北九州市若松区にある『北九州平和資料館』で管理人をしている小松芳子と申します。
このプロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
『北九州平和資料館』は、8月に閉館することになっています。(8月25日に閉館しました。)
閉館が決まってから、一人でも多くの人に来館してもらえるようにと、様々な活動(後述)をしてきました。そのたびに、来館してくださった方々の「資料館を残せないんですか。」の訴えや、平和への強い思いを受け、「私に資料館を受け継げないかなぁ。」と悩んでいました。
そんな中で始まったのが、ロシアによるウクライナ侵攻でした。
破壊される町の様子、怯え逃げ惑う人々の姿が脳裏から離れず、胸が苦しくて仕方ありません。
「戦争を知らない人が増えると、また、戦争が起きる」
という悲惨な戦争を体験された方の言葉が脳裏を過ります。
「戦争を伝える場所を残さなくては。」
と、自分で資料室を開くことを決意しました。
①手に取って触れて感じることができる展示を受け継ぐ
『北九州平和資料館』は、「戦争を忘れず、平和な社会を守ってほしい」という強い願いを持つ戦争・戦時体験者が中心になって開設した私設の資料館です。戦争中の物や寄贈された遺品などが、手に取って見ることができる状態で、展示してあります。
手に触れることで、見るだけでは気付かない発見があります。
来館者の様子から、「触れる」ことで想像が広がるなど、理解が深まることが分かります。だから、資料の修理、保存方法などを学びながら、引き継ぎたいと思います。
②想像しながら、戦争での真実を知ることができる展示の工夫をする~子ども達にも分かるように~
平和を築き、守るためには、戦争で起きた事実(加害・被害を問わず)を知り、そこに生きた(る)人々の立場で想像することが必要だと考えています。
戦争での出来事を「自分ごと」として捉えることが、本気で戦争をなくす方法を考えることにつながる。具体的な行動につながる。
自分自身の体験から、そう考えています。
昨年夏、小学校の先生が来館されました。若い方でした。
「知らないことばかりで、もっと勉強しないといけないと思いました。」
とおっしゃっていました。
それから2週間ほどして、また、来館されました。
「憲兵さんの言葉が忘れられなくてまた来ました。『先生』という仕事の責任をすごく感じています。」
と、しばらく憲兵の軍服の前で佇んでおられました。
「あ~。こんなことあったんだな。」で終わるのではなく、そこに生きた人のことを想像できるような展示の工夫を続けたいと考えています。
そこで、「本物に触れる」ことに加え、戦場・戦時体験者の証言や写真を展示したり、DVDで見られるようにしたいと考えています。
また、現在ある年表や書籍資料に加え、絵本や漫画を置くなど、説明も含めて子ども達にも分かりやすい展示を心がけたいと思います。
③「平和のための学習会」を続ける
小学生の子どもをもつ教え子に声をかけ、「平和のための親子学習会」を始めました。
その際、「下の子を連れて行ってもいいですか?」と、教え子の声。自分が子育てをしていた頃のことを思い出しました。
「学びたい」と思っても、子どもがいるからと我慢していました。
私と同じように、「学ぶ事を我慢している」親御さんが多いのではないかと思い 、 急遽、我が娘に、小さい子のお世話をお願いしました。
学習会当日。
戦争の悲惨さなどを真剣に学んでいる資料室の外では、元気なちびっ子たちの声が聞こえ、平和の有難さを実感しながらの学習会になりました。
3月に始めて7月まで、月に2回のペースで学習会を続けました。
憲法記念日前には憲法の学習。沖縄慰霊の日前には沖縄の学習。というように、内容は多岐に渡りました。(→ホームページのブログ)
未来は、今、つくられる!子ども達の未来のために、力を尽くせるのは、今の大人!
だから、
子育て中の方々が真剣に考えられるような「学べる環境」をつくりたいと思っています。
さらに、「学校の先生向けの学習会」もしました。
「『平和学習』をしたいんだけど、どうやっていいか分からない。」
という若い先生の声を聞き、何か役に立てればと思って、開いてみました。
といっても、「親子学習会」でしていることをやりながら、少し説明を加える程度でしたが。
平和をつなぐには、教育が大事!
豊かに感じることができる子どものうちに、感じながら学ぶことができるような手助けになれればと思っています。
④「平和」(「人権」「環境」)について自由に語る場所にする
「語り部の会」を開いた時のこと。
語り部のお話を終えて、参加者に向けて、質問や感想などをお願いしました。
「ほとんど発言する人はいないだろう」という予想に反し、次々と手が上がりました。
その時の感想には、
「私がこれまで参加したどの講演会よりもよかったです。サイコーでした!」
「今日は、参加した人の意見もたくさん聞けてよかったです。このような機会をまた作ってほしいです。」
のように、多くの人が、「意見を聴きたい」「みんなで話がしたい」という思いをもっていることが伝わるものばかりでした。
20名くらいの少ない参加者だからこそ、初対面にも関わらず、ざっくばらんに話ができたのではないかと思います。
新しい資料室でも、このような「語り合う場」を作りたいと考えています。
⑤「平和」「地球」「いのち」「人間」のすばらしさを感じられる活動をする
ようやく見つけた場所は、自然に囲まれた場所です。
一度には無理ですが、畑を作って、鶏を飼いたいと考えています。
訪れた方と野菜の収穫を楽しんだり、鶏の生んでくれた卵で作ったお菓子を食べながら、おしゃべり(平和について?身近なことでも何でも)したりしたいです。
「資料室に来たら、平和を感じることができます。」
と学習会に参加してくれていた小学生が、感想に書いてくれていました。
思いきり戦争の悲惨さを学んで、思いきり平和のすばらしさを感じられる、そんな場所にできたらと思っています。
子ども達には、「平和」のことを考えると同時に、「地球環境」のことも考えられるようになってほしいと願っています。「地球」があって、私たちは生きていける。もっと言えば、地球の健康を保てなければ、私たち生物の命も脅かされるーーー「平和」も「人権」も大切にできなくなるーーー
最後の学習会で「詩音屋まささん」に歌を歌ってもらいました。悲しみや怒りがこもった歌の時は、真剣な表情で。
楽しい歌の時は、笑顔で自由に。
子ども達が心で感じていることが伝わってきました。
「人間って、すてきだなぁ~。」
やはり、人は、戦うため、憎み合うために生まれてきたのではないと思います。
「ことば」だけでなく、「音楽」や「絵」…
自分らしく自由に表現することを楽しめる場所にもできたらいいなぁ。と考えています。
まずは、まささんの手を借りながら、参加型のライブイベントを企画したいです。
平和をつなぐためには、教育が大事!
豊かに感じられる子ども達のことを思い描きながら、活動を考えていきたいと思います。
こうして、「平和」や「環境」を守るために行動できる人を増やし、
どんな人も、幸せを感じながら生きられる未来を築いてほしいと願っています。
びっくりですね‼️プロジェクトに向けて全力で進んでいるこまっちゃん!北九州平和資料館から新たな芽が出てその芽が成長してまた新たな広がりを生む🌱平和は守られないといけないものです。でも受動的なものではないのですね。このプロジェクトはそのことを実感し実現できる。行動できる人を増やすことがこの地球を守ることに繋がっているのですね。
若松の平和資料館に初めて行った時、小四だった息子が実際に使われていた鉄かぶとを被り、リュックを背負わせてもらいました。兵隊さんはこんな重たいものを持って戦っていたのかと肌で感じることができました。それから、息子の中で兵隊さんはどんな気持ちだったのか?どうして戦争は起こったのか?どのように暮らしていたのか?たくさんの「ど」が溢れ、疑問や興味が出てきました。反対に「お母さん、なんで?」の質問に上手く答えられない自分もいました。こまさんから、学習会開催のお誘いをうけた時には、ぜひっ、参加したい!と思いました。学習会をしたあと、平和ってこんなことかな?と親子でよく会話をするようになりました。学校で友だちと会って遊ぶこと、家族で美味しいご飯を食べていること、などなど。当たり前のことを平和だと感じられようになったのは、平和資料館で学んだからだと思います。学習会で「未来ある今の子ども達が銃をもつことのないように。。」のこまさんの言葉が頭から離れません。触って、感じ、学ぼうとする力が溢れてきた資料館がなくなるのは、ほんとにもったいない!!たくさんの人にそれを感じて欲しいです。まだまだ、私達は学ぶことがたくさんあると思います。忘れないように学び続けることが大切だと思うのです。それは、子どもだけでなく、大人も同じです。その場所を引き継ごうとしているこまさんを全力で応援したいです。どうか、皆さんも力を貸してください!
「手に触れることができる資料館」のすごさは、体感です。
焼夷弾、手りゅう弾の冷たくて重い感じ。軍服のごわごわした感じ。
「これで戦争したの?」と思う質素な持ち物、等々。
見たことのある「戦争」の画像や映像の印象が一変します。
そして、何気ない日常が平和であることを実感します。
こまさんの親子学習会にも、参加してきました。
平和が壊れていく過程、戦争では加害、被害の立場が複雑に絡むこと、
平和憲法について、平和のために尽力した人々について、等々。
息子が一番心に残ったことは、「僕たちは微力だけど、無力じゃない。」とのこと。
子どもは未来志向であることを、こまさんはよく分かっています。
「平和の種」、受け取りました!
この学びの場を引き継ぐ決意をしたこまさん。
私自身も少しでも力になれたら、これからも一緒に学んでいけたら、と思っています。
また、このクラウドファンディングを通して、多くの方々にこの資料館を知ってもらい、
「平和」や「環境」を考えるきっかけにしてもらえたら嬉しいです。
目標達成に向け、さらに支援の輪が広がっていきますように!
応援しています!
土地購入費(一部)1,000,000円
車椅子が通れる施設整備費 約500,000円
防犯カメラ設置費 約500,000円
建築資材・設備品購入費 約400,000円
リフォーム代 約1,000,000円
リターンにかかる費用 約200,000円
クラウドファンディング手数料 約400,000円
ープロジェクト自体の実施スケジュールー
8月中旬 学習室のリフォーム
8月下旬 資料移転
9月~ 資料室リフォーム開始
12月~ 順次リターン発送
6月 新資料室オープン
「北九州平和資料館」の手伝いを始めてしばらくして、子ども達にも来てほしくて、キャラクターを考えて作りました。TICo(ティコ)と言います。
T(Truth…真実)I(Image…想像する)Co(Consider…よく考える)という深い(笑)意味があります。
「戦争の真実を知って、想像して、よく考えることが平和を守る力になる」
という願いが込められています。イメージは、兵士の魂です。
学習会に参加してくれたお子さんが喜んでくれたということもあり、このたび、リターンを考える中で、TICoをデザイン化しました。
TICoが載ったリターンを考えています。
●鉛筆
●付箋紙
●一筆箋
また、元「北九州平和資料館」館長(平和資料館をつくる会事務局長)の小野逸郎さんが中心になって執筆出版した
●『ガイドブック北九州の戦争遺跡』
●ガイド付「戦跡めぐり」(ガイドは、小野逸郎さん)
若松出身のイラストレーターの山福朱実さんの
●木版画作品ポストカード『戦争はもうイヤだ』
●木版画作品ポストカード5枚セット『草がざわめいて』
●本プロジェクトのためのオリジナル木版画作品
などを考えています。
<山福朱実さんのプロフィール>
イラストレーター、版画家、絵本作家。
北九州市若松区の小さな印刷屋に生まれる。
1986年よりイラストレーターとなり、現在は木版画を中心に活動。
絵本に『ヤマネコ毛布』(復刊ドットコム)、『ぐるうんぐるん』(農文協)、『砂漠の町とサフラン酒』(小川未明/架空社)、『きたかぜとたいよう』(蜂飼耳/岩崎書店)など、物語の挿絵に『水はみどろの宮』(石牟礼道子/福音館書店)などがある。
2017年に関東から北九州へUターン。生家である山福印刷の工場をアトリエ『樹の実工房』とし、装丁・挿画、個展やグループ展への参加、ギタリスト・末森樹氏とデュオでのライブ活動も行っている。
公式HP https://nekoyanagioffice.wixsite.com/kinomikoubou
未来を生きるのは子ども達。
その子ども達が大人になった時に「戦争」が日常になっていたら大変です。
「そんなことあるわけない。」
と、胸を張って言えない社会情勢…。
大人が努力しなければ、「平和」な日常を子ども達につないであげられないかもしれません。
「お願いだから、『平和』をつないで!」
と願う子ども達の気持ちも受け止めたいと思い、500円からの支援額を設定しました。
子ども、大人。年齢問わず、「『戦争を忘れず、平和の大切さを感じ、平和な世界にするためにできることを考える場所』として、資料館を引き継いでほしい」と思われた方。応援したいと思われた方。
その気持ちを受け取って、プロジェクト実現のために精一杯の努力をしたいと思っています。
支援者500人。目指しています。どうぞ、よろしくお願いします。
私が作った(機械音痴なんですが)「北九州平和資料館」のホームページもご覧ください。
閉館を検討する話合いのたびに、自問してきました。
「このまま終わらせていいの?残さなくていいの?」
戦場戦時体験者のこと、平和を守るためにと活動されてきた方々のこと…多くの方々の姿が浮かんできます。
そんな方々の努力があって、これまで平和が守られてきたのだと、改めて思います。
自分の生き方を変えたのは、そんな方々との出会いであったこと。「戦争」を知ることであったこと。
いろいろなことを思い出しながら、確認している自分がいました。
『大切にしたい』という思いと、『自分には荷が重すぎ』という気持ちとの狭間で、このことを考えると涙が込み上げてくるような、そんな日々を送っていました。
そんな中、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。
破壊される町の様子、怯え逃げ惑う人々の姿、街に放置されている亡骸、・・・脳裏から離れません。
過去の戦争と重なり、
「どうして同じことが繰り返されるの?!」
と、憤りと悔しさと悲しさ…様々な感情と同時に、「資料館を残さなければ!」という使命感と「自分のできることをしたい!」という強い思いが沸き上がってきました。
「よし!受け継ごう!」
戦争体験者が居なくなっている今だからこそ、戦争の本当の恐ろしさを知る場所を残さなければ。
平和や命の尊さを感じる場を残さなければ。そう強く思いました。
しかしながら、前途多難・・・
私事。
4年前、小学校の教員を早期に辞しました。心と時間のゆとりを求めて。特に、それまで後回しにしていた、老母や我が子のために時間を使おうと。
経済的なゆとりがなくなることは覚悟の上でした。
今思えば、退職したお陰で資料館に携わることができるようになり、また、学ぶ時間も増えました。お金とは引き換えにならない充実した日々を得ることができました。
しかしながら、まさか閉館後に受け継ぐことを考えるようになろうとは・・・想定外でした。
受け継ぐことがストレスになってはいけない。と、
「家族のことを大事にしながら、自分にできること・したいことができるようにするためには・・・」
と、考えました。具体的には、
●維持費がかからないように ●時間を拘束されないように
することが、私が受け継ぐには不可欠。そう考えて出た結論は、
「自宅敷地内に資料室を設置する」
しかしながら、今の自宅は住宅街。駐車場はなく、ご近所に迷惑をかけることが予想できる。ということで、土地探しを始めました。
運営のイメージが浮かぶ物件を見つけました!
しかし、
「我が家の将来が見えない」
と、夫の同意がもらえず。
それでもあきらめずに、いろいろと策を練っているうちに、売却されてしまいました。・・・
悔しいかな。平和をつなぐにも、「お金」が不可欠というわけです。
そこで、クラウドファンディングや寄付を募る方法を探ることにしました。
正直、初めは気が引けました。でも、大事なことに気付きました。
資金援助をしてもらうということは、平和への思いを同じにする仲間を集めるということだと。
決意してからもいろいろとあり、気持ちが萎えそうになることがしばしば・・・
そのたびに、応援してくださっている人のこと、これまで出会った子ども達のことを思い出しました。
「したい」と夢をもち、「しよう」と、行動に移す!!「たいよう」の精神で、ここまで漕ぎつけました。
「自宅敷地内の資料室」とはいきませんが、ようやく土地を見つけることができました。
自宅から近い、倉庫付きの土地です。
これから、自分でできることはDIYで。できないことは業者さんに頼んで「資料室」に改造していこうと思っています。
クラウドファンディングを申請している間に、「北九州平和資料館」は閉館し、新しい資料室(学習室)のリフォームも始めました。
壁紙を張り替えて、床を作っています!
「北九州平和資料館」は、戦争戦時体験者、親兄弟を戦争によって奪われた方々などの戦争を深く心に刻んでいる方々が中心となって、開館。守ってきました。
こうやって、平和を守るために地道にがんばってきた先輩がいるから、今の平和があるのだと思います。
先輩方の想いを忘れないようにして、引き継ぎたいと思っています。
最新の活動報告
もっと見る対馬丸~80年前と『今』~
2024/10/29 13:04来週月曜日、11月4日(月・代休)。TICO PLACEの第4回目のイベント『旭堂南照さんの講談会』を開催します。(あと少しゆとりがあります。よかったらご予約ください。⇒https://docs.google.com/forms/d/1yrQpKNcCYgOF5SY357EdLdw941ZPecp-uasN-4tyf_0/edit題目は『ミチコ先生とマーマレードと対馬丸』です。『対馬丸』をご存知ですか?『学童疎開船 対馬丸』という言葉を耳にされる方も多いのではないかと思います。沖縄戦に巻き込まれないようにと、長崎県に避難していた『対馬丸』が魚雷攻撃を受け、撃沈。約1500人の方が亡くなりました。そのうちの半数以上が小学生だったという悲しい出来事です。「戦争になると、子どもも何も関係ない。誰が乗っているかとか、分からないんだから…。だから戦争はいけない!」と、つい最近まで私は、単純にそう思っていました。でも、この過去の事実から学ぶべきは、もっと他にあることを『今』の沖縄・南西諸島(九州全体を含め)の軍事化を学ぶ中で知りました。日本郵船博物館のHPに以下の説明が載っています。「対馬丸」(6,724トン)1916(大正5)年に当社が開設したニューヨーク航路の第1船となった貨物船で、第2次世界大戦中陸軍に徴用されていました。戦争末期、敵の沖縄上陸が必至とみた日本軍の要請で、政府は老人、女性、子ども10万人を本土などへ疎開させることを決定。1944(昭和19)年8月21日「対馬丸」は、国民学校の生徒・教師・付添人ら1,661人を乗せて那覇港を出港しました。しかし2日目の夜、南西諸島悪石島の北西12キロメートル付近を航行中に、米国の潜水艦「ボーフィン」号の魚雷攻撃を受けて沈没。乗船していた学童767人、乗組員24人を含む1,484人が犠牲となり、救助されたのは学童59人を含むわずか177人。歴史上きわめて悲惨な出来事でした。~日本郵船歴史博物館HPより~対馬丸は、当時、陸軍に徴用されていたんです。つまり、日本軍の船だったということです。おまけに、砲を三問装備した武装商船でした。見た目に、軍用船と判断できる状態だったんです。このことを含めて私が学んだことは、「武装したものは狙われる」ということです。「軍用船」としての対馬丸のことを考えたのは、先月、宮古島と石垣島に視察に行った時のことでした。宮古島で「島を戦場にさせない!」と、子育てと仕事をしながら運動されている「お母さん」と、石垣島で、戦争を体験した「おばあ」と、軍事化が進められる『今』の島を案内していただき、いろいろと話をした時でした。宮古駐屯地前で石垣島にて『今』、南西諸島(先島諸島)の島々では、有事の時の避難計画が作られています。市民への説明が行われたり、避難訓練が行われたりしている島があるのです。政府は台湾有事などの際に沖縄県・先島諸島の住民が九州・山口の8県に避難するためのモデル計画をまとめた。国民保護政策を所管する内閣官房の事態対処・危機管理担当(事態室)が3日、九州地方知事会に計画の概要を示した。沖縄本島の南西に位置する先島諸島の5市町村には11万人が暮らす。最西端の与那国島と台湾はおよそ110キロメートルしか離れていない。今回のモデル計画は大規模な避難計画を策定するための具体例として示した。モデル計画によると、宮古島と石垣島の間に位置する多良間村の住民1000人ほどを24時間以内に熊本県八代市に空路と陸路で輸送する。現地の宿泊施設に1カ月滞在することを想定する。村民はバスなどで多良間空港に移動し、空路で宮古空港(宮古島市)を経由して鹿児島空港(鹿児島県霧島市)に移動する。同空港から1時間半かけて八代市内に設ける「避難先連絡所」に貸し切りバスで移動する。連絡所はホテルなどの滞在先に移動する拠点となる。村役場の機能を持たせるほか通信環境も整備する。ホテルや旅館での受け入れを基本とする。足りない場合は公営住宅なども活用する。政府は先島諸島に避難指示を出す際、避難先に指定した地域への訪問自粛を求める方針で宿泊先は全室が空室であることを前提とする。政府は有事には先島諸島の5市町村の住民11万人と観光客1万人の計12万人が避難する必要があるとはじく。九州・山口8県の収容可能人数を調べたところ36万人となった。今後、各県はモデル計画を基に受け入れ計画を調整する。5市町村の住民らの受け入れ先は石垣市が山口県、福岡県、大分県、竹富町が長崎県、与那国町が佐賀県、宮古島市が福岡県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、多良間村が熊本県となる。(2024.6.3 日本経済新聞)知っていましたか?「避難計画が出されるくらい危険な状態なの?!」と、不安に思う方もおられるかもしれませんが、こういう時こそ、よく考えなければならないと思います。これまでの歴史から。世界中の状況から。置かれている自分や家族、大切な人の状況から。自分自身の生き方から。・・・いろんな視点から、『今』、どうすべきなのかを考えなければならないと思うのです。「対馬丸事件」から学ぶこと~軍事関係施設は狙われる~から考えると、ミサイル配備を進めていることが、戦争を引き寄せている行為だと思えてなりません。また、「沖縄戦」は、軍隊は住民を守らない・守れないことを教えてくれています。私が出会った島の方々は、力を込めておっしゃいました。「生まれ育った土地を離れて、そう簡単に暮らすことはできません。それもリュック一個で、避難するなんて・・・。農業をしている人は自分の土地を捨て、どうやって暮らすんですか?酪農を営んでいる人は、牛たちをどうしたらいいんですか?漁業をしている方たちは・・・。」「歳をとられた方が、『もうそんなに長くは生きられないんだから、私は避難しないよ。』と言ったら、『そんな人は助けることはできません。まず、インフラが止まる。それに、自衛隊は住民を守る余裕はありませんから。』と。日本の国全体からしたら『多少の犠牲は仕方がない』。その『多少』の中に私たちは入っているよね。」私は、「自分だったら…」と考えながら、その方の話を聴きました。「戦争できる努力をする前に、戦争にならないようにする努力を、私たちはしてほしいんです!!」ホントにその通りだと、これまで以上に強く思いました。一部の犠牲を払って平和を保つというのは、本物の平和ではない!!ましてや、自分の払ったお金で戦争するための準備が為されるなんて、自分も戦争に加担したことになる!そんなことは絶対にイヤだ!!私の中の人間としてのプライドが騒ぎ始めます。実際問題、上の記事にあるように、福岡県も避難を受け入れています。収容可能人数36万人!?どこからの試算なのか知りませんが、仮に受け入れ場所があったとしても、人が生活するには、食べること着ること、そして、働くこと・・・そんなに簡単な事ではありません。具体的に想像すると、その計画にゾッとします。戦争中、宮古島には、住民の半分以上の兵隊が上陸してきました。その兵隊たちのために、自分たちが働いて作った農作物をすべて供出させられた住民たちは、食べる物がなく、処理の仕方を間違えたら命を落とすほどの毒を持つソテツも食べなければならなかったといわれています。似たようなことがまた、計画されていることに憤りを感じます。あまりにも『カンタンに』考えていると私には思えてならないのです。想像力の欠如。『他人事』の考え方。「自分だったら…」と考える国民を増やさなければ!と、少々焦りながら毎日自分のできる事をしています。『対馬丸事件』のことを調べていたら、疎開を追体験する子ども達の様子を取材したニュース動画を見つけました。https://youtu.be/oBha8Ryvxtchttps://youtu.be/NUrIzkaJzmU沖縄から宮崎県に疎開した学童たちがいたこと、やーさん(ひもじい)ひーさん(寒い)しからーさん(寂しい)辛い思いを乗り越え、生きたこと、戦後も宮崎に残り、沖縄の伝統文化を大事に生きたこと、・・・知らないことをたくさん知りました。二度と同じ思いをさせてはならない!!未来を生きる子どもたちのためにも、『今』一人一人の大人が真剣に考え、行動する時だと思います。 もっと見る
Consider~熟考した8・9月~
2024/10/08 15:35「どうして『戦争』によるさまざまな悲劇が起きたのか?」その理由を考えることができるような展示ができないか・・・そのことを考えられる展示を目指した、今年の『平和のための戦争展』(8/31~9/1)でした。図面上20mの展示スペースと計算して、家でゴソゴソ…日本の軍隊のしくみや実際については2m・・・ TICO PLACEにある実物資料や写真を活用しながら、「考える」展示ができないものかと、かなりの時間考えました。まるで、もう一度資料室の展示をやり直しているような、そんな感覚になりました(笑)結局、時間切れで、考えたことを十分に表現することはできませんでした・・・まだまだ、「言葉」や展示の仕方に工夫が必要です。これを土台に、また、来年に生かしたいと思っています。しかしながら、私の中には、戦争によって苦しんだ人(自国他国を問わず)が、それまで以上に強く住みつきました。それまで以上に、「戦争にならない方法」を真剣に考えています。9月には2度も、小学校に平和学習に行く機会をいただきました。修学旅行で大刀洗平和記念館に行く6年生には、『特攻』という事実があったことを知ってもらうだけでは、不十分だと思いました。「どうして、死ぬことを前提とした体当たり攻撃をしたのか?することになったのか?」と、そこを考えることが、本当の平和をつくる力になるのではないかと考えました。そういう気持ちに至らせた『教育』の話を、当時の小学生(国民学校)の日記をもとに話をしました。5年生の子どもたちには、少しでも戦争を自分事として捉えてもらいたくて、戦争中の日常の様子の写真をいくつか提示しました。今の自分たちと変わらない笑顔の人たちが、悲惨な体験をすることになってしまう・・・いろいろなことを学び、自分の頭で考えられる人になろう!と話しました。修学旅行で長崎に行く6年生には、どうして、北九州に原爆が投下される予定だったのか?と、当時の北九州のことを伝えました。そして同時に、原爆によって苦しんだ方(吉田勝二さんと谷口すみてるさん)の話をしました。一発の原爆により、人生がめちゃくちゃになること、また、生き残った自分の命を「二度と自分のような経験をする人が出ないように」と、「反戦」「核廃絶」に捧げた人がいて、今の平和がつくられていることを知ってほしいと思いました。この夏。出張展示を考えたり、出張学習を考えたりすることを通して、私の中にまた強く深く、戦争体験者の体験や『平和を願う声』が刻み込まれました。それに加えて、宮古島と石垣島に伺い、軍事化の現状と今を生きる人たちの『平和を願う声』を聴き、心に刻んできました。そして今、令和6年度日米共同統合演習(実動演習)「キーン・ソード25」について 2024年9月 防衛省より 令和6年度日米共同統合演習(実動演習)「キーン・ソード25」について 2024年9月 防衛省より新しく「特定利用空港」に指定された北九州空港をはじめ、沖縄や九州、全国で、これまで以上に大規模な日米共同演習が行われようとしています。この現状を、私の中に生きる多くの平和を願う人たちの声と重ね合わせて、今、自分にできる事を考えています。「『戦争のない世界』をつくる方法」を考えています。頭が痛くなるくらい考えています。私が考えたところで、何か変えられるわけではないことは分かっています。でも、考えずにはいられないのです。戦争は、人間がつくる。ならば必ず戦争をなくすことができる!!いつかきっと。その道筋を作りたいのです。 もっと見る
一年間の運営をふり返って~会計報告と活動報告~
2024/10/08 15:30今日は、9月7日。※投稿し忘れていました。北九州平和資料室 TICO PLACE を開設させてから、1年と2カ月以上が経ちました。遅くなりましたが、この一年間の活動報告をまとめました。(会員の皆さまへと書いたものを、最後に貼っています)この夏は、昨年の夏とは違って、資料室から出て行って(出張)、戦争のことを伝え、平和について考えてもらうという機会を多く頂きました。(昨日は、小学校で4時間も授業をさせて頂きました。)そのたびに、いろいろと作り直したり、新たに説明を加えたりすることになりましたが、それが、私にとって、大変勉強になりました。また、呼んでいただいた先で、カンパをいただくこともありました。TICOの会に入ってくださっている方の会費と多くの方からのカンパによって、この一年、資金面での心配をすることなく、活動をすることができました。心より、感謝申し上げます。(以下、会計報告です)以上、一年間の報告とさせていただきます。今後ともTICO PLACEのこと、応援よろしくお願いします。また、「TICO PLACE の運営を資金面で支えたい!」という方は、ぜひ、TICOの会にご入会ください。よろしくお願いします。最後の最後に、来館された方からのメッセージを掲載させていただきます。先々週は大雨の中受け入れて頂いてとても感謝しています。その時の北九州の訪問の中でどこが一番印象に残ったかを生徒達に尋ねたら、かなりの生徒が「北九州平和資料室」と答えてくれました。小松先生の地道な活動や想いは、訪れる人に確実に届いていることを確信しました。 何が正解かは究極的には分からないと思います。何事も試行錯誤ですが、継続することはとても大切な気がしています。私たち世代が伝えなかったら、もうそこまででしょう。あっという間にあの戦争の時代に逆戻りしてしまう気がしています。これからもがんばっていきましょう。私もまたそちらに伺わせて頂きます。~広島から中・高生を引率して来てくださった先生より~先日8月18日、突然の申し出に対して、案内していただきありがとうございました。たくさんの手作りの資料館に温かさを感じましたし、展示品を学生さんに説明される時、歴史や寄贈された方の思いも寄せて説明されている姿を見て、教えられることがたくさんありました。伝承者として、一方的に話すのでなく、問いを投げかけ、考えてもらう伝承講話ということも考えさせられました。ありがとうございました。~広島で伝承活動をされている方より~ もっと見る
応援しています!聞き取参加したいです。参加したいです。