新潟から親戚の叔父さんの訃報が届きました。叔父さんと言っても私とはいくつも違わない年で、不思議なご縁があった方なのでとても残念(-_-;)
数年前、横浜の父方の伯父が亡くなったとき、弔問者のうち遠方の私とその叔父さんだけがホテルに泊まることになりました。高層の海沿いのホテルの上の方だったからエレベーターに乗ること数分間。
ウキウキしながら部屋に入った途端、部屋は真っ暗(゚Д゚;)滅多にホテルになんか泊まらないからカードキーを電源に差し込むのを忘れていたのです(;´Д`)仕方がないので手探りで電源を探し、なんとか私の部屋は明るくなりました(^^)/
でも隣の叔父さんは?その日初対面だし、どこからいらしたのも知らなかったけど、もしや?と思い隣の部屋のドアを叩きました。「大丈夫ですか~電源分かりましたか?」すると中から「うんにゃ、真っ暗で何も見えませ~んでぇ。困りました~」の返事。
外からでは開けられないので、数十階下のフロントに行き、一緒に部屋まで来てもらい無事開けて、電気をつけることが出来ました(^^)/真っ暗な中でとても不安だったのか、物凄く喜んでくださったので、こちらが恐縮するくらい(;´∀`)
翌日は帰りの東京駅迄一緒に 行動したので、いろいろのお話をすることが出来ました。そのとき父方の祖先は新潟の魚沼出身であること、以前は民宿をやっていたこと、私の曽祖父は株の売買が好き(相場師です!)で家を出て横浜に行ってしまったので、遠縁の叔父さんが跡を継いだことなど、私には目からうろこの珍しい話でした(^^♪
そのあと送ってくれた「魚沼のこしひかり」美味しかった~(^O^)/夢のお米でしたからね!
その後、私と横浜の従妹と二人で二回ほど新潟のお宅を訪ねました。お墓参りに行ったら、私の旧姓の湯本氏のお墓だらけで二度びっくり。そして叔父さんご夫婦の歓迎して下さることと言ったら( `ー´)ノ10人前くらいのご馳走がテーブルいっぱいに並んでいて・・
二度目に行った時は、地元の見物をしていて相当遅くなったのに二人で玄関に座って待っておられた。今でもその姿が目に浮かびます(^^)/
還暦を過ぎて、初めて自分のルーツを知って、米穀商に嫁いだ従妹と、煎餅屋に嫁いだ私(どちらもすごく苦労していたけど)コシヒカリで有名な魚沼との関連があったことは、不思議なご縁としか思えなかった(@_@)
訃報は寂しかったけれど、私と従妹には輝く思い出と誇りが残りました。「遊びにいらっしゃい」と何度も誘ってくれた亡きご夫婦に感謝、です。
今日もご支援ありがとうございました。まだまだ頑張りますね♡