2022/01/05 21:29
さつま町郷土誌(平成10年5月31日発行)を紐解いてみますと、南方神社(みなかたじんじゃ)は旧永野村の村社で、古くは諏訪大明神(すわだいみょうじん)と称していたようです。そして、明治元年(1868年)の神仏分離令により一切の仏像仏具を取り除かれたのち、南方神社と改称されたようです。
長野城合戦(現在は永野、当時の長野における合戦(永禄12年(1569年)))の後に、長野城を支配することになった島津氏が現在の場所に神社を移したと想定されており、創建は戦国時代にまで遡ります。
長野城の戦歴を調べますと、大口城(おおくちじょう(現在の伊佐市にあったとされる城))に籠る菱刈(ひしかり)・相良氏と提携していた渋谷一族が守っていた長野城を、島津氏が激しく攻撃したとの記録があります。
武将と神社との関わりについても興味深く、まだまだ調べる楽しみがありそうです。