烏梅が完成しました。
53kg(梅不作により昨年の1/3)
烏梅(ウバイ):千三百年の歴史と守り続ける技術
1. 烏梅の伝来
烏梅とは梅の実を加工したもので、約千三百年前に随から日本に伝わった歴史的な薬草です。
遣隋使によって奈良に薬として持ち込まれ、日本の薬草文化の一つとして受け入れられました。
烏梅は奈良時代から長い間、日本の医療や日常生活の中で重要な役割を果たしてきました。
2. 月ヶ瀬での伝来と変遷
月ヶ瀬には、烏梅が紅花染めの媒染剤として約七百年前に伝わりました。京都の染色職人たちは、
この黒い梅の実を媒染剤として利用し、その特性を活かして紅色鮮やかな糸や生地を染めました。
江戸時代から明治にかけては烏梅の需要がさらに広がり、口紅の原料としても利用されました。
最盛期には月ヶ瀬には約400軒の烏梅製造所があり、地域の重要な産業となっていました。
3. 需要の変化と化学染料の影響
しかし、明治時代に化学染料の発明と普及が進み、天然染料である烏梅の需要は激減しました。
化学染料の便利さと価格の低さが、昔ながらの染料の市場を圧迫したのです。
その結果、多くの製造所が閉鎖され烏梅製造は衰退していきました。
4.現代の唯一の製造所:月ヶ瀬の中西家『梅古庵』
そのような状況の中で、月ヶ瀬の中西家は烏梅の製造を継続しました。中西家では、代々口伝によって烏梅の製法を継承し、歴史的な技術を守り続けています。
戦後の食糧難の時代にもかかわらず烏梅の製造を続けた中西家は、その貴重な技術と知識を
未来に伝えるための努力を惜しみませんでした。
5. 現代における烏梅の利用と価値
現代では、月ヶ瀬の中西家が営む『梅古庵』が唯一、歴史的な製法と原材料を守り、烏梅を
作り続けています。烏梅は現代でも十二単の染色や東大寺の修二会の花こしらえにおいて
重要な材料として利用されています。これらのことは烏梅の文化的価値を象徴しています。
また、薬膳料理としてその深い風味と効果が重宝されています。
特別な贈り物や珍しい食材としても人気です。
まとめ
烏梅は千三百年の歴史を持ち、薬として日本に伝わり、月ヶ瀬では媒染剤や口紅の原料として
製造されてきました。明治以降、化学染料の普及により需要が激減し多くの製造所が
閉鎖される中で、中西家『梅古庵』は代々口伝によってその製法を継承し、唯一の製造所として
文化を守り続けています。現代においても、十二単や東大寺の修二会、薬膳料理などで
利用され続ける烏梅の魅力は、長い歴史と文化によって支えられています。
その独自の価値と歴史的背景が、烏梅を特別な存在として今日も輝かせています。
歴史と技術が織り成すこの貴重な素材をぜひ多くの人々にご利用いただければと思います。
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