写真(右がMさん。左が私と大宮絵図メンバー)こんにちは!由佳です。先日は、すごく貴重な経験をしてきました。絵図当時(昭和30年)に大宮地区で子供時代を過ごされ、今も大宮に住んでいるMさんに、当時の大宮のお話を聞くことが出来ました。いくつか紹介します。●絵図当時の船山に生えている木について今の船山と昔の船山は生えている木の違いはあるのか?。船山は西方寺が所有しているので、誰かが勝手に木を切る事ができないのでかわりはない。周りの山は燃料として木を切っていたことから雑木林として描くことにしました。●水はだれが守ってきたのか集落全体で草刈りや用水路の掃除はあったのか。水利組合が存在し、田んぼを持つ長男のみが草刈りなど参加。これは、絵図に入れると説明が大変なので入れることはしません。●8月に帰ってくるご先祖様をお迎えするお供えもの絵図に描く予定だったお供え物8月になると、スーパーに果物や野菜がお供え物のセットとして売られています。私も毎年、果物セットと野菜セットを購入していました。りんご、みかん、ももなど、当たり前だと思っていたお供えものが、Mさんに見てもらうと、『お供えにはみかんやりんごはなかった。これは季節の物じゃない』『長い豆のささげや、ナス、キュウリ、トマトなどの夏野菜ばかりだった』というお話を聞いて、スーパーで一年中リンゴやみかんを購入している私が、季節感を失っていることに衝撃を受けました。当時の大宮は純農家だったので、皆さん自分で作ったお野菜をお供えしていたのです。Mさんにお話を聞いて、お供え物を描き直すことにしました。絵図当時の事を描くとき、当時の事が載っている本や写真も参考にしますが、本当に知りたい私が欲しい情報でない場合が多いです。地域の事が知りたい、どんな色をしていたのか、どんな事があったのか、本にも写真にものっていない『大宮の本当の事』が知りたいと思っていました。Mさんと出会えたのは『大宮絵図プロジェクト』メンバーの方が橋渡しをしていただいたのもありますが、Mさんも記憶を大事に持って元気で過ごされたこと、私も元気で絵を続けていたから昔の記憶を拾う事が出来たという、シンクロニシティが起こったのだと思います。人の記憶はその人が持つ、財産です。Mさんが元気で過ごされて、私とお会いして、私はMさんの記憶を拾うことが出来た。そのことは、絵図メンバーのみなさん、Mさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
アート の付いた活動報告
こんにちは。由佳です。五山の送り火というのは、お盆に来たご先祖様を船に乗せて極楽浄土に帰すための行事ですが、船山独自の行事があることをご存じでしょうか?船山の点火の仕方がとても原始的な方法であること、ご先祖様を迎えるための準備や、船山独自のご先祖様を極楽浄土に送る踊りなど、興味深い行事がたくさんあります。実際にスケッチや取材をしたので それらを一緒にみていきましょう。下絵には、『五山の送り火』に対して関係しているものに『赤丸』がしてあります。『西方寺 六歳念仏』と『万燈炉』一番左の赤丸の『西方寺 六歳念仏』とは、 送り火終了後の21時から西方寺で行われる、鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です 。六斎念仏は非公開でしたが特別に見学・スケッチさせていただきました。『万燈炉』とは、西方寺の門の上に照らされている燈籠で、ご先祖様をお迎えするための迎え火の事です。夜、赤々と照らされています。船山の点火の方法 船山の点火方法は、『音』と『光』です。船山の麓の山がよく見える住宅地で、西方寺和尚様の読経後、鉦が叩かれ、その音の合図で山に火がつけられます。下絵の『西方寺和尚様 点火のために読経』と『鉦をたたく人』に赤丸がしてあります。鐘の音によって点火の合図になりますが、和尚様の足元にある提灯も点火の合図のようで、私が和尚様をスケッチしようと、ヘッドランプで画用紙を照らしていたら、『点火の合図と勘違いされるから消してください』と言われました。また、カメラのフラッシュも点火の合図と山にいる人が勘違いしてしまうので、集まっている地元の方にも『フラッシュはやめてほしい』と和尚様が言われました。ご先祖様をお迎えする準備 『精霊馬』 『ハスの葉の上に丸いものをお供え』絵図下絵の送り火の下には、『精霊馬』 『ハスの葉の上に丸いものをお供え』 『船山が田んぼにうつる』と言う文字に赤丸をつけています。『精霊馬』とは、ご先祖様がこの世に来て帰る乗り物を表していています。きゅうりが馬、ナスが牛です。馬に乗って早くこの世に来てほしい、あの世に帰る時は牛に乗ってゆっくりお帰りください、という意味がこめられています。『ハスの葉の上に丸いものをお供え』とは、あの世から来たご先祖さまにお供えするものです。ハスの葉っぱに丸いものや季節の野菜をお供えします。『船山が田んぼにうつる』とは、水のはられた田んぼに美しく船山が映る景色を描きます。『手を合わせて祈る人』絵図下絵の一番右の『手を合わせて祈る人』とは、船山に火が点火して、ご先祖様が乗った船が無事に極楽浄土に行くのを祈る、地上の人々の姿のことです。観光でもない、インベントでもない『人が祈るためのシンボル』私は今、京都に住んでいますが、京都に来るまでは東京の都会に住んでいました。東京のテレビ放送では、京都が観光地として紅葉の季節や五山の送り火の映像を流していました。しかし京都に住んでみて、五山の送り火が観光でもイベントでもないという事がわかりました。送り火の日、地元のおばあちゃんが1人、送り火に手を合わせている姿を見て思ったのです。五山の送り火は、『信仰』、祈りのための火でした。住むことでその土地が持つ、祈りや願いの行事の本当の姿を見ることが出来ました。送り火の文字によって違うことがある左京区の『大文字の送り火』の近くに住む友人宅に行くと、玄関の飾り棚に、送り火で焼かれて炭になった、消し墨が飾られていることがあります。消し墨は、魔除け、厄除けになるとされています。送り火の次の日の早朝、友人は家族と大文字に登り、燃えた木を持ち帰るそうです。『早朝に行かないと大きな炭が取れない。みんな持って帰るから遅く行くと小さいのしかない』。船山ではそのような事はありませんが、五山の送り火の大文字ではそういう事も行われています。送り火も場所によってそれぞれ違うのです。西方寺の和尚様は、読経と鉦の音で船山を点火するという重要な役割をもっています。大宮絵図ではこの役割を目立たせるために他より少し大きく人物を描きました。
こんにちは。由佳です。本日は、絵図に描かれている『子どもの遊びとそれぞれの仕事の役割』のお話をします。大宮地域に住むおじいちゃんおばあちゃんが口をそろえて言うことがあります。『昔はよかった』昔と今の何が違うのだろうか。田と畑しかなかったこの土地にどんな楽しいものがあったのだろうか?地域の古老の方に聞き取り調査をしたら、現代とは違う、遊びの中で培われた人と人の温かい繋がりがあったことがわかりました。地域の古老の方に子供の頃の遊びについて聞き取り調査をしました。地域のおじいちゃん、おばあちゃんが、昔はよかった・・・という言葉を話した後、必ず言うことがあります。『沢山遊んだ』と言う。どんな遊びなのか?そして、その後続けて、『年上のお姉ちゃんやお兄ちゃんがいつも面倒を見てくれた』。大宮絵図当時の大人は、田んぼと畑の仕事で忙しかったので、今の時代のように大人が子どもをどこか楽しい所に遊びに連れていく『遊び』(遊園地・バーベキュー)をしてくれることはありませんでした。子ども達は年齢を問わず集まり、年上のお兄ちゃんお姉ちゃんが、地域の下の子ども達の面倒を見てくれました。大人からかまってもらえない時もありましたが、『さみしくなかった。いつも誰かがそばにいてくれた』とお話する古老の方は多いのです。そういう人の繋がりの強い場所で子ども時代を育った女性は、結婚でこの土地を離れた後も、家族で話し合って大宮に戻ってくる人もいます。子ども時代にいい影響を与えてくれた場所というのは、その人にとってかけがえのない場所として存在するということがわかります。何もなかったけど、人と人の繋がりが常にあって、心の豊かさがあった、そんな場所が大宮だったんですね。下絵の中のオレンジ色の線は子供の遊びを表現遊びは素朴なものばかり。女の子の遊び ケンケンパ、お手玉、フラフープ男の子の遊び 野球、木登り川遊びは男女関係なく遊んでいました。下絵の中の水色の線はそれぞれの仕事を表現男の仕事 、力仕事の田起こし。女の仕事、田植え子どもの仕事、手植え網、牛の世話それぞれみんな、仕事の役割がありました。
こんにちは。由佳です。今日のテーマは『この土地で生きる人の一生』についてお話します。私の生まれた田舎(石川県)ではご先祖様から受け継いでいる土地や財産は、その家の長男が継承して守ってきました。おじいちゃんになったら家の裏のお墓に眠り、その土地のご先祖さまになる。このようなローカルな思想は同じ農地の広がる大宮でもあるのではないかと興味がありました。この土地で暮らす人はどんな一生をしているのだろうか。それを知るには絵図当時を知る大宮に住んでいる方からの聞き取り調査が必要でした。図1聞き取り調査をして見えてきた大宮で暮らす人々の一生。聞き取り調査をした方々は、全員絵図当時を知る方で、代々農家に生まれた長男のおじいちゃん、この土地にお嫁に来た70代の女性やここで生まれて育った女性、次男で一度この土地を離れたけど、農業以外の仕事をして戻ってきた方々 です。それをまとめてこの土地に住む人の一生を作ってみました。水色で色をぬっている場所は人が集まっている行事などです。この土地で生まれた長男のおじいちゃんから聞き取り調査をしました。長男は仕事を選べない。農家になるのは当たり前?そのおじいちゃんはたくさんいる兄弟の中で唯一、代々受け継いできた農地を仕事として引継ぎました。仕事は農業をするというのが当たり前であり、子ども時代は家族で大切に育てていた牛の世話の仕事をしていたそうです。農家さんはたいへん忙しいため、子供でも仕事が与えられていたそうです。図1の左下に、『男』と『女』がいますが、『男』が若い頃のおじいちゃんとして、男は力仕事の田起こしをします。田植えは女性の仕事なので、農家にお嫁に来た『女性』を描きました。男と女がいて、子供が生まれて、『父』と『母』になりました。その息子は牛の世話をしていた子どもでしたが、この家の跡取りとして青年として成長しました。成長した青年のその後の人生をどう描くか。70代女性から聞き取り調査をしてわかったこと男女の出会いの表現方法●70代女性『男女の出会いは盆踊りぐらいだった。』人口が少なく、農地がほとんどの地域では、人が集まる行事がお見合いのような場所だったようです。成人した女性が着飾って盆踊りに胸を躍らせて行っていたようすが目に浮かびます。女性から聞き取り調査をして、絵図では跡取り息子が盆踊りで女性と出会って結婚と言う流れにしました。●70代女性『結婚式は家でしていた。』このお話を聞いて、女性が結婚すると『家の中に入る』というイメージが湧きました。絵図では、跡取り息子のお嫁さんは、結婚をするために、この地域の文化的な『門構えの松』をくぐます。門構えの松とは、松の枝が一本だけ長く横に伸びていて、人がその下をくぐれるようになっている松のことです。とても縁起がいいものです。絵図ではお嫁さんが家の中で行われる結婚式のために家に入りますが、家の中ではこれから結婚する旦那さんが待っているという設定にしてあります。●70代女性『布オムツだったから、庭の物干しにはたくさんの布オムツが干してあって壮観だった』赤ちゃんを育てるのに重要なのが、オムツ問題。そこをちゃんとしないとオムツかぶれになったりで大変です。私は紙おむつで子育てをしたのでオムツが汚れたらポイッとゴミ箱に捨てていました。絵図当時は何度も繰り返しオムツ使用していました。また、この家には赤ちゃんがいまーす、というメッセージがあるようで面白いなと思いました。この土地に生まれた次男のお嫁さんのお話。旦那さんが農家の次男のため、農業以外の仕事に就くため大宮を離れて都会に住んでいましたが、この土地が好きで戻ってきたご夫婦のお話を聞くと大宮への愛着が伝わります。●次男のお嫁さん『ミルクなんてないから赤ちゃんに母乳をあげました。』絵図の家の中では『子育て』が行われています。絵図では赤ちゃんに母乳をあげるお嫁さんを描いていますが、大っぴらにそれを表現するのではなく、家の前の柿の木にわずかに隠れて描いています。赤ちゃんはすくすく成長をしますが、図1の右側にいくと、冬の仕事のしめ縄づくりが描かれています。ここで、お嫁さん、子供達、おじいちゃん、おばあちゃん、息子が登場。家族が増えて、おじいちゃん、おばあちゃんから次世代にしめ縄の技の継承が行われ、その後、おくどさんに行き、人の死になります。結婚式とお葬式をどう表現するか。昔はこの二つは地域の人が集まって行われていたものでした。絵図ではおくどさんという、竈門で煮炊きをする地域の人を描いて、お葬式を意味する白黒の垂れ幕の鯨幕を描いています。
こんにちは。由佳です。大宮絵図の下絵に、二つの違う色の折れ線グラフを描きました。これは藁と竹の使用した行事やこの素材で出来た物を、一年間の中でどの季節に利用されているか表しています。絵図には時間軸が存在していますが、季節によって形を変えて人々に使用される二つの植物は、なぜ大宮で利用されてきたのか、どうやって使われていたのか、絵図の一年間を見ていこうと思います。大宮という土地は、なぜ、この二つの植物をよく使うのか。それは大宮地区は大部分が農村地帯だったからです。田んぼや畑が多かったため、稲を収穫した後、藁を家で保存し、一年中使えるようにしていました。また、この土地は竹林も多く存在しました。竹は一年中取れる植物です。一年を通していろんな行事にも使用できたのです。季節の行事によって形を変えて使用されている二つの植物は、この土地にあった植物だったからです。二つの折れ線グラフの説明●藁の一年はオレンジ色の折れ線グラフです。藁で紐や袋を作ったり、地域の行事に利用されています。藁は水をつけてたたくととても柔らかいのでいろいろな形に変わることが出来ます。絵図に描いてあること。左から①はかまづくり(小正月のどんどの飾りとして使用)②正月の飾り(正月に使った飾りをどんどで燃やす)③縄で牛と農具をつなぐ(ロープとして藁を使用)④収穫した稲を藁でまとめる(ロープとして藁を使用)⑤むしろ(藁で編んだ敷物)、かます(藁むしろで作った袋状のもの)。⑥お正月飾りを作る(冬の仕事 農家の収入源)一年中青々としている竹。一年を通して様々な行事に使用できた。●竹の一年は緑色の折れ線グラフです。竹で櫓を組むために長い竹を使ったり、松明のように短い竹を使ったり、長い竹は長さを調節できます。絵図に描いてある事①お土居の竹林 (大宮絵図当時子どもだった方『昔はお土居は竹林だった』『あちこちに竹林はあった』)②松明作り(小正月のどんどに火をつけるための松明。)③その年の干支の子が(小学6年生)松明でどんどに火をつける。④竹で櫓を組む(5メートルにもなる竹で三角錐の形にしてどんどを作成。)⑤門松燃やす(どんどでは門松やお正月飾りを燃やします。)⑥伊勢神宮でもらった札を、竹の棒で田の水口にさす。(短い棒として使用)⑦七夕(笹に願いを込める)⑧竹で稲木を作る(収穫した稲を干すところで長さが必要)⑨門松作り(冬の仕事 農家の収入源)大宮を取材してきてわかったこと二つの植物は大宮地域の土地(自然)に関係していて、この土地に住む人々が形を変えて利用してきたことがわかりました。身体的な技が親から子へ継承されて、その記憶はたえず受け継がれてきました。技の歴史がこの土地にはありました。私はなんでもお金で買う事ができる時代に生まれました。里の中で暮らし、親から技術を継承して、自分でなんでも作ることができる人々とは違います。里で暮らすという事は、それに必要な技を継承しなくては生きていけません。 その人が生きていたから、継承してきてくれたから残っている技の歴史が大宮の藁と竹にはあります。私は田舎で生まれましたが、父の転勤で移動ばかりしていたので田舎の祖父母から技の継承を教わることはできませんでした。でも、私が都会に住んでいた時、イベントで藁草履を作るというのに家族で参加したら、父が誰よりも上手に作っていたのを見てびっくりした記憶があります。父には里で暮らすために必要な技が身体の中に継承されていたのだと驚きました。経験や継承を受けなければ作れない藁や竹の道具はその人がいなければ残り続ける事ができません。私は、この藁と竹の歴史や技の継承がいつまでもこの土地に残っているように祈りをこめて、目に見えない歴史を描きたいと思います。次のテーマもお楽しみに。