中善助翁#月ケ瀬中学校#梅古庵


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