2月4日(土)。山口県宇部市の床波で行われた「長生炭鉱水没事故犠牲者追悼集会」に参加しました。
たくさんの参加者の中に、日本と韓国の高校生が混じっていました。
その中の日本の高校生(3年生)のメッセージ。
「時代の流れや単語を覚え、テストでいい点を取ることが歴史教育だと勘違いしている人が多い現状です。しかし、本当に大切なのは、その歴史の資料を読み解き、別の読み取り方を考えてみたり、その歴史を様々な国の視点から考えてみたり、それら個人個人の考えを自分で表現することが、真の歴史教育であると私は考えています。」
「大学では、地域の遺産や歴史から新たな日本の歴史教育を考え、偏見や差別のない平和な世界を作るためにどうすればよいか研究していきたいと思いました。」
「『長生』は、そんなことを与えてくれた(気付かせてくれた)大切な場所です。
平和のために私たちは、この歴史を必ず語り継いでいかなくてはならないと考えています。」
ゆっくりと一言一言嚙みしめるように伝えていました。
目頭が熱くなりました。
希望を感じ、うれしくなりました。
同時に、自分と重ねて考えていました。
学生のころ。歴史の勉強が嫌いでした。
暗記が苦手な私は、いつも「テストのために」必死でした・・・
苦痛でしかありませんでした。
そこに生きた人に思いを寄せることなど、皆無でした。・・・
歴史の大切さに気付くことができてよかった!
今、歴史の事実を知り、本当の平和を求めて考えて行動している自分に、幸せを感じています。
さて。長生炭鉱のことを。
長生炭鉱は、「海底炭鉱」でした。
1942年2月3日(太平洋戦争が始まって2か月)朝、坑口からおよそ1㎞付近の坑道の天板が崩壊して海水が侵入し、働いていた人たち183人が亡くなりました。
そのうち136人が、当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から来た人でした。
それらの人々は、生活苦から日本に働く場を求めて来た人や日本の労働力として強制連行された人たちでした。
日本が戦争を遂行するために、危険を承知で石炭を掘り続けさせて起きた事故でした。
今も犠牲者全員のご遺体は放置され、冷たい海の底に眠ったままなのです・・・。
追悼式があっている間、残念ながらお日様の光はなく、寒かったです。
でも、たくさんの方が祈りを捧げていました。
戦争は人災です。
戦争は、人間の力で防ぐことができるものです。
戦後、葬られそうになった長生炭鉱の事実は、市民の力で日の目を見、明らかにされました。
過去の歴史を知り、反省するという、人間として正しい姿勢や心の在り様がこの場所をつくったのだと思います。
「本当の平和をつくるためには、どうすればよいのか。」と考えた結果が、長生炭鉱の事実を伝える活動であり、韓国や朝鮮の方々との交流・対話なのだと思います。
国籍を問わず参加している方々の姿を見ながら、
「本当の平和をつくるために必要なのは、武器ではない」と、改めて思いました。
この土日。日本と韓国の高校生たちは、共に過ごすそうです。