三木さんとクラウドファンディングの終盤にかけて、中々連絡がつかないことが続いたりしていますが。今回は、村作りの相談のメッセージを掲載します。このクラウドファンディングが始まってから三木さんのことを知る人からもたくさん連絡をいただき口を揃えて「彼みたいな人はいないし、もう出てこないかもしれない」という言葉を聞きました。
彼は、接した人の心を鷲掴みにします。長いものに巻かれたり、大きな組織で働いている人は、彼の思想や考えを嫌うこともありますが。ここまでアフリカの現場に入り込み、目線を合わせて彼らと同じ生活様式で活動している邦人は多くないと思います。将来的に、三木さんの本も出版したい。きっと、日本で生きづらさを感じている人の気持ちが揉みほぐされるような気がするから。
ベナンで交通事故に遭ってから、恩人でありメンターでもある三木さん。何とか、恩返しをと思ってこの2年間コミットしてやってきましたが、最高の形で1つの目標であるクラウドファンディングのエンディングを迎えられそうです。最後に、三木語録を掲載したいと思います。
人間は残酷な生き物だと思う。それぞれ守るべきものがあって、自分に見える世界を物差しにして。考えて、自ら決めた意思のようでいて、実際はもっと本能的なところで動く。それはこれまでの生存においてはいい結果をもたらすものであったとしても、環境要因の変化次第で、同じ本能的反応をしても、それが周りの人たちを苦しめることにもなったりする。本人も傷ついて、自分が悪いと思ってしまう。それぞれの個性を責めても、本人にもどうにもできないこともある。そういう生き物なんだよね。それでも一日一日生きて、みんな功労賞。
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描けてしまう未来っていうのが新鮮だった。そんな未来があるんだね。
そしてきっと飽きるんだろうね。 なんかニジェール見てても、日本見てても、それぞれ人たちの特徴があって、例えば日本だと安定を好む人が多いでしょ?
それがしっかり世間や社会のしくみにも反映されて、心の拠り所にもなりつつも、あまり特徴が濃く出すぎると、負の部分も色濃く出すぎてしまうように思う。なので、一つの色を濃くしすぎるんじゃなくて、いくつかの色が点在してるくらいが丁度いい。俗に言う、多様性っていうことなんだろうけど、お互いがぶつかり合って、とても合理的・生産性の高い関係に見えなくても、違いが混在してるって、すごく大切で、停滞した社会の突破口になったりするしね。なので、一見、「なんじゃこいつ。変な奴」と思う相手でも、実はとても大切な違いだったりする。だから無理なく、描けてしまう未来が嫌だと思うなら、違う色をどーんと押し出してみていいよね。「相手に通じない」って致命的に感じるけど、大切な違いがある証拠だと思うから。
なので、もし祐斉が人々の居場所を作ったら、対価がお金でさえなければ行く。
こじれてしまった人と人とのつながりを繋げなおす取り組みは、これからきっととても大切になると思う。
人間そのものだと思った。食うことと食われることの両方含んだ食と、「この道の先に何があるんだろう」っていう好奇心って、人間の生存そのものだと思う。ここも昔はハイエナが出て、子供が食われてた。今は開墾が進んで、人口も増えて、ハイエナもいなくなった。食われないというのは安心である一方で、もしかすると人が生きるバランスを崩すことにもなるのかもしれない、と思うことがある。物事の良し悪しなんてわからないことだらけ。
ハッとする出会いはすごい大切だよね。それこそ凝り固まった頭を叩き壊せる機会でもあるし、日常に埋もれて忘れかけてるようなことを思い起こさせる機会でもある。
現場に閉じこもっていると、凝り固まる部分もあって、現場にとってプラスじゃないと思うので、祐斉が来たら俺の頭を叩き壊してほしいんだよね。アイデアとアドバイスがほしいので、ちょっと現場てつだって。きっと祐斉といっしょに話すと、そのあとやりたいことがどんどん出てくると思うので、開放系でいこう。