2020/02/11 17:00

2019年のふくしま感謝祭に合わせて、2019年12月20日~21日の1泊2日で大川小学校、福島遠征に行ってきました。

大川小学校の津波訴訟は「遺族勝訴確定 学校現場の責任重大」という判決が出たのが2019年10月11日でした。

遺族勝訴で安堵したものの、本質的な問題は解決されていないのではないか。

つまり、それは将来を生きる今の子ども達が抱える課題として受け継がれてしまう。

そんな懸念と共に、ひまわり感謝祭の日程に合わせて、一団7名で行ってきました。

12月20日は車を提供した理事が住む相模原から朝5時出発。

7時に新宿集合。ここから代わる代わる運転して一気に北上。

現地で副代表の佐藤さんと、

佐藤さんが代表を務める

一般社団法人みやぎ青少年トータルサポートセンターの皆さんと

道の駅上品(じょうぼん)の郷で合流してランチ、今回の訪問の目的を共有しました。

名物のセリ蕎麦をいただきました(^-^)

「小さな命の意味を考える」その他の冊子、資料をいただきました。

大川小学校に到着。


献花。合掌。

ご遺族の語り部さん2名にご案内いただきました


CRC日本では今回の訪問を

「CRC日本内部学習会~大川小学校問題の判決と問題の本質について学ぶ」

機会として位置づけていました。

先日の裁判での争点は、津波発生前のことに限定されたものとのことでした。
お話を伺い、多くの問題点を知りました。

「先生、ここは危ないからみんながよく遊んでいる山へ逃げようよ」

ずっと先生に訴え続けていた児童のこと。

残念ながらその子は74名の命の一つとして犠牲にあいましたが、

その児童の声があったことの事実が消されそうになっていたこと。

その子の声も含め、亡くなったとは言え、子ども達の声を守ろうと周囲のおとな達も動きました。

そんなおとな達の声も消されそうになっていた。

津波の到達点。校庭から数分の位置でした。

さらにその上に行ってみました。

ここで日常的に絵を描いたりしていたそうです。

子ども達は皆、この高台から望む景色が大好きだったのだろう、と想像していました。

 

整地されていく小学校の周囲。

再び校庭へ。


こちらは当時の津波の動き(水色)と避難誘導経路(黄色)を示したものだそうです。

校庭にいた児童と教員は高台A、B、そして山の裏手のCではなく、

民家の中を山の方へ移動していき、行き場を失い、

黄色の矢印位置で重なるように発見されたそうです。

山の裏手に行く広場。

今は民家が取り除かれていますが、それでも平坦だったことがわかります。

当日の学習会は途中から気づいて録音して記録をとりました。

まだテープ起こしはできていませんが、約1時間。

伺った話による衝撃と無念と。

もう一度手を合わせずにはいられませんでした。

お焼香をさせていただきました。

寒くても穏やかな日でしたが、

手を合わせた直後に風が吹き風鈴が微かになりました。

「忘れないで。ありがとう。」

そんなメッセージを受け取りました。

このままだと、これら問題が解決されないまま苦しい記憶と共に子ども達が背負うことになります。
国連に提出した子ども報告書でも「東日本大震災での問題を子ども達に丸投げしないで」という書いているものもあり、その通りのように思います。
先を生きたい子ども達、でも関わるおとな、しがらみ、環境が後戻りをさせている。
辛いです。どこまで人権意識のない国なのか。

大川小学校後の学習会の打ち合わせにも力が入りました。

その後、私たち一団は急いで福島(片道2時間!)へ。

ふくしま感謝祭の前夜食事会に参加するために。

こちらがその時の集合写真です。

シャロームの方々と。。。

そして!な、な、なんと!!

CRC日本の理事の一人がいつもお世話になっている中央林間のなないろ畑さんで

たまにお会いする無農薬農場の方と同席となりました!️
この偶然にはびっくり!でした。

おーべーファームの大平成晴さん。

こちらに彼の活躍が紹介されていますので、合わせてお読みください。

大地にやさしい農業のために SHARE THE LOVE 大平成晴
いろいろお話しました!

湘南エリアでひまわりプロジェクトを展開されているとのこと。
感謝祭本番でパネラーとして参加されるとのことでした。

その様子は翌日のひまわり感謝祭の報告に続きます。