公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。
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金城小百合(原作「cocoon」編集担当)
心から嬉しいメディアミックスを体験できる編集者はどれくらいいるだろう。
「原作の知名度があがる」「売れる」いろんな理由で喜ぶことはできるけど、生きる意味までくれるメディアミックスは少ないと実感している。
幸運なことに、「マームとジプシー」による舞台『cocoon』は私にとってそういう作品だ。
今日マチ子さんが漫画『cocoon』を描いてくれた時からそれは私にとってとても大事な作品で、自分のルーツである“沖縄”とやっと繋がりが持てた気がした。
でもそれでも、両親の生まれ育ちが沖縄なだけで、本州育ちの自分が沖縄ヅラすることに引け目と怖さがあった。
2013年初演の夏、母親が東京まで観劇に来た。その日は台風だった。
雷が鳴る中私はものすごい空気の圧迫を感じて、「神様に罰せられている」と思った。
会社には「物販があって…」と言い訳しながら校了を抜け出し、ほぼ連日夢中で観劇して「すごいものを目の当たりにしている」と感じてはいたものの、
沖縄生まれの母の観劇を考えると、“戦争”と“沖縄”を作品として発表するプレッシャーを今更ながら感じていた。
たかが原作の担当編集の自分がこんなにも負担を感じているのだから、作品を生み出した今日さんやマームの心労は計り知れない。
それくらい、私たちはカウンターな存在だった。
その頃は今日さんもマームのみんなも私も20代で、10年後の今とは違い、戦争や政治に言及する若者も極端に少なかった。
戦争を経験していない、沖縄で生まれ育ったわけでもない人間が戦争を語ること。
マームはその不安や恐怖を、今日さんと分かち合ってくれた。
今日さんとマームは同志とも戦友とも言えるだろう。作品を通じて本気で世界を変えようとしている。そのような出会いがあるから生きる意味があるとも思える。
マームが『cocoon』を上演していくなかで、私もその負担から前進できたような気がしている。
初演、再演、再再演と、製作期間を合わせると10年以上の時のなかで、マームとは何度も一緒に沖縄に行った。
繰り返し戦跡を訪れ、新しい資料を探し、“少女たちが生きたこと”に一歩でも近づこうと試み続けるマームの姿勢には感嘆と感謝が止まらない。
そのものすごい責任感と使命感に、主宰である藤田君への作家としての信頼は年々増すばかりだ。
2022年にマームと沖縄に行った際、藤田君が言った。
「“戦争や沖縄と無関係な自分がcocoonをやって…”とはもう言えない。だってこの10年めっちゃ関わってる。もう他人事とは言えないところまでとっくにきてる」
創作者としてなんて力強いんだろう。真正面から作品に取り組む姿は、世界の希望をみるように眩しかった。
そういう作家を身近で見続けられることは編集者としては喜びでしかないし、この仕事をやっていて良かったと思える瞬間だ。生きる意味だ。
そして再再演はまさにそのような力強い『cocoon』だった。
2023年を迎えようとしている。
世界は前進してるようで、本当に全く良くならない。なんで?? でも諦めたくない。
その楔となる『cocoon』を円盤で何度でも刮目できることは、それもまた生きる意味だ。
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金城小百合さんは、今日マチ子さんが「cocoon」を連載されていた当時、編集担当をされていました。今日マチ子さんと藤田貴大が一緒に共作した漫画、「mina-mo-no-gram」の際も担当としてお世話になっています。
もちろん、「cocoon」以外の作品も、必ずと言っていいほど観てくださっていて、「わたしは勝手にマームの普及活動をしているの」と、マームとジプシーの作品を広めるために沢山の方を観劇にお誘いくださいます。私たちとは関係のないところで、こんなにも心底想いを注いで行動くださる方は他にいらっしゃらないかもしれません。
金城さんが、今日さんに「cocoon」の企画を提案してくださらなければ、そして今日さんが描くことに踏み切ってくださらなければ、この形での私たちの沖縄の時間は生まれていませんでした。お二人で決心しておこなってきた作業は、どんなに勇気がいる一歩だったのだろうと想像します。
私たちも、沖縄の方々の感情について完全に理解し得ないこともあると自覚しつつ、しかしどうか私たちにも一緒に考えさせて欲しい、考えなければならないと思いながら作品作業を重ねてきました。
初めて沖縄で発表した際、「また来てね」とわざわざ感想を言いに来てくださったおばあさんの声、そして今年なはーとで公演した2作品に「ありがとう」と感想をくださった地元の方々。
少しずつですが、10年という時間で取り組んできたことが実を結んでいることを実感しました。
当時まだ20代で若かったお二人が踏み出した一歩が、私たちを含めて沢山の方々に影響し、そしてまた形を変えて広がろうとしていることを、金城さんにもぜひ見届けていただきたいです。