大正7年創業の酒蔵復活へ!!創業の地で40年ぶりの酒蔵蔵復活プロジェクト

事業不振よりこの地(岩手県一関市)で製造を休止し40年たちます。酒蔵復活(製造再開)は親子二代にわたる悲願でした。しかし、まずは会社を存続を目指す日々。やっと経営が順調に推移した矢先、東日本大震災で再度延期。今はコロナ影響で・・・しかし、あきらめずこの地で醸造を再開します。旧一関地区の地酒復活します

現在の支援総額

6,110,588

611%

目標金額は1,000,000円

支援者数

362

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/06/24に募集を開始し、 362人の支援により 6,110,588円の資金を集め、 2022/08/21に募集を終了しました

大正7年創業の酒蔵復活へ!!創業の地で40年ぶりの酒蔵蔵復活プロジェクト

現在の支援総額

6,110,588

611%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数362

このプロジェクトは、2022/06/24に募集を開始し、 362人の支援により 6,110,588円の資金を集め、 2022/08/21に募集を終了しました

事業不振よりこの地(岩手県一関市)で製造を休止し40年たちます。酒蔵復活(製造再開)は親子二代にわたる悲願でした。しかし、まずは会社を存続を目指す日々。やっと経営が順調に推移した矢先、東日本大震災で再度延期。今はコロナ影響で・・・しかし、あきらめずこの地で醸造を再開します。旧一関地区の地酒復活します

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蔵を残す の付いた活動報告

今日も職人さん達が清酒工場を作ってくれています。今日までの状況をご報告します。まずは、上記の写真は、窯場(米を洗ったり、蒸したりするところ)になります。保健所さんのご指導で、部屋にして天井を造らないといけなくなり、天井の骨組みですね。昔から使い続けていた場合、特に問題ないそうですが、当社の場合、40年ぶりのため、新規にみなされます。梁からホコリが落ちてくる可能性があるとのご指摘で、米を洗ったり蒸かしたりするところは、平滑な天井をつくり落ちないようにするというご指導でした。ですので、今日は職人さん達が壁と天井の梁をつくっていました。ステンレスなんですね。このままだと牢屋みたいですね。真ん中の空間は扉が入ります。引き戸になる予定です。ビールタンクのような清酒醸造タンク。ステンレスで、耐圧で、さらに温度調整ができます。チラーが壁面にあり夏でも冷やすことが可能ですよ。これで四季醸造はもとより、さらにスパークリング酒も醸造できるようになります。こちらは、△形の壁です。ここは消防法の関係で普段はあけないのですが、万が一火事になった場合、煙を逃がすための窓をつけないといけません。そちらの工事を行っています。そしてこちらも天井をつる器具ですね。この場所は事務所になります。こちらは、消防法の関係で世嬉の一全体の防火装置があるので、事務所をつくらないといけません。事務所は天井ないと冬寒すぎますから・・・こちらは入口のひさしの工事・・・実はここは、扉があったのですが、機械が入らないということで、一度外して再度つくっています。ただ、扉は防火の関係上期の引き戸から鉄の扉に変更になります。ちょっとづつ完成に向かているのですが、実は完成してしまったものがあります。それは、世嬉の一の敷地案内図!清酒工場は完成していませんが、看板ではすでに完成となっています(笑)こんな感じです。もうワクワクが止まりません。皆様からご支援受けつつ、地酒復活、酒蔵復活に向けて頑張っていきます。よろしくお願いします。-------現在人気のクラウドファンドの商品 3商品のご紹介その1 すぐに応援 10000円セット①純米大吟醸 世嬉の一 720ml(既存品)②大吟醸 世嬉の一 720ml(既存品)③世嬉の一酒造コンセプトブック2冊 (各15P小冊子) 詳細:百年物語前編・後編(蔵を守り、蔵を活かす・郷土の食と文化を次世代へ)④世嬉の一酒造商品券 1000円分(当社の蔵元直送便又は直売所で使用できます。)お申し込みはこちらその2 世嬉の一未来に応援セット  22000円応援セット①世嬉の一酒造 これから醸造する純米酒(初回仕込) 720ml3本②世嬉の一酒造 これから醸造する純米吟醸酒(初回仕込)720ml3本③世嬉の一酒造 帆前掛け④世嬉の一酒造コンセプトブック2冊 詳細:百年物語 前編・後編(蔵を守り、蔵を活かす・郷土の食と文化を次世代へ)⑤お礼状⑥新工場に支援者・応援者としてお名前を掲示させていただきます。お申し込みはこちらその3 お酒が飲めない人でも応援できるセット 10000円応援セット①世嬉の一酒造 こうじの甘酒(プレーン)×4本②世嬉の一酒造 こうじの甘酒(柚子)×4本③世嬉の一酒造 こうじの甘酒(かぼす)×4本②世嬉の一酒造コンセプトブック2冊 (各15P小冊子) 詳細:百年物語前編・後編(蔵を守り、蔵を活かす・郷土の食と文化を次世代へ)③お礼状④新工場に支援者としてお名前を記載させていただきます。お申し込みはこちら-----------


この写真は、三代目の父と母です。倒産の危機の酒蔵をなんとか生き伸ばし、今の世嬉の一の土台をつくったのがこの二人です。私達は、今父母と私が念願だった、酒蔵復活、地酒復活プロジェクトがスタートしました。私が生まれたころ祖父が酒蔵を経営しており、父は祖父がスタートさせた新規事業である自動車学校を運営していました。時代は第二次ベビーブーム、自動車学校は順調に伸びていったのですが、酒の販売はどんどん衰退していったようです。私が小学校の時、日々奔走していた祖父が脳溢血で急逝してしまいます。その際、父と叔父が世嬉の一の決算をみたら、とっても経営できる状態ではなかったようです。具体的な金額はおいておきますが、年商の10倍の借金をしていたようです。当然、父も叔父も酒屋は廃業、バブル期だったこともあり、この地を貸してほしいという企業がたたあったそうです。敷地が1500坪以上あるので、スーパーやシティホテルなどいい話が沢山あったようです。その際の賃料を聞くと非常にいい条件だったと思います。父も叔父も酒蔵を廃業して蔵を壊し、土地を貸す予定だったそうです。そんな中、祖母が「蔵を残してほしい」この蔵の風景を残してほしいと父に願い出たそうです。借金も多く酒も売れず、地域からは来月倒産するといわれている蔵を残す・・・当時私がいたら絶対できない判断です。「しょうがないでしょう・・・」と言ったと思います。しかし、父も「もったいない・・・経済的には蔵を壊し廃業するのが正しいけど、心が痛む」と思ったそうです。そこで、何を思ったか、好調だった自動車学校を売却し、その資金で運転資金と借入金返済のめどを立てたそうです。周りからは、気違いだとか、金持ちの道楽といわれていたそうです。さらにやっぱり来月にはつぶれるらしいぞという噂があったそうです。父もしばらくの運転資金はあったとは言え、酒の収入では厳しいのと、当時もう倒産するといわれている酒蔵だったので、どの酒屋さんも卸屋さんも取引してくれなかったそうです。そこで、酒の醸造を共同醸造(他社と一緒に醸造する形)に変え、蔵をそのままに直売所、酒の民族文化博物館、レストランに改築しました。計画的にというわけでなく・・・直売所にしたのは、取引先がないので自分で売るしかなかった。レストランは、借金を返済するのに日銭商売をするしかなかった。博物館をつくったのは、地域に博物館がなかったからだそうです。今見ると綺麗になっていますが、創業当初の蔵の外観はそのままです。蔵を残し活かしたのは、この蔵を設計したのが、小原友輔さんという方で、あの東京駅を設計した辰野金吾さんのお弟子さんの蔵だったのです。周りからは当時ずいぶん冷ややかな目で見られていた父母でしたが、数年後に国の登録指定文化財に指定され、残してまちがっていなかったと感じたそうです。いまでいう、リノベーションを行って順調にいったかというと全然そうではなく、製造業から慣れないサービス業になるのがかなり大変だったようです。母は、専業主婦からレストランの女将になり、大変だったようです。中学、高校の時は父母とも一緒にすんでいたのですが、ほぼ家で会うことが無く、毎朝5時から夜中まで働いて生活していました。当時は醸造再開などという余裕もなく、明日を生きるということ、借金を返すということに明け暮れていたようです。ただ、一生懸命働く父母を見ていて、多くの助けてくれる人が表れ、レストランは郷土料理レストランに、直売所にも観光客を派遣してくれる業者さんなど、徐々に世嬉の一が持ち直してきました。町おこしも父母は一生懸命おこなっていたおかげで、地域の人たちからもだんだん認められるようになったそうです。私が30歳で実家にもどるようになったときには、世嬉の一さんの息子さんといわれるようになり、つぶれるとは言われませんでしたが、それまでの父母の姿を思い出すと感謝しかありません。よくやっていたなぁと思います。父は町おこしも一生懸命で法改正があった際に地域の経営者と地ビール事業を始めます。今の「いわて蔵ビール」です。最初の三年はよかったのですが、その後会社の大赤字部門になり結果私が実家に帰ることになるのですが・・・今は会社を支える部門に成長しました。少しづつ経営が安定してくると、やはり酒蔵復活の思いがでてきます。過去なんどかやろうということになったのですが、その都度、宮城県沖地震、岩手宮城内陸地震、東日本大震災と震度5~6強まで経験し、蔵が壊れ、それを修復するのにまた借金と返済をくりかえしていました。ちょうど10年ごとに地震は来ますね( ;∀;)(東日本大震災で蔵の崩壊に呆然とする三代目)毎回、蔵を修復して維持するのに、祖母がもったいないといわれたからと言いつつ、なぜだろうといつも思っていました。蔵の修復には通常の建築より費用がかかるので・・・父から会社を引き継いだ時、一つの約束をさせられました。「蔵を残しなさい。たとえ借金してでも残せるなら残しなさい、この蔵の風景は一関の景観であり、資産であるから。たまたま世嬉の一が維持しているだけなので、この風景を次の代、孫の代まで残せるようにしなさい」と約束されました。確かに、私たちの蔵の前を往来する園児、小学生、中学生、高校生がいます。高校を卒業すると98%市外に出ていってしまう地域ですが、この蔵の風景を残すことが彼らの故郷の風景を思い出と共に残すことになります。父母のそのような思いから地震の度に蔵の修繕を優先し、酒蔵復活、蔵元復活、地酒復活はのびのびになっていましたが、いつかやろうとおもっていたプロジェクトなのです。今やっとスタートラインに立つことができ、多くの人から現在も支援していただいています。私も、父母もスタッフも嬉しく思います。酒蔵が復活しても父から引き継いだ考えを実行していく場として清酒工場を活用していこうと思います。私なりに引き継いだ考えは、下記の3点です。「根本・長期・全体」でみる。「根本:目先の利益にこだわらず、良心にいいなぁとおもうことを行うこと」「長期:今だけでなく、子供の世代、孫の世代にとっていいことを行うこと」「全体:自利ではなく、家族、地域にとっていいことを行うこと」父母から教わったこととして、私個人の判断基準になっています。今回の酒造り復活もこの3点からこの地域に必要なこととしてちょっと無理して実行しています。今後とも何とぞよろしくお願いします。


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