北九州市若松区にある『北九州平和資料館』で管理人をしている小松芳子と申します。
このプロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
『北九州平和資料館』は、8月に閉館することになっています。(8月25日に閉館しました。)
閉館が決まってから、一人でも多くの人に来館してもらえるようにと、様々な活動(後述)をしてきました。そのたびに、来館してくださった方々の「資料館を残せないんですか。」の訴えや、平和への強い思いを受け、「私に資料館を受け継げないかなぁ。」と悩んでいました。
そんな中で始まったのが、ロシアによるウクライナ侵攻でした。
破壊される町の様子、怯え逃げ惑う人々の姿が脳裏から離れず、胸が苦しくて仕方ありません。
「戦争を知らない人が増えると、また、戦争が起きる」
という悲惨な戦争を体験された方の言葉が脳裏を過ります。
「戦争を伝える場所を残さなくては。」
と、自分で資料室を開くことを決意しました。
①手に取って触れて感じることができる展示を受け継ぐ
『北九州平和資料館』は、「戦争を忘れず、平和な社会を守ってほしい」という強い願いを持つ戦争・戦時体験者が中心になって開設した私設の資料館です。戦争中の物や寄贈された遺品などが、手に取って見ることができる状態で、展示してあります。展示されている戦争遺品
手に触れることで、見るだけでは気付かない発見があります。来館児童の様子を伝える保護者からの連絡
「感想ノート」より 来館者の様子から、「触れる」ことで想像が広がるなど、理解が深まることが分かります。だから、資料の修理、保存方法などを学びながら、引き継ぎたいと思います。
②想像しながら、戦争での真実を知ることができる展示の工夫をする~子ども達にも分かるように~
平和を築き、守るためには、戦争で起きた事実(加害・被害を問わず)を知り、そこに生きた(る)人々の立場で想像することが必要だと考えています。
戦争での出来事を「自分ごと」として捉えることが、本気で戦争をなくす方法を考えることにつながる。具体的な行動につながる。
自分自身の体験から、そう考えています。
戦争で起きた事実を加害・被害の両面から知る
昨年夏、小学校の先生が来館されました。若い方でした。
「知らないことばかりで、もっと勉強しないといけないと思いました。」
とおっしゃっていました。
それから2週間ほどして、また、来館されました。
「憲兵さんの言葉が忘れられなくてまた来ました。『先生』という仕事の責任をすごく感じています。」
と、しばらく憲兵の軍服の前で佇んでおられました。
憲兵の軍服と証言
「あ~。こんなことあったんだな。」で終わるのではなく、そこに生きた人のことを想像できるような展示の工夫を続けたいと考えています。
そこで、「本物に触れる」ことに加え、戦場・戦時体験者の証言や写真を展示したり、DVDで見られるようにしたいと考えています。
また、現在ある年表や書籍資料に加え、絵本や漫画を置くなど、説明も含めて子ども達にも分かりやすい展示を心がけたいと思います。
③「平和のための学習会」を続ける
小学生の子どもをもつ教え子に声をかけ、「平和のための親子学習会」を始めました。
「戦争」について学ぶ その際、「下の子を連れて行ってもいいですか?」と、教え子の声。自分が子育てをしていた頃のことを思い出しました。
「学びたい」と思っても、子どもがいるからと我慢していました。
私と同じように、「学ぶ事を我慢している」親御さんが多いのではないかと思い 、 急遽、我が娘に、小さい子のお世話をお願いしました。
学習会当日。
戦争の悲惨さなどを真剣に学んでいる資料室の外では、元気なちびっ子たちの声が聞こえ、平和の有難さを実感しながらの学習会になりました。
まずは、仲よくなろう!(コミュニケーションゲーム)
「平和」を守るためにどんなことを大切にしたい?
3月に始めて7月まで、月に2回のペースで学習会を続けました。
憲法記念日前には憲法の学習。沖縄慰霊の日前には沖縄の学習。というように、内容は多岐に渡りました。(→ホームページのブログ)
戦争中の子ども達を「日本国憲法」で助けよう
未来は、今、つくられる!子ども達の未来のために、力を尽くせるのは、今の大人!
だから、
子育て中の方々が真剣に考えられるような「学べる環境」をつくりたいと思っています。

最後の学習会終了後の子どもの感想
最後の学習会終了後の大人の感想
参加者の感想
参加者の感想
さらに、「学校の先生向けの学習会」もしました。
「『平和学習』をしたいんだけど、どうやっていいか分からない。」
という若い先生の声を聞き、何か役に立てればと思って、開いてみました。
といっても、「親子学習会」でしていることをやりながら、少し説明を加える程度でしたが。


参加した先生方の感想平和をつなぐには、教育が大事!
豊かに感じることができる子どものうちに、感じながら学ぶことができるような手助けになれればと思っています。
④「平和」(「人権」「環境」)について自由に語る場所にする
「語り部の会」を開いた時のこと。

語り部のお話を終えて、参加者に向けて、質問や感想などをお願いしました。
「ほとんど発言する人はいないだろう」という予想に反し、次々と手が上がりました。
その時の感想には、
「私がこれまで参加したどの講演会よりもよかったです。サイコーでした!」
「今日は、参加した人の意見もたくさん聞けてよかったです。このような機会をまた作ってほしいです。」
のように、多くの人が、「意見を聴きたい」「みんなで話がしたい」という思いをもっていることが伝わるものばかりでした。
20名くらいの少ない参加者だからこそ、初対面にも関わらず、ざっくばらんに話ができたのではないかと思います。
新しい資料室でも、このような「語り合う場」を作りたいと考えています。
⑤「平和」「地球」「いのち」「人間」のすばらしさを感じられる活動をする
ようやく見つけた場所は、自然に囲まれた場所です。
一度には無理ですが、畑を作って、鶏を飼いたいと考えています。
訪れた方と野菜の収穫を楽しんだり、鶏の生んでくれた卵で作ったお菓子を食べながら、おしゃべり(平和について?身近なことでも何でも)したりしたいです。
「資料室に来たら、平和を感じることができます。」
と学習会に参加してくれていた小学生が、感想に書いてくれていました。
思いきり戦争の悲惨さを学んで、思いきり平和のすばらしさを感じられる、そんな場所にできたらと思っています。
子ども達には、「平和」のことを考えると同時に、「地球環境」のことも考えられるようになってほしいと願っています。「地球」があって、私たちは生きていける。もっと言えば、地球の健康を保てなければ、私たち生物の命も脅かされるーーー「平和」も「人権」も大切にできなくなるーーー


最後の学習会で「詩音屋まささん」に歌を歌ってもらいました。悲しみや怒りがこもった歌の時は、真剣な表情で。

楽しい歌の時は、笑顔で自由に。

子ども達が心で感じていることが伝わってきました。
「人間って、すてきだなぁ~。」
やはり、人は、戦うため、憎み合うために生まれてきたのではないと思います。
「ことば」だけでなく、「音楽」や「絵」…
自分らしく自由に表現することを楽しめる場所にもできたらいいなぁ。と考えています。
まずは、まささんの手を借りながら、参加型のライブイベントを企画したいです。
平和をつなぐためには、教育が大事!
豊かに感じられる子ども達のことを思い描きながら、活動を考えていきたいと思います。
こうして、「平和」や「環境」を守るために行動できる人を増やし、
どんな人も、幸せを感じながら生きられる未来を築いてほしいと願っています。
藤井さん
びっくりですね‼️プロジェクトに向けて全力で進んでいるこまっちゃん!北九州平和資料館から新たな芽が出てその芽が成長してまた新たな広がりを生む🌱平和は守られないといけないものです。でも受動的なものではないのですね。このプロジェクトはそのことを実感し実現できる。行動できる人を増やすことがこの地球を守ることに繋がっているのですね。
落合さん
若松の平和資料館に初めて行った時、小四だった息子が実際に使われていた鉄かぶとを被り、リュックを背負わせてもらいました。兵隊さんはこんな重たいものを持って戦っていたのかと肌で感じることができました。それから、息子の中で兵隊さんはどんな気持ちだったのか?どうして戦争は起こったのか?どのように暮らしていたのか?たくさんの「ど」が溢れ、疑問や興味が出てきました。反対に「お母さん、なんで?」の質問に上手く答えられない自分もいました。こまさんから、学習会開催のお誘いをうけた時には、ぜひっ、参加したい!と思いました。学習会をしたあと、平和ってこんなことかな?と親子でよく会話をするようになりました。学校で友だちと会って遊ぶこと、家族で美味しいご飯を食べていること、などなど。当たり前のことを平和だと感じられようになったのは、平和資料館で学んだからだと思います。学習会で「未来ある今の子ども達が銃をもつことのないように。。」のこまさんの言葉が頭から離れません。触って、感じ、学ぼうとする力が溢れてきた資料館がなくなるのは、ほんとにもったいない!!たくさんの人にそれを感じて欲しいです。まだまだ、私達は学ぶことがたくさんあると思います。忘れないように学び続けることが大切だと思うのです。それは、子どもだけでなく、大人も同じです。その場所を引き継ごうとしているこまさんを全力で応援したいです。どうか、皆さんも力を貸してください!
高田さん
「手に触れることができる資料館」のすごさは、体感です。
焼夷弾、手りゅう弾の冷たくて重い感じ。軍服のごわごわした感じ。
「これで戦争したの?」と思う質素な持ち物、等々。
見たことのある「戦争」の画像や映像の印象が一変します。
そして、何気ない日常が平和であることを実感します。
こまさんの親子学習会にも、参加してきました。
平和が壊れていく過程、戦争では加害、被害の立場が複雑に絡むこと、
平和憲法について、平和のために尽力した人々について、等々。
息子が一番心に残ったことは、「僕たちは微力だけど、無力じゃない。」とのこと。
子どもは未来志向であることを、こまさんはよく分かっています。
「平和の種」、受け取りました!
この学びの場を引き継ぐ決意をしたこまさん。
私自身も少しでも力になれたら、これからも一緒に学んでいけたら、と思っています。
また、このクラウドファンディングを通して、多くの方々にこの資料館を知ってもらい、
「平和」や「環境」を考えるきっかけにしてもらえたら嬉しいです。
目標達成に向け、さらに支援の輪が広がっていきますように!
応援しています!
土地購入費(一部)1,000,000円
車椅子が通れる施設整備費 約500,000円
防犯カメラ設置費 約500,000円
建築資材・設備品購入費 約400,000円
リフォーム代 約1,000,000円
リターンにかかる費用 約200,000円
クラウドファンディング手数料 約400,000円
ープロジェクト自体の実施スケジュールー
8月中旬 学習室のリフォーム
8月下旬 資料移転
9月~ 資料室リフォーム開始
12月~ 順次リターン発送
6月 新資料室オープン
「北九州平和資料館」の手伝いを始めてしばらくして、子ども達にも来てほしくて、キャラクターを考えて作りました。TICo(ティコ)と言います。
T(Truth…真実)I(Image…想像する)Co(Consider…よく考える)という深い(笑)意味があります。
「戦争の真実を知って、想像して、よく考えることが平和を守る力になる」
という願いが込められています。イメージは、兵士の魂です。
学習会に参加してくれたお子さんが喜んでくれたということもあり、このたび、リターンを考える中で、TICoをデザイン化しました。
TICoが載ったリターンを考えています。
●鉛筆
●付箋紙
●一筆箋
また、元「北九州平和資料館」館長(平和資料館をつくる会事務局長)の小野逸郎さんが中心になって執筆出版した
●『ガイドブック北九州の戦争遺跡』
●ガイド付「戦跡めぐり」(ガイドは、小野逸郎さん)
若松出身のイラストレーターの山福朱実さんの
●木版画作品ポストカード『戦争はもうイヤだ』
●木版画作品ポストカード5枚セット『草がざわめいて』
●本プロジェクトのためのオリジナル木版画作品
などを考えています。
<山福朱実さんのプロフィール>
イラストレーター、版画家、絵本作家。
北九州市若松区の小さな印刷屋に生まれる。
1986年よりイラストレーターとなり、現在は木版画を中心に活動。
絵本に『ヤマネコ毛布』(復刊ドットコム)、『ぐるうんぐるん』(農文協)、『砂漠の町とサフラン酒』(小川未明/架空社)、『きたかぜとたいよう』(蜂飼耳/岩崎書店)など、物語の挿絵に『水はみどろの宮』(石牟礼道子/福音館書店)などがある。
2017年に関東から北九州へUターン。生家である山福印刷の工場をアトリエ『樹の実工房』とし、装丁・挿画、個展やグループ展への参加、ギタリスト・末森樹氏とデュオでのライブ活動も行っている。
公式HP https://nekoyanagioffice.wixsite.com/kinomikoubou
未来を生きるのは子ども達。
その子ども達が大人になった時に「戦争」が日常になっていたら大変です。
「そんなことあるわけない。」
と、胸を張って言えない社会情勢…。
大人が努力しなければ、「平和」な日常を子ども達につないであげられないかもしれません。
「お願いだから、『平和』をつないで!」
と願う子ども達の気持ちも受け止めたいと思い、500円からの支援額を設定しました。
子ども、大人。年齢問わず、「『戦争を忘れず、平和の大切さを感じ、平和な世界にするためにできることを考える場所』として、資料館を引き継いでほしい」と思われた方。応援したいと思われた方。
その気持ちを受け取って、プロジェクト実現のために精一杯の努力をしたいと思っています。
支援者500人。目指しています。どうぞ、よろしくお願いします。
私が作った(機械音痴なんですが)「北九州平和資料館」のホームページもご覧ください。
閉館を検討する話合いのたびに、自問してきました。
「このまま終わらせていいの?残さなくていいの?」
戦場戦時体験者のこと、平和を守るためにと活動されてきた方々のこと…多くの方々の姿が浮かんできます。
そんな方々の努力があって、これまで平和が守られてきたのだと、改めて思います。
自分の生き方を変えたのは、そんな方々との出会いであったこと。「戦争」を知ることであったこと。
いろいろなことを思い出しながら、確認している自分がいました。
『大切にしたい』という思いと、『自分には荷が重すぎ』という気持ちとの狭間で、このことを考えると涙が込み上げてくるような、そんな日々を送っていました。
そんな中、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。
破壊される町の様子、怯え逃げ惑う人々の姿、街に放置されている亡骸、・・・脳裏から離れません。
過去の戦争と重なり、
「どうして同じことが繰り返されるの?!」
と、憤りと悔しさと悲しさ…様々な感情と同時に、「資料館を残さなければ!」という使命感と「自分のできることをしたい!」という強い思いが沸き上がってきました。
「よし!受け継ごう!」
戦争体験者が居なくなっている今だからこそ、戦争の本当の恐ろしさを知る場所を残さなければ。
平和や命の尊さを感じる場を残さなければ。そう強く思いました。
しかしながら、前途多難・・・
私事。
4年前、小学校の教員を早期に辞しました。心と時間のゆとりを求めて。特に、それまで後回しにしていた、老母や我が子のために時間を使おうと。
経済的なゆとりがなくなることは覚悟の上でした。
今思えば、退職したお陰で資料館に携わることができるようになり、また、学ぶ時間も増えました。お金とは引き換えにならない充実した日々を得ることができました。
しかしながら、まさか閉館後に受け継ぐことを考えるようになろうとは・・・想定外でした。
受け継ぐことがストレスになってはいけない。と、
「家族のことを大事にしながら、自分にできること・したいことができるようにするためには・・・」
と、考えました。具体的には、
●維持費がかからないように ●時間を拘束されないように
することが、私が受け継ぐには不可欠。そう考えて出た結論は、
「自宅敷地内に資料室を設置する」
しかしながら、今の自宅は住宅街。駐車場はなく、ご近所に迷惑をかけることが予想できる。ということで、土地探しを始めました。
運営のイメージが浮かぶ物件を見つけました!
しかし、
「我が家の将来が見えない」
と、夫の同意がもらえず。
それでもあきらめずに、いろいろと策を練っているうちに、売却されてしまいました。・・・
悔しいかな。平和をつなぐにも、「お金」が不可欠というわけです。
そこで、クラウドファンディングや寄付を募る方法を探ることにしました。
正直、初めは気が引けました。でも、大事なことに気付きました。
資金援助をしてもらうということは、平和への思いを同じにする仲間を集めるということだと。
決意してからもいろいろとあり、気持ちが萎えそうになることがしばしば・・・
そのたびに、応援してくださっている人のこと、これまで出会った子ども達のことを思い出しました。
「したい」と夢をもち、「しよう」と、行動に移す!!「たいよう」の精神で、ここまで漕ぎつけました。
「自宅敷地内の資料室」とはいきませんが、ようやく土地を見つけることができました。
自宅から近い、倉庫付きの土地です。
これから、自分でできることはDIYで。できないことは業者さんに頼んで「資料室」に改造していこうと思っています。
DIYでリフォーム中
クラウドファンディングを申請している間に、「北九州平和資料館」は閉館し、新しい資料室(学習室)のリフォームも始めました。
壁紙を張り替えて、床を作っています!
「北九州平和資料館」は、戦争戦時体験者、親兄弟を戦争によって奪われた方々などの戦争を深く心に刻んでいる方々が中心となって、開館。守ってきました。
元「北九州平和資料館」館長の小野さんの閉館にあたっての挨拶
こうやって、平和を守るために地道にがんばってきた先輩がいるから、今の平和があるのだと思います。
先輩方の想いを忘れないようにして、引き継ぎたいと思っています。
最新の活動報告
もっと見る若松市忠霊塔での慰霊祭への思い②
2025/06/13 15:13このチラシのデザインは、今大学生の教え子が、進んで考えてくれました。「私たちで紡ぐ 私たちのまちの歴史」というキャッチコピー、ステキですよね! そして、貴方の一歩が未来を残すこの道をこれからも歩いてゆくため平等に刻まれた命等しく刻まれた脈を忘れぬよう緩やかな温もりの重さを に感動した私でした。「どんな人の命も平等に考えた先人に習い、温かいまちをつくっていきたい」という思いを込めたというのです。それと、「鳩を飛ばしたかったんです。」とも。未来を担う若者たちの感性。侮るなかれ!!今年初めて忠霊塔内陣を一般に開放しての慰霊祭は、「TICO PLACE」と「若松区遺族会」の主催で開催しました。私は、平和資料館に関わるまで、「遺族会」のことを知りませんでした。資料館を通して出会った方を通して、「遺族会」のことを知りました。まず一つは、若松区遺族会の会長のMさん。足が悪いにも関わらず、ビルの3階にあった平和資料館に何度も来てくださいました。「憲法9条を大切にせないかん。」から始まって、いろいろなお話をしてくださいました。「遺族会」のことを知らなかった私は、Mさんとの出会いで、調べることになります。『日本遺族会は、国の礎となられた英霊顕彰をはじめ、戦没者の遺族の福祉の増進、慰藉救済の道を開くと共に、道義の昂揚、品性の涵養に努め、世界の恒久平和の確立に寄与することを目的とする。』(一般財団法人 日本遺族会HP「目的」より)私は、その背景にある問題点に気付きました。●「国の礎になった英霊顕彰」●まず、この言葉に違和感を感じました。英霊…戦死者の霊を敬っていう語顕彰…隠れた善行や功績などを広く知らせること「お国のため」と命をかけて戦った人たちに感謝するのは当然のことのような気がしないでもありません。でも、その『死』の真実を知って、冷静に考えた時、私には、戦死した人たちに「ありがとう」という言葉は浮かんできませんでした。戦死の真実を知った時、とても「勇猛果敢に戦って、すごい!!」とは思えません。「功績」とはとても言えない・・・私の中に浮かんできた言葉は、「ごめんなさい。もう、二度と、あなたのような死に方をする人が出ないようにします。」でした。●「戦没者の遺族の福祉の増進」●この部分からは、遺族会会長のMさんの言葉が浮かんできました。「私は戦没者遺族だから、国からお金が下りよるんよ。でもな、空襲で親を亡くした遺族にはお金が出よらんのよ。」私には、「戦争による人々の苦労」に差をつけているように思えました。「お国のために戦って死んだ軍人・軍属」の遺族は苦労して、「空襲で死んだ一般国民」の遺族は苦労していないと言われているようで、悲しくなります。もっと言えば、大人の起こした戦争によって一人ぼっちになった孤児たちは?と、考えてしまいました。どうして、こんな国民を分断するような政策を考えるのだろう・・・Mさんの言葉は、「私は戦没者遺族だから、国からお金が下りよるんよ。でもな、空襲で親を亡くした遺族にはお金が出よらんのよ。」で終わりません。いつも「おかしいと思わんね。」で終わります。分断を生むような「目的」を掲げる遺族会で重要な立場にいるMさんの考え、そして、未来に平和を繋げたいという強い思い(足が悪くて大変でも、私が担当の日にしばしば3階までの階段を上がって会いに来てくれました。)を、私は放っておくことができませんでした。遺族会の考え方は理解できないけれど、Mさんの考え方や人柄を受け入れている自分がいました―――(つづく) もっと見る若松市忠霊塔での慰霊祭への思い①
2025/06/11 17:122025年6月8日(日)。若松区の高塔山中腹にある『忠霊塔』で慰霊祭を開催することができました。『慰霊祭』といっても、式典があるわけでも、僧侶による読経があるわけでもありません。ただただ、平和な現在の社会を生きる人たちが、平和に感謝し、また、この平和をつくるきっかけになった戦争による犠牲者に手を合わせる場を設定したというだけです。忠霊塔の中(「内陣」と、若松市史には書いてあります。)が一般公開されたのは、はじめてかもしれません。(忠霊塔建設の声が上がって、今年で70年。近所の年長者に尋ねると、「慰霊祭のようなものをしていた時期があったようだけど…」とおっしゃいます。でも、はっきりとしたことは分からないままです。今後調べていこうと考えています。)私が、この忠霊塔「内陣」を一般市民に開放しようと思い付いたのは、昨年の秋のある出来事がきっかけです。夜中の2時ごろ目が覚めたかと思うと、この内陣の中に書き綴られている『戦争による犠牲者』のお名前が私の頭をぐるぐる回り出したのです。ビックリしました。「あぁ~。みんなに知ってもらいたいんだなぁ。」私は、そう思いました。(非科学的でスミマセン)手入れされず、ただただ伸び放題になって鬱蒼とした木々と藪に飲み込まれるように、忠霊塔と内陣がありました。『怖い場所』と、地元の人が感じてしまうのも無理もありません。前にもお伝えした通り、中には、戦争で命を奪われた人々のお名前が、年齢問わず、肩書問わず、丁寧な文字で綴られています。戦争が無ければ、奪われることのなかった命です。尊い命の犠牲と引き換えに手に入れた平和。・・・今の平和を生きる私たちの中のどのくらいの人が、その事に気付いているのだろうか。考えているだろうか。大切な人を失った人たちが、戦争によって体や心に傷を負った人たちが、戦後の厳しい日本でどのように生き、平和を築いてきたのかを今の平和を生きる人たちのどれだけの人が考えているだろうか。私たち平和な中で生きさせてもらっている者は、過去の事実を知らなければならない。思いを馳せなければならない。これからも平和をつないでいくために。そんな思いで始まった『慰霊祭』への道でした。若松遺族会の会長さんに相談に行った時に、作った計画表。見ながら思い出しました!8月15日に開催しようと思っていたことを。そして、2200人分ものお名前を一人ずつ読み上げようと考えていたことを。「呼んでもらえたら、うれしいんじゃないかな。」と思って(笑)。今考えれば無謀なことだけど、いつか、いつか、叶えたいと思っています。(つづく) もっと見るTICO PLACE 2周年記念 ドキュメンタリー映画『戦雲~いくさふむ~』上映会
2025/05/21 18:26昨年9月。石垣島の現状を知りたくて、友人の誘いに乗った。『戦雲』の題名になる唄を謡った、山里節子さんにお会いすることができた。戦争中に、避難させられた場所で自分も含め、家族がマラリアにかかり、家族を亡くした。お兄さんは、予科練(海軍飛行予科練習生)として船で移動中に撃沈され、亡くなった。戦後、家計を助けるため、また、英語を話せるようになるために、アメリカによる石垣島の調査活動を手伝った。その調査が、その後の飛行場建設などに利用されたことを知り、愕然とする。「私が平和活動をするのは、贖罪なのよ。」とおっしゃられた。おばあは、平和を守るために、今、生きている。石垣島には戦後、戦争に関係する施設はなかった。そんな石垣島に、2年前(2023年)、「石垣駐屯地」が開設した。2018年。自衛隊の駐屯地建設に対して、住民たち(若者を中心にして)は、住民投票を求めた。住民の意思を示し、お互いを理解し合うために、住民投票を求めた。住民投票を求めるために、住民の署名を集めた。地方自治法で住民投票条例の請求に必要な署名は有権者の50分の1。その数をはるかに上回る、有権者の4割近い署名を一ヶ月で集めた。石垣市は請求に基づいて市議会に条例案を提案したが、議会はこれを否決した。・・・この、民主主義を踏みにじるできごとが2018年から2021年に起きていたのだ。詳しくはコチラ➡沖縄テレビ放送知らなかった。・・・全く知らなかった。国を守るために、一部の犠牲に目をつぶる。見ない振りをする?「知らなかった。」で、済ませてはいけない。許してはいけない事なのだ。なぜなら、私たち日本に生きる人みんなの問題だから。これを許すということは、いつか私たちも、同じ思いをすることになるということだから。国をつくるのは、国民である。未来のために、ちゃんと知って、考え、行動しなければ、戦後できたその仕組みは、奪われる。戦後80年という、戦争を思い出すチャンスを逃したら、もう、戻ることはできない。未来に禍根を残すことになる。そんな気がしてならない・・・関心をもとう。知り、考え、行動しよう。申込みはコチラ➡参加申込 もっと見る
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