私もパンも復活。
先日の日曜日はイースター(復活祭)でした。イースターはまだ日本では馴染みのないものかも知れませんが、イエスが復活した事をお祝いする行事です。
実は2週間前程に、オランダに戻ってくる際に覚悟はしていたコロナに感染しました。既に、こちらで2回のワクチン接種は済んでいるのですが、「ブースターどうしようかな?」と思っていたら、感染。
こちらはもう誰もマスクはしていないし、ほぼ全てが通常営業です。もれなく周囲の友人達は感染済みの方が多いので、感染しない事はないだろう。と思いつつも、ひょっとして自分は大丈夫かな?と思っていたら、やはり見事に感染。
オランダはPCRや保健所に連絡する義務もなく、「ちょっと体調悪そうなら、まぁ自主的に検査して(これも義務ではない)症状なくなるまで自宅で休んで!」という感じなので、完全に風邪と同じ扱いになっています。症状が出始めてから5日以上経過、症状が24時間なければもう自由の身です。
ある夜突然(前兆はなし)、寝る前になって喉の痛み、そして筋肉痛のような下半身の痛みから始まりました。熱はずっと37・5度以下でした。症状が出て初めの二日間は下半身の痛みから、ほぼ寝ていたんですが(笑)、食欲はあまりなく林檎とヨーグルト、バニラアイスを食べていました。3日目からかなり楽になり、少しずつ下半身の痛みは消え、徐々に頭痛と鼻詰まりと変化して、上半身へと症状も上昇。熱も汗をかくような発散する熱というより、体内に籠る感じ。という印象でした。咳はなく、味覚の変化も全くありませんでした。ただ死ぬほど辛くはないけど、地味に辛い(笑)。でも、薬も飲まずに無事復活。もう、10年以上風邪も引かず、寝込む事なんてなかったので(最後に寝込んだのは毒キノコの時ですね)、3日とはいえ、感染しないのが一番だと思います。
食べ物、どうしてたの?と思う方もいると思いますが、宅配スーパを利用していました。オランダの主要都市では今ウーバーイーツのようなレストランデリバリーよりも、実は宅配スーパー(FlinkやGetir)の競争が加熱していて、この手の宅配スーパーは生鮮食品や日常雑貨をアプリで頼めばドアまで10分以内で届けてくれます。ある程度都市がコンパクトであり、サイクリングレーンが充実しているため、この様なビジネスは成立しやすいのだと思います。今度日本でも高齢化、共働きなどの面で、この様な小回りの効く(イオンさんや、生協ではない)外資のデリバリー系スタートアップがバンバン入ってくるのかも知れません。
そんなこんなで私は、コロナ感染前に集めたパン達と共に復活祭で復活。パン達は無事お味噌へと輪廻転生。私もちょっと寝込んで、胃も休めて、ある意味スッキリ。
そして、イースターの日にはマーケットでした。
いただいたパンを使用して、味噌風発酵調味料キットで出来たストーリーのある「パンみそ」の収益の一部は、シェフやレストランの許可を得て、ウクライナの方を支援する組織に寄付してゆく予定です。たとえ小さくても、ビジネスのシステムに取り込み、継続的に支援してゆければと思います(そーゆー為の味噌屋でありたく、特許でありたい)。
ロッテルダムでも、宿泊船などにウクライナから来る難民の方の滞在を身近に見ます。駅には電車でオランダまで来たウクライナ人の方をサポートするレッドクロスの方もいます。やはり地理的に近いため、オランダだけでなく様々なウクライナ近隣諸国の友人(ポーランド、ハンガリー、トルコなど)の話も聞くと、考えさせられる事が多く、ただ一貫している事は「やはり戦争は起こすべきではない」「人間は自分が思っている程、学んでいない(笑)」という事です。戦争なんて小さなわだかまりや、誤解から起きる事だと思います。
以前お話した通り、好きな作家の一人がロシア人のトルストイなんですが、その中でも特に彼が晩年に執筆した民話集が好きです。小説家でも、哲学者でも、画家でも、もちろん世に出た作品にこめられた意味も大切なんですが、私はその人の人柄や作品が生まれた背景に興味を持ちます。トルストイはもちろん、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」という超大作が有名です。しかし彼は晩年「本当に文学として評価するべきは、もっと簡単でわかりやすい言葉で民衆のために書かれた文学だ。俺が書いた気難しく、長ったるい戦争と平和なんぞ、大した事ないわい!」(これはあくまで私の解釈ですので、誤解のないように)と感じて、民話集などを執筆したと何処かで読みました。
「えぇ!あんなに評価されてる自分自身の作品を全否定して進化?!凄いなっ。」それでより彼の民話集が好きになりました。何か迷いがある時に、私が手に取る本の一つです。非常にわかりやすく、一話一話も短く、児童文学や絵本にもなっているので、よろしければ図書館で借りてみてください。その中でも特に印象に残る話の一つが「火は早めに消さないと」です。今回の戦争でもこの話の事を思いました。
私自身も、オランダでは移民(難民ではありませんが)という立場です。その中で言葉も出来ず、でも似たような(同じ国籍、信仰など)方達のみと生活をしてしまうと、社会から孤立してしまう事もあります。それは大して難しい事ではなく、簡単に起きてしまう事です。私が描いている味噌屋ビジョンの一つで、今後オランダで味噌作りの技術を教える事や、人を雇う立場になった時は、移民(難民からの移民)とお仕事をしたいと思っています。特に女性達。彼女達は、「家庭」という社会のみにいて、実際に外の社会と関わるチャンスが圧倒的に少ないからです。ラッキーな事にお味噌作りでは、味噌達は「発酵系、味噌語」という特殊な言葉を使う為、言語のスキルよりも心のスキルが大切!
いつか日本とヨーロッパの女性達が一緒にワイワイ作ったお味噌。が蔵ごと移動しながら生まれたら、面白そう!と感じています。