Check our Terms and Privacy Policy.

令和3年7月豪雨で被災したさつま町永野の南方神社参道の補修費用調達について

鹿児島県薩摩地方で発生した令和3年7月豪雨では、さつま町永野に鎮座する南方神社も被災しました。水害で神社参道の一部が崩落しかねない状況で、参拝に訪れてくださる方々の安全を確保するため、修復工事を実施することといたしました。費用の一部を皆さまから広くご支援賜りたく、お願い申し上げます。

現在の支援総額

434,273

131%

目標金額は330,000円

支援者数

125

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/12/29に募集を開始し、 125人の支援により 434,273円の資金を集め、 2022/01/31に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

令和3年7月豪雨で被災したさつま町永野の南方神社参道の補修費用調達について

現在の支援総額

434,273

131%達成

終了

目標金額330,000

支援者数125

このプロジェクトは、2021/12/29に募集を開始し、 125人の支援により 434,273円の資金を集め、 2022/01/31に募集を終了しました

鹿児島県薩摩地方で発生した令和3年7月豪雨では、さつま町永野に鎮座する南方神社も被災しました。水害で神社参道の一部が崩落しかねない状況で、参拝に訪れてくださる方々の安全を確保するため、修復工事を実施することといたしました。費用の一部を皆さまから広くご支援賜りたく、お願い申し上げます。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

さつま町郷土誌(平成10年5月31日発行)を紐解いてみますと、南方神社(みなかたじんじゃ)は旧永野村の村社で、古くは諏訪大明神(すわだいみょうじん)と称していたようです。そして、明治元年(1868年)の神仏分離令により一切の仏像仏具を取り除かれたのち、南方神社と改称されたようです。

長野城合戦(現在は永野、当時の長野における合戦(永禄12年(1569年)))の後に、長野城を支配することになった島津氏が現在の場所に神社を移したと想定されており、創建は戦国時代にまで遡ります。

長野城の戦歴を調べますと、大口城(おおくちじょう(現在の伊佐市にあったとされる城))に籠る菱刈(ひしかり)・相良氏と提携していた渋谷一族が守っていた長野城を、島津氏が激しく攻撃したとの記録があります。

武将と神社との関わりについても興味深く、まだまだ調べる楽しみがありそうです。

シェアしてプロジェクトをもっと応援!