2022/08/16 14:57

さあ!バンドメンバーの紹介も、最初の赤星ゆりさんから始まり、いよいよ本日がラストメンバーの野田晴彦さんです!

野田晴彦さんは今回のアルバム収録曲の編曲(アレンジ)をお願いしているので、この活動報告でも度々お名前をご紹介しておりましたが、なんと、レコーディングにも笛で参加してくださるのです!!

野田さんとの出会いはわたしが20歳のとき、もう13年も前になります。

今回のレコーディングメンバー、ピアノの赤星ゆりさんの旦那さんであることから出会い、ゆりさんがピアノで参加されている野田晴彦バンドのライブにもよく遊びに行っていました。

一番印象に残っているのは、奈良県大宇陀にある天益寺というお寺さんの、夜桜コンサートです。見事な枝垂れ桜のあるお寺さんで、20年続くコンサートでした。平成10年に茅葺き屋根の本堂が放火にあってしまってからは、本堂再建のチャリティーコンサートとして、継続されているもので、野田さんはずっと出演されていました。わたしはその記念すべき20回目に、東京からレンタカー(!)で遊びに行ったのでした。

(このお寺さんは後に私の人生の中でもとても大切な場所になるのですが、その話は長くなってしまうので、またいつか。)

野田さんの曲は、野田さんが笛を吹くのでインストゥルメンタルのものですが、ひとつだけ作詞作曲をされた曲があり、それがこのお寺さんからみる"阿騎野の春"そのもので、実際にその場に立った時、ものすごく感動したのを覚えています。

せっかく遊びに来るんやったら歌ったらええやん!と、その大切な曲を歌わせてもらうことができ、思い出に残る二十歳(ハタチ)の春でした。(夜桜コンサートと同い年のわたし!)

※この「花ゆらら」という曲は、2012年に野田さんとゆりさん、野田バンドのギターリスト小倉さんとでレコーディングさせていただき、売り上げは天益寺の復興資金に全額寄付というかたちで現在も販売中です。ぜひご興味を持たれた方は、ご連絡くださいませ!

(写真は2012年の夜桜コンサート改め天益寺さくらまつりの際のものです。初めてのコンサートから2年後のことです。開催をお手伝いさせてもらいました。またやりたいなあ!)


この時から、野田さんたちと音楽をご一緒させてもらう機会が増えました。

奈良での村祭り、西荻Terraでのクリスマスキャロルライブなど、本当に様々なステージをご一緒させてもらい、わたしはものすごく学ばせてもらっていました。

思えば音楽を志してたった2年、技術も知識も乏しくて、やる気と謎の自信だけは旺盛で、今よりもずっと未熟で、本当に思い出すと恥ずかしいこともたくさんです。それでも、こんなわたしと今でも一緒に音楽をしてくださることに心から感謝しています。

野田さんの音楽に対するまっすぐでストイックな精神は当時から本当に尊敬していました。真に音楽という世界を、生きている人でした。リハーサルのたびに、肌で触れてその姿に学ぶことがたくさんありました。

応えられない自分の力量のなさに何度悔し涙を流したことでしょう。ハチロクの春の小川、難しくて歌えなくて、言われたことを全部メモに書いて何度も練習したノートは今でも宝物です。もっとうまくなりたい、初めて本気で思った時代です。(その時から今でも、ずっと思っています!)

今ももちろん、まだまだ未熟ではありますが、今ならもう少し楽しむことができるのかな、と思ったりもしました。なので、今回久しぶりにご一緒する音楽が、とても楽しみです。ブランクへの不安も、理解してくださり、いつも励ましてくださる野田夫妻がわたしは大好きです。


野田夫妻には、音楽ばかりでなく色んなことを教えてもらいました。
野田さんは音楽のことはもちろんですが、お花や野菜、鳥や虫、なんでも詳しく知っているすごい人なのです!野田さんがご自宅の近所でされていた"Noda畑"にも何度も遊びに行かせてもらいました。新鮮で美味しい里芋や、ししとう、教えてもらったオクラの花の色、それから“夜汽車さん“と名付けられていた芋虫。(本当に夜汽車のようなビジュアルなのです!当時はスマホもないので写真が残っていないのがとても残念ですが、すっごく感動した。)畑での気持ちのいい時間も、一生忘れません。

おいしいもの、おいしいお酒、おすすめの本、おもしろい友人のお話、一緒に過ごした時間は音楽だけではなく、全部全部、今のわたしをつくる大事な栄養となっています。


愛をこめて“はるどん”とわたしは呼んでいます。
そしてわたしは“れいちょび”と呼ばれています。(わたしは子どものころ家族から、一番末っ子なので“れいちょび”と呼ばれていたのですが、エビが好きすぎて“えびちょび”と呼ばれていたこともあり、その話をしてから野田夫妻にはこう呼ばれています。笑)

家族のようにいろんな時間を共に過ごさせてもらい、音楽のことを、そして音楽と共に生きる態度を、教えてくれた音楽の家族と、わたしは勝手に思わせてもらっています。

今回このアルバムをつくるにあたり、最初からずっと応援していてくれました。

色々とアドバイスもくださり、わたしにとってとても大切なこのアルバムのことを同じように大切に考えてくれて、より良い方法を教えてくださったりと、編曲や演奏以外にもものすごく力を貸してくださいました。野田さんとゆりさんがいなければ、このアルバムを作り上げることは不可能だと思っています。

サンキュー!育休、そしてアルバム構想からの2年、創造のともしびが消えないようにと努力してきましたが、ひとりではとても無理だったと思います。

コロナ禍でライブができない中でも、映像を配信したり、良い機会だからと普段できないような練習を続けてこられ、コロナ禍以前よりもずっとパワフルに、繊細になっている、はるどんの笛!ものすごく勇気をもらうことでした。
プロフィールにもある通り、40歳を過ぎてから笛演奏を始めた野田さんですが、きっと80歳になってもずっと進化を続けて、素晴らしい音楽を生み出すのだと思います。
80歳のはるどんの音楽もとても楽しみなのです。

そして何度かご紹介している通り、野田さんとゆりさんはおふたりで「笛はパラダイス‼」というデュオユニットをされています。


“笛は歌い、笛は笑う

 笛は集い、笛は踊る

 笛は広がり、笛は飛び立つ

 笛は無限、笛はパラダイス!!“


NHK「みんなのうた」や、TVドラマ、CM音楽から、沢田研二、竹下景子、近藤正臣、布施明各氏の主演舞台演劇の作曲・音楽監督をされていた野田さんが、
笛に魅せられてから笛のために作った曲たちは、本来世界各地の伝統音楽を演奏するトラディショナルな笛の新しい楽しみ方を教えてくれます。
この子守唄のアルバムをお聴きになる皆さんにはぜひ、一度笛パラの音楽にも触れてみてほしいと願います。


今年音楽生活40周年のはるどんこと野田晴彦さんの敬愛の念とたくさんの感謝を込めて。


長くなってしまいましたが、本当はこの三倍くらい書いていて何度も直したりしていたら一週間かかってしまいました(汗)

実は今これをアップしているのはレコーディングの休憩中です!
待ちに待ったレコーディングは言葉にならないほどいろいろな感情が泉のようになっています。嬉しい、緊張、心配、みんなすごい!すばらしい!楽しい!わあ!わあ!
そんなレコーディング後記をまた楽しみにしていてください。


本日も読んでくださり、ありがとうございました。