日本の租借地であった関東州の大連にはたくさんの日本人が移り住んだこともあり、日露戦争から3年後の1907年には早くも神社が創建されました。大連神社です。旅順に関東神宮が創建されるまでは、外地に居住する日本人の心のよりどころでした。
しかし1945年8月にソ連軍が満洲に侵攻し、満洲国が崩壊してからは、日本人の精神的な支えであった神社はことごとく中国人によって引き倒されました。しかしこの大連神社はしばらく無事でした。なぜなら機転を利かせた宮司がソ連の進駐軍を相手に、ここで雅楽などを見せて歓心を買うことによって破壊を免れたからです。
宮司は日本への引き揚げの際に、1947年こっそりご神体とご神宝を隠し持って乗船したということです。その後、宮司は山口県下関市の赤間神宮に奉職することになったため、その境内にあった社にご神体を収めて大連神社として再興することになったのです。魂はここに生き続けるということでしょうか。
大分県から車を走らせてその大連神社を参拝に行きましたが、高台の上にあり、なかなか気持ちの良い場所でした。大連にあった魂がこうして日本で再び祀られていることがなんだか不思議でした。
大連にあった神社は戦後いつのまにか壊されてしまったそうです。私はその場所も探し当てて訪れたのですが、小学校になっていました。門が締まっていたため中には入れませんでしたが、門の付近に古い石段が埋もれるようにして残存していました。おそらく神社の参道だったと思われます。しかし校庭にはそれらしき残存物はありませんでした。
建物にはいろいろな物語が埋め込まれているんです。写真集ができた暁には、どうぞそのような物語を想像しながら建物の写真を眺めていただけたらと思います。
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