<現在(10月27日)の支援状況(現金での寄付を含めて)>
支援総額 3,982,000円(目標4,000,000円)
支援者数 286人(目標500人)
10月27日(木)。
資料整理(所蔵している資料の記録)を始めて一か月。
ようやくこれまで「北九州平和資料館」(閉館)に置いていた教科書の記録が終わりました。
(まだ、その後寄贈されたものが自宅に段ボールいっぱいあります。がんばらねば!)
大きく「尋常小学校」の時代のものと「国民学校」の時代のものとに分けて記録してきました。
簡単にいうと、
「尋常小学校」は、明治時代から太平洋戦争が始まる直前まで。
「国民学校」は、太平洋戦争を始める年から、終戦まで。
ちなみに太平洋戦争は、1941年12月8日に始めましたが、「国民学校令」は、1941年4月1日に出されています。
歴史を学ぶ立場からすると、「戦争しやすくするために、あらかじめ土台を変えて行った」と、考えることができます。
子ども達がいつも目にする教科書が、「戦争を肯定するもの」「戦争を美化するもの」「団結して戦争を進めやすくするもの」に。
「国のために自分の命を捧げる覚悟」が、教科書や学校生活、日常の生活の中で育てられていったということなんですね。
尋常小学校1年生の国語の教科書の1ページ目は・・・
そして、国民学校の1年生の国語の教科書の1ページ目は・・・
そして、「文字」が出るページの1ページ目は・・・
当時小学生だったSさんの日記や、小倉陸軍造兵廠で働いた女子学生のお話。
「お国のために自分も命をかけて戦える人になろうと思った。」
「私たちも、男子と同じように、お国のために働けることが誇らしかった。」
「教科書」って、与えられたものをあまり考えずに使いませんか?
時々、「考えて」内容を見ることも大事だなぁ。と、改めて思いました。
戦争の歴史を学び、平和な未来に生かさなければ!